福島第1原発事故:「長期宿泊」も揺れる住民…田村市都路 via 毎日jp

東京電力福島第1原発事故による避難区域で初の長期宿泊が1日始まった福島県田村市の都路(みやこじ)地区では、午後も帰郷を望む被災者が通りを行き来した。しかし、山林などでは依然として放射線量の高い箇所があり、実際に「帰郷」を始めた人はごくわずかだ。【藤原章生】

他の避難区域に先駆け、昨年4月にいち早く、日中の滞在ができる「避難指示解除準備区域」(年間被ばく 線量20ミリシーベルト以下)に再編された同地区。長期宿泊に向け、住民たちは帰還の準備を進めてきた。この日もペンションや畳店の経営者、農家などが同 地区に入り、仕事の準備などに追われる姿が見られた。

無職、宗像民治さん(60)は、自宅の田んぼにトラクターを入れ土をおこしていた。自宅は明治時代に建てられた古民家で、帰郷に向けてこれまでも時折訪れ、田おこしや部屋の片付けを進めてきた。

年老いた両親は原発20キロ圏外の同市内の仮設住宅に暮らし、宗像さん自身は妻子と同県郡山市で避難生活を続ける。「ここは父親の古里。環境がよくなれば、もちろん家族みんなで戻りたい」と望んでいる。

だが、住居などの除染は6月に終了したものの、自宅裏手の杉林の除染は手つかずのままだ。環境省の担当 者に「除染効果は薄い。山側の部屋に1日いれば年間被ばく線量は20ミリシーベルトになる」と言われたという。長期宿泊が始まっても「帰れる状況ではな い」と話し、自宅のカレンダーは原発事故があった2011年3月のままにしている。

避難生活も3年目を迎え、仮設で新たにできたコミュニティーも大切だ。住民ぐるみで子どもたちの面倒を見る親密な関係もできた。自治会長の坪井和博さん(65)は「町の便利さと、ここの温かさは簡単には捨てられない」と話す。

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