’11広島の1年:核問題 原発事故、問われた被爆地 /広島 via mainichi.jp

3月11日の東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発は、放射性物質をまき散らし、人々から命と暮らしと尊厳を奪った。大勢の住民が帰郷を果たせぬまま、厳しい冬を迎えている。現実となった甚大な核被害に、全国で「脱原発」の声が沸き起こった。広島でも大勢の市民によるデモが繰り返された。原発事故は、被爆地・広島の立ち位置を問うた。

 5月、菅直人首相(当時)の要請で浜岡原発(静岡県)が運転を停止した。しかし、中国電力は業界に足並みをそろえて原発推進の姿勢を堅持する。6月の株主総会では、上関原発(山口県)建設計画の中止など「脱原発」の株主提案は全て否決された。

 迎えた8月6日。4月に就任した松井一実・広島市長の平和宣言に注目が集まった。松井市長は福島の原発事故に絡み「原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘し、「エネルギー政策の見直し」を国に迫った。しかし、自らの言葉として「脱原発」とは言わず、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長を務めた故森滝市郎氏の言葉「核と人類は共存できない」を引用しながら、「脱原発を主張する人々がいる」と述べるにとどめた。こうした言い回しに、賛否が分かれた。

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