Daily Archives: 2020/11/12

福島第一の溶けた核燃料、一時監視できず…作業員が誤って緊急停止ボタン via 讀賣新聞

[…] 誤操作で停止したのは、格納容器から窒素ガスを排出するファン。東電は窒素ガスに混じる放射性物質を調べ、核燃料の状態を確認しているが、ファンが止まってデータを取得できなくなった。  炉心溶融した同原発1~3号機では、核燃料が何らかの理由で再臨界し、水素が発生して爆発するのを防ぐため、窒素ガスを注入して格納容器の水素濃度を下げている。  東電によると、同日午前11時12分頃にファンが停止したが、午後2時30分に監視できる状態に戻った。 全文

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『学校での甲状腺検査が無くなってしまう?』via NPOハッピーアイランド☆ネットワーク

「皆様の声をお寄せください」 私たちNPOはっぴーあいらんど☆ネットワークでは、学校での甲状腺検査継続を求め広く意見を集めています。子どもたちの受診機会を守るため、私たちの意見を福島県に届けませんか?特に子育て世代の皆さま、ご協力宜しくお願い致します。 そもそも甲状腺検査は、東京電力福島第一原発事故後に健康被害が起こることが懸念され、「30年先まで県民の健康を見守る」という目的で開始されました。そして学校での検査は、仕事を休んで検査に連れて行くなど保護者にかかる負担を軽減し、検査希望者が等しく受診できる機会を確保するため導入されました。 疾病の「早期発見・早期治療」という目的をかんがみても、子どもたちにとって必要な検査ですので、受診率の安定した学校での検査は重要です。 ところが最近「県民健康調査検討委員会」では、学校現場の疲弊と検査の強制性(任意検査であるにもかかわらず)を理由に、学校検査について続けるべきかどうかの議論がなされています。年内に県内20校程度の学校現場への聞き取り調査が行われるようです。当事者の声も反映させるとは言っているものの、星北斗座長は「その具体的な方法は非公開の場で決める」とし、またWEB上で当事者の意見を聞くべきだという意見については、「その予定はない」と却下しています。 このままでは、学校現場の負担を理由に、学校での甲状腺検査が無くなってしまうかもしれません。受診機会が保障されることは、無用な被ばくを強いられた子どもたちにとっての権利です その権利を守るため、私たちの意見を届けましょう。 下記のフォームから皆さんの声をお聞かせください。いただいたご意見は、NPOはっぴーあいらんど☆ネットワークで福島県へ届けて参ります。 *ご意見フォーム* (匿名での意見記載も可能) ブログと*県民健康調査検討委員会を「検討」する会 第2回* のビデオは『学校での甲状腺検査が無くなってしまう?』

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JAPAN IS BRINGING ONE OF ITS TSUNAMI-DAMAGED NUCLEAR REACTORS BACK ONLINE via Futurism

DAN ROBITZSKI […] After the devastating storm that brought down the Fukushima Daiichi nuclear power plant, Japan imposed a slew of new safety standards, Agence France-Presse reports. A reactor at the Onagawa nuclear plant, which was damaged by the same tsunami but fared … Continue reading

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4000人超が今も戻れず 南相馬の原発避難者、隣県の再稼働計画に「なぜ」via 河北新報

当たり前の日常が東京電力福島第1原発事故で暗転して9年8カ月。「なぜでしょうね」。南相馬市から避難し、関東地方を経て仙台市に暮らす40代女性が語る。11日、東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の再稼働に示されたゴーサインに、避難者の苦難が忘れられたような寂しさを感じる。 (略) 「何が起きているの?」。夫、小学生と園児の子どもたちと着の身着のままで車に乗り、大渋滞の中を福島市方面へと向かった。夜中に関東の親族から逃げて来るよう電話があり、今度はひたすら南下した。  数日後、親族方で見たテレビの映像に衝撃を受けた。自宅から20キロほどの場所にある福島第1原発の建屋が爆発していた。  南相馬での暮らしは豊かな自然と共にあった。住み慣れた自宅からは海が見えた。山では新鮮なタケノコやキノコが採れた。春には川沿いの桜並木がピンク色に染まり、夏に相馬野馬追を楽しんだ。  地域が警戒区域に指定される直前、家族4人はわが家に足を運んだ。「おうちがあった」。自分の家がなくなったと思い込んでいた子どもたちが大泣きした。そこで告げた。「ごめんね。ここには帰って来られないからね」  都会での日々になじめず、およそ半年で関東を離れた。放射能への不安や生活環境などを考慮し、新たな移転先に仙台を選んだ。空気の匂いがどこか南相馬と似ていた。  子ども2人は友人や周囲の支えもあり、仙台での暮らしに順応していった。思春期を迎えた今、「人を助けられる仕事がしたい」と思い描いているという。母親として願う。「これから何かあってもくじけないでほしい」と。  いつか夫と古里に戻りたいとは思う。ただ、知り合いが相次いで亡くなったことが気に掛かる。心筋梗塞、脳梗塞、がん…。原発事故との関係が分からず、不安が消えない。  南相馬では今も4000人超が避難生活を続ける。隣県の宮城で粛々と進む再稼働計画を、女性は案じる。「福島の人たちが大変な思いをしているのに。恐ろしいことだと思います」 全文は4000人超が今も戻れず 南相馬の原発避難者、隣県の再稼働計画に「なぜ」

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