ビキニ被ばく:忘れられた1000隻の漁船 映画化で注目 via 毎日jp

 米国によるビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった−−。ほとんど知られていない史実を掘り起こした地方テレビ局制作のドキュメンタリー番組が、ディレクターらの熱意で映画化され、全国に自主上映の動きが広がっている。【日下部聡】

ビキニ環礁周辺では1954年3〜5月に計6回、水爆実験があった。当時、近くの海域には静岡県の第五福竜丸を含め約1000隻の日本漁船が操業しており、3分の1は高知県の漁協所属だった。

昨年9月に公開された映画「放射線を浴びたX年後」は、この高知の元マグロ漁船員を追った83分間のド キュメンタリーだ。「うちのおじいさんだけ骨がごちゃごちゃ」。映画の中で、元甲板員の妻が99年に74歳で病死した夫の火葬を振り返る。原爆の被爆者に も、火葬で骨がほとんど残らないケースが報告されている。

消息が分かった241人の3分の1は50〜60代になる前に死亡、生存者も病気に苦しんでいた。がんが目立ち、放射線障害とみられる症状の出た人も少なくなかった。

政府は第五福竜丸以外の船員の健康被害について調査をしないまま、翌55年1月には米政府から慰謝料200万ドルを受け取って問題を決着させた。この年には放射性物質が日本全土を覆い、米国がひそかに測定していたことも米政府の文書に記録されていた。

映画はこうした事実を抑制されたトーンで次々に明らかにする。

基になったのは愛媛県の南海放送(日本テレビ系列)が04年以降放送したドキュメンタリー番組だ。ディ レクターの伊東英朗(いとう・ひであき)さん(52)が元高知県立高教諭、山下正寿(やました・まさとし)さん(68)=同県宿毛市=の地道な活動を偶 然、インターネットで知ったのがきっかけだった。

地域史研究の自主ゼミを主宰していた山下さんは、地元の高校生たちと85年から被ばく船の調査をしていた。口の重かった元船員たちも高校生には心を開き、実態が少しずつ明らかになっていた。

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