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第五福竜丸展示館の学芸員、市田真理さん(53)は「人生を懸けてビキニ事件を語っていた」と振り返る。最後に会ったのは2019年12月。学生を連れて行くと、「話したいことがたくさんある」と言ったという。その後は新型コロナウイルスの感染拡大で面会がかなわず、「もう一度、一緒に講演する約束だったので、信じられない。命懸けで伝えようとしたことを受け継いでいかなければ」と声を詰まらせた。
平和研究が専門の竹峰誠一郎・明星大教授(44)は「(差別や偏見から)第五福竜丸の船員の多くが沈黙せざるを得ないなか、大石さんは証言した先駆者。大石さんの存在なくしてビキニ事件の深さや背景は語れない」と功績を語った。大石さんと一緒にマーシャル諸島を訪ねており、「マグロやカツオの知識が豊富で、船に乗った時は輝いていた。被害を受けなければ太平洋の海と生きた人なのだろう。優しい人だったが、証言には悔しさや怒りがあった」と思いをはせた。
高知県でビキニ事件の被災者支援を続ける市民団体「太平洋核被災支援センター」事務局長の山下正寿さん(76)=高知県宿毛市=は「自らの体験を積極的に発信し、強い信念で活動していた」と話す。山下さんは高校教諭だった1988年、高校生と被災調査を進めるなかで大石さんと知り合った。大石さんが生徒らを見つめ、「事件は隠してはいけない。事実を素直に受け止め、調査を頑張ってほしい」と強く訴える姿を今も覚えている。ビキニ事件をテーマにした講演会でも何度か顔を合わせたといい、「核被害の問題に広く関心を持ち、廃絶を訴えた人を失ってしまった」と惜しんだ。【椋田佳代、松原由佳】