【リポート】記者日記 胸締め付けた手記 震災避難生徒いじめ via 共同通信

 東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)が同級生によるいじめで不登校になっていたことが判明。生徒は小学2年だった2011年8月、横浜市立小に転校。直後から名前に菌をつけて呼ばれたり、蹴られたりするなどいじめを受けていた。

小5のときには、同級生から「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、ゲームセンターでの遊興費などを負担。その後現在に至るまで不登校が続いている。

共同通信社はいち早く、このいじめの事実を報道。男子生徒がノート3ページにわたって「ばい菌扱いされてつらかった」などとつづった手記全文も伝えた。担当した記者が取材の経緯などを振り返った。

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男子生徒が不登校になっていた15年7月、小6のときに書いたものだった。同級生から「ばいしょう金あるだろ」とお金を要求されたこと、先生に何度言っても無視されたことが、かなり強い筆圧で書き殴られていた。

読み進めるうちに胸が締め付けられそうになっていると、冒頭の文章が目に入った。母親がいる前で涙が止まらずメモは取れなくなった。この決意を無駄にしない取材と報道を。私が心を決めた瞬間だった。

▽黒塗りだらけの資料

神奈川県警や学校関係者などを当たっていくのと同時に、この問題の一連の記録を取り寄せようと横浜市教育委員会に情報公開請求した。予想はしていたが黒塗りだらけの資料が開示された。分かるのは数種類の書類の表題と日付。

窓口で市教委の担当者は「条例で個人情報は出せない」を繰り返した。子どもの気持ちを無視した学校や市教委の対応を内部でとどめておくより、社会全体に知らせて考えてもらう必要があるのではないか―。その思いは取材を進めるにつれ、大きくなっていった。

男子生徒側の申し入れで始まった市教委の第三者委員会が調査報告をまとめた16年11月、報道に踏み切った。その後、市教委側は記者会見でも「子どもの成長に配慮して公表しない」と事実関係を明かさなかった。情報公開請求で言われた「個人情報保護条例」がここでも持ち出された。

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思わず「どうして周りに助けを求めなかったのか」と問いただすような口調で尋ねると、母親は「当時インターネット上で避難者をバッシングする書き込みがあったからこわかった」とこぼした。避難者の苦しみを知らず、安易に質問して傷つけたことを後悔した。

数カ月の取材期間で、何度も「避難してきた人にそれぞれの事情と苦しみがある」という言葉を聞いた。男子生徒は生活を軌道に乗せようと努力する両親の姿を目にしながら、学校生活では逃げ場のないいじめを受けてきた。

父親が男子生徒に「福島に帰るか」聞いたとき、「お父さんが新しいお仕事で頑張っているから僕も頑張る」と答えたという。そんな家族を学校や市教委は「八方ふさがり」の状況に追い込んだ。教育現場は男子生徒とその家族が置かれた状況や苦しみを知ろうともせず、ずっと傷つけてきた。その「罪」は大きい。

全文は【リポート】記者日記  胸締め付けた手記 震災避難生徒いじめ

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