東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に避難した中学一年の男子生徒(13)が、市立小学生の時に長期にわたっていじめられていたことが十一月に発覚した。生徒は転入直後の小学二年からいじめられ、同五年の五月末から卒業まで不登校になった。
生徒へのいじめは暴言・暴力から、金銭の要求に発展。同級生の遊興費を負担させられ、両親が自宅に置いていた百五十万円を持ち出したという。両親は学校に調査と解決を求めたが、学校は議事録も残さない形式的な調査で終わらせ、いじめを認めなかった。
この時、両親も何者かに嫌がらせを受けていた。自宅に「放射能を持ち込むな」などと書かれた文書が投げこまれ、福島県ナンバーの自家用車には生卵をぶつけられたり、ごみを近くに置かれたりした。父親は取材に「原発が怖いのは分かる。でも、こんな仕打ちはひどい」と憤った。
両親の要請で生徒のいじめを調査した市教育委員会の第三者委員会は十一月、学校の一連の対応を「教育の放棄」と厳しく批判する報告書を作成。いじめが始まって五年がたち、ようやく生徒や両親の訴えが認められた瞬間だった。
取材過程で、生徒の状況が私自身の過去に重なって見えることがあった。私の場合、同級生の宿題を代わりにやり、テストの際にカンニングさせるよう求められた。抵抗すると、投げ飛ばされることがあった。同級生にいじめの認識はなかったかもしれないが、私にはいじめに違いなかった。
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いじめが起きたとき、被害者が最初に頼る大人は、担任をはじめとした教員だ。私の場合、学校が荒れていたこともあり、教員は「非行」の対応に忙殺され、卒業まで耐えるしかなかった。被害生徒も、卒業まで教員が手を差し伸べることはなく、何度も自殺を考えた。だが震災で多くの命が失われたことを考え、生きる決意をしたという。
なぜ、生徒へのいじめは見過ごされたのか。第三者委の報告書は、学校、市教委、スクールカウンセラーなどが連携した「組織的対応が不十分だった」と指摘。市教委は十五日から当時の対応の問題点を調べ始めるが、「組織的対応」の検証に気を取られているように見える。
生徒側はいじめについて相談した際、担任たちが「忙しい」として十分に対応してくれなかった、と主張している。市教委は「頼るべき大人」だった担任のどこが問題だったのか、検証するべきだ。教員個々が子どもの小さな変化に気付き、子どもの声に耳を傾けない限り、いじめ被害はなくならない。 (志村彰太)
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