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福島原発事故「4年半」の現実 国が進める「棄民政策」via Huffington Post

 今年の夏は、東京電力福島第1原発事故4年半の節目を前に、後に歴史の大きな転換点として刻まれるであろう出来事が立て続けに起きた。

第1は鹿児島・川内原発の再稼働。そして第2は東電元幹部3人に対する東京第5検察審査会による強制起訴議決である。

国と原発ムラによる演出

「8月11日は、あれだけの犠牲を出した大事故の月命日ではありませんか」

この日に川内原発を再稼働するのが決まったとの報せを受け、怒りに唇をふるわせて抗議したのは福島・浪江町の馬場有町長だった。国内すべての原発が停止し てほぼ2年。全国民が注目する川内再稼働を、よりによって因縁のこの日に実行するのは一体どういう了見なのか、と馬場町長は言いたかったのだろう。

(略)

そしてこの因縁の日。川内再稼働は国と原発ムラによって演出された原発推進のためのイベントとなった。

「『8.11再稼働』は反発する県民・被災者の感情を逆撫でし、あざ笑った。これ以上反対できるものならやってみろと言わんばかりの挑戦的な選択だ」。双葉町からいわき市に避難し、東電への賠償訴訟を続ける主婦グループは泣きださんばかりの表情でつぶやいた。

実際、再稼働をするだけならわざわざこんな反発を呼ぶ日を選ぶことはない。この演出は、これからは原発問題すべてに強気で臨むという安倍晋三政権の国民へ のメッセージであり、被災者には賠償や復興政策にここではっきり「区切り」をつける、つまりこれ以上、限度なく財政資金を被災地に投入しないという福島県 民への冷酷な通告だったのだろう。

政府の意図

今年に入ってから政府は、その見方を裏付けるように、苛烈な政策を次々と打ち出した。

被災者への支援の目安となってきた避難指示区域を解除し、それに伴って東電による住民への慰謝料支払いを終える。区域外から県内や他県に逃げ出した「自主 避難者」には2017年4月以降、これまで行ってきた「みなし仮設住宅」の提供をやめる。商工業者に対する営業損害賠償も来年3月で打ち切る。

貴重な生活費になってきた慰謝料がなくなり、住む家もなくなる。いったいどうすればいいのだ――被災者の声は悲痛だが、国の方針はもはや決して揺るがな い。「元の地域が既に住める状態になっているのだから、そこに帰ればいいのだ。それなのに、いつまでも支援金を払っていると故郷に帰ろうとしなくなる。帰 還がいやならその選択は自己責任なのだから国は関与しない」。

これは恐ろしい態度である。こうやって被災者の権利を奪われ切り捨てられた 人々、たとえば県外に自主避難したままで、なかなか帰ろうとしない県民は、これから後は実質的に県民としてさえ認められなくなるのかもしれない。次回でも 触れるが、その背後に見えるのは、あの大事故は今はもう終わったこと、さらに言えば、なかったことにしたいという政府の意図である。

被災者はだませない

今も10万人を超える人が家を失ってさまよい苦しむ現実をよそに、こんなばかげた話を創りあげて政策として強引に実行するのはなぜなのか。

▽世界中から要人や観光客が来る5年後の東京オリンピックまでに、「ぼろ」を隠してしまいたい(被災者や汚染された土地は国家の栄光を汚す「ぼろ」にすぎない)。

▽国の財政危機の進行を少しでも食い止めたい(「ぼろ」の始末に使う金の余裕はもうない)。

▽オリンピック誘致の際に「汚染はコントロールされている」と大見得を切ったのは首相自身だ(国立競技場問題などとはわけが違い、首相のメンツがかかっている)。

しかし、地元では誰もが知っている。国や自治体が進めてきた除染の結果、「住める状態」になったのは町や村の一部だけ。裏山からは雨のたびに今も放射性物 質に汚染された新たな雨水が流れ出す。かつて子どもたちが転げ回って遊んだ森や野原のそこここに「危険なホットスポット」があること、みだりにキノコを 採って食べたりしてはいけないことなどを彼らに教えなければならない。

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法廷の威信がかかる審理

「原発事故をなかったことにしたい」

そんな乱暴がこの先進国でまかり通るのだろうか。誰もがいぶかしむこのシナリオの前途は、この夏、さらに怪しくなってきた。検察審査会(検審)による勝俣恒久元会長ら東電幹部3人の強制起訴が実現してしまったからだ。

控訴審の検事役を務める石田省三郎氏ら3人の指定弁護士の名前が第二東京弁護士会から発表されたとき、原告の福島原発告訴団の関係者からは快哉を叫ぶ声が 上がった。これら3人は過去の実績、実力ともに評価が高く、十分な審理が期待されるからだという(指定弁護士にはその後2人が追加され、検事役はさらに強 力な態勢となった)。

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皮肉な形での「戦後スキームからの脱却」

馬場町長は「被災者がこれだけの犠牲を払ってきたのに、国も東電も誰1人責任をとっていない」と言う。しかし、状況は変わるかもしれない。その意味は日本の歴史にとっても極めて重要だ。

国や企業の責任が明らかにならない、あるいはそれを明らかにしない日本社会。その結果は、集団の構成員個人全員の責任となって自らの身に降りかかる。東電 を経営破綻から救うために国が登場し、最後は国民の税金が使われる。納税者の中には福島県民もいるのに、である。東電問題の背後には、それらの責任をあい まいにしながら、同じ過ちを繰り返してきた日本の姿が浮かび上がる。

全文は福島原発事故「4年半」の現実 国が進める「棄民政策」

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