メルトダウンから40年、米スリーマイル島原発9月閉鎖に揺れる地元 via AFP

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1979年3月28日、米東部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で部分的な炉心溶融(メルトダウン)が発生。当時40歳の営業マンだったジョン・ガーバー(John Garver)さんは今も、このときの臭いと口の中に感じた金属味を思い出す。「ようやく閉鎖されるときが来た」。80歳を目前にしたガーバーさんは語った。

引退後、現在は同州ミドルタウン(Middletown)のボートクラブでパート勤めをしているガーバーさんは、自分は最初からこの原発に反対だったと語った。「今も反対だし、自分が生きている間に閉鎖されることを望んでいた」

スリーマイル島原発を保有・運営する米電力ガス大手エクセロン(Exelon)は、採算の取れない同原発を今年9月30日に閉鎖することを発表している。

しかし、ペンシルベニア州議会は、同原発とそれによって提供される数百人分の雇用を守るためとして閉鎖阻止計画を進めている。

同州では、電力供給量の約40%が原子力発電によるものだ。

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 ガーバーさんは当時、周辺地域から避難した14万人を超える人々のうちの一人だ。「2日にわたって避難した」「もう完全に大丈夫と発表されてから、皆で戻った」とガーバーさん。「屋内にとどまりブラインドを引き、ドアを閉めるようにと言われた」「そうすれば放射能の害はないからと」

■原発存続を求める声

スリーマイル原発の制御室長、フランク・ウエイプル(Frank Waple)氏(58)は原発閉鎖を望む声には同意しない。
 ウエイプル氏は原発閉鎖は地域経済に大きな打撃を与えるに違いないと述べ、ミドルタウンが「ゴーストタウン」になる恐れがあると警告。

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一方、スリーマイル島で電気技師として働くネイサン・グローブ(Nathan Grove)さん(37)は、自分はシングルファーザーで、仕事を辞めて他の場所に移住するのは難しいと語る。

グローブさんは原発を閉鎖させない闘いを推し進めると語り、「原子力が環境にもたらす恩恵を人々に必ず理解させる」「原子力は大気を清浄に保つ最良の方法の一つだ」と述べた。

■「世の中は変わる」

他方、ペンシルベニア州の州都ハリスバーグ(Harrisburg)近郊でAPFの取材に応じた原発監視NPO、「スリーマイルアイランド・アラート(TMI Alert)」の会長エリック・エプスタイン(Eric Epstein)氏は、スリーマイル島原発の運転継続は論外だという。

「この発電所は老朽化している」とエプスタイン氏。「もう閉鎖すべきときなのだ。(この原発に)競争力はない」「破綻した産業を救済し続ける必要などない。無意味だ」

同氏は「雇用が失われるなんて単なる理由付けだ」と述べ、エクセロンは現従業員の多数を配置転換したり、原発閉鎖処理の仕事に就かせたりすることができるはずだと主張した。「世の中は変わるものだ」 (c)AFP/Sébastien DUVA

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