(抜粋)
1997年から4期務めた村上達也前村長は、99年に核燃料加工会社のジェー・シー・オー東海事業所が臨界事故を起こし、原発への疑念を深めてきた。
2011年3月、隣の福島県で東京電力福島第一原発事故が起きる。東海第二原発もあと少し津波が高かったら、海水によってすべての電源が使えなくなり、福島第一と同じ状態になっていたおそれがある。村上氏は東海第二を廃炉にするよう強く主張し、12年には「脱原発をめざす首長会議」の世話人にもなった。
これに不満を募らせたのが下路氏らだ。「村は約50年も原子力とつき合ってきた。従事する人々もこの村をつくってきたのに意見を聞こうとしない」「コンビニや旅館の売り上げが激減しているのに、『クリーンエネルギー』と説かれてもなんにもならない」
下路氏は、東海村を含む茨城4区から出ている梶山弘志衆院議員(自民党)の秘書を務め、10年の県議選で初当選した。その梶山氏は日本原子力研究開発機構の前身である動力炉・核燃料開発事業団の元職員だ。
保守系村議らも原子力関連企業に支持されている。その一人は村上氏の言動を「脱原発に偏りすぎだ」とはきすてるように言った。とはいえ、村上氏には「脱原発」に共感する村民がつき、現職の強みもあった。3期、4期目の村長選では対抗馬が立ったが、惜敗していた。
今回の村長選は負けられない。そこで梶山氏や下路氏が注目したのが、隣の日立市にある日立製作所へ通う従業員らの票だった。まとめられるのは、日立労組出身で民主党幹事長を務める大畠章宏衆院議員だ。
(略)
5月、佐賀県や福岡県が補助金を出すがん治療施設(佐賀県鳥栖市)の開設記念式典でのことだ。九州電力の前会長で九州経済連合会長だった松尾新吾・九電相談役がこう言い放った。
「(原発停止で)1日10億円の赤字だ。(原発が)4日早く運転すれば、なんていうことない」
がん治療施設の建設は、九電からの寄付金40億円を頼りにしていた。だが、九電は原発停止で収支が悪化し、11年度末に約3億円を寄付した後は支払いが滞っていた。松尾氏の発言は、原発を動かせたら寄付金も出せるというものだ。
その後、佐賀県議会の抗議で松尾氏は謝罪に追い込まれたが、電力会社の傲慢(ごうまん)さを示す騒動になった。
滋賀県の嘉田由紀子知事は12年夏、関西電力大飯(おおい)原発(福井県)の再稼働でその力を知った。隣の県にある原発の再稼働に抵抗したが、外堀を埋めるように圧力がかかった。
「県が電気をつくってくれるのか」。前年には節電に協力してくれた企業の態度ががらっと変わり、こう迫ってきた。滋賀県には製造業の工場が多く、その意見を無視できない。「(関電が)いろんな説明をしたからでしょう。知事の力は電力会社にとって小さいものだとわかった」
嘉田知事は今、新潟県の泉田裕彦知事の次の知事選を心配している。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に慎重な姿勢を見せているからだ。「電力から目をつけられては当選できない。それほどのパワーを持っている」
(略)
<2012年>
5月 北海道電力泊原発3号機が定期検査に入り、国内の原発50基すべてが停止
野田政権が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決める。関西広域連合が「事実上容認」の姿勢を打ち出したため
7月 原発再稼働に反対する抗議行動が全国に広がる
8月 野田政権が夏に取り組んだ国民的議論について、「少なくとも過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる」との検証結果を示す
9月 原発の安全性を科学的に確かめる原子力規制委員会が発足
野田政権が「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす革新的エネルギー・環境戦略を決める
12月 総選挙大勝で発足した安倍政権が民主党政権の「原発ゼロ」方針を白紙に戻し始める
<2013年>
7月 東電原発事故を教訓とした新しい原発の規制基準が施行。電力4社が5原発10基の再稼働を求めて安全審査を申請
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