「知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研」の書き起こしより。
そんな放影研に福島県郡山市から依頼があった。大久保利晃(としてる)理
事長が、市の健康管理アドバイザーとして招かれたのだ。専門的な知識を期
待されてのことだった。「放射線に被ばくすればするほど、ガンは増えます。これは逆に。だんだん
だんだん減らしていったときにどうなるのか。本当にゼロに近いところでも
ごくわずかに増えるのか増えないのか。これが一つの問題です。」
「本家本元、広島の研究では増えたのか増えてないのかということは統計学
的に証明できてないです。」(大久保氏の福島での集会レクチャーより)実は放影研のデータは、福島ではそのまま活用できない。放影研が調査して
きたのは、原爆が爆発した瞬間、身体の表面に高線量の放射線を浴びる外部
被曝だ。福島で今、起きていることはこれとは異なる。放射性物質が呼吸や
食べ物から身体の中に取り込まれ、放射線を放ち、細胞を傷つける、内部被
曝だ。
[…]
放射線の人体への影響を60年以上調べている放影研だが、実は内部被曝のデー
タはないという。しかし言うまでもなく内部被曝は原爆投下でもおきた。爆発
で巻き上げられた放射性物質やすすがキノコ雲となりやがて放射性物質を含ん
だ雨を降らせた。この黒い雨で汚染された水や食べ物で、内部被曝が起きたと
考えられている。「黒い雨の方は、これは当然、上から落ちてきた放射性物質が周りにあって被
曝するのですから、今の福島とまったく同じですよね。それは当然あると思う
のですよ。それについては実は、黒い雨がたくさん降ったところについては、
調査の対象の外なんですよ。」(大久保氏談)
[…]
だがABCCが内部被曝の調査に着手していたことが、私たちの取材でわかった。
それを裏付ける内部文章がアメリカに眠っていた。
「1953年にウッドベリー氏が書いた未発表の報告書です。」(公文書館員談)ローウェル・ウッドベリー氏はABCCの当時の生物統計部長だ。報告書には広島
の地図が添えられ、内部被曝の原因となった黒い雨の範囲が線で書かれている。
ウッドベリー氏は、黒い雨の本格的な調査を主張していた。「原爆が爆発したときの放射線をほとんどまたは全く浴びていない人たちに被
曝の症状が見られる。放射線に敏感な人が、黒い雨による放射性物質で発症し
た可能性と、単に衛生状態の悪化で発症した可能性がある。どちらの可能性が
正しいか確かめるために、もっと詳しく調査すべきだ」(ウッドベリー報告書)
[…]
玉垣秀也氏は、医師の国家試験に合格したあと、ABCCに入った。黒い雨を含め、
原爆投下後も残った放射性物質、残留放射能の調査を命じられた。玉垣氏は、
原爆投下後に広島に入った救助隊員40人を調べた。5人に深刻な症状を確認し、
うち2人はすでに死亡していたという。「(放射線を)直接受けた人たちと同じように脱毛がある。それから歯ぐきか
らの出血ね、それから下血、発熱と。そういうような症状でしたね。」(玉垣
氏談)しかしアメリカ人の上司は衛生状態の悪化が原因だと一蹴し、この調査を打ち
切ったという。「(上司は)あの当時の人たちは衛生状態が悪いから腸チフスにかかっても不
思議はない」と。「それを聞いて玉垣さんはどう思われましたか?」(記者)
「私はやっぱり原爆の影響だと思いましたよ。」ABCCから放影研に変わった後も、内部被曝の調査は再開されることはなかった。
[…]
広島大学原爆放射線医学科学研究所 大滝慈(めぐ)教授談
「内部被曝のような問題がもし重要性が明らかになりますとですね、アメリカ
側が想定してきたようなですね、核戦略の前提が崩れてしまうのではないかな
と思います」[…]
内部被曝を調査の対象から外した放影研。福島の原発事故の発生から1年が経っ
た今年3月、大きな方針転換を決めた。それは・・・内部被曝を調査の対象から
外した放影研が新たな方針を決めた。「過去の業績と蓄積した資料を使ってですね、原発に限らず、一般の放射線の
慢性影響に関する世界の研究教育のセンターを目指そうと。」(大久保氏、放影
研会議の席上で)取り扱い注意と記された放影研の将来構想、内部被曝を含む低線量被曝のリスク
を解明することを目標に掲げていた。原爆投下を機に生まれた研究機関は、今、
原発事故を経て方針転換を余儀なくされている。
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ビデオ「知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研」を見る。
◇切り捨てられた被爆者〜残留放射線の闇を追って