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『広島は「原子力平和利用」宣伝のターゲットであった:田中利幸』 on Peace Philosophy Centre

「原子力平和利用」と広島

広島平和研究所・教授 田中利幸

「原子力平和利用」として推進されてきた原発が、いかに自然災害に対して脆いかを、今回の福島第1原発事故はまざまざと知らしめた。一旦事故が起きれば、原発にしろ、依然として未解決の使用済み燃料の問題にしろ、それらが人間と環境の双方に致命的破壊をもたらす危険性と損害は、核兵器同様に計り知れないほど膨大なものであることを、今回、我々は再認識させられた。

「原子力平和利用」の発端は、周知のように、1953年末に米国大統領アイゼンハワーが国連演説で表明した“Atoms for Peace”である。しかし、この政策で米国政府が真に目指したものは、同年8月に世界初の水爆実験に成功したソ連を牽制すると同時に、西側同盟諸国に核燃料と核エネルギー技術を提供することで各国を米国政府と資本の支配下に深く取込むことにあった。日本もこの米国政策のターゲットにされ、原爆体験という背景から核への反感が根強い日本に原発推進を本格的に促そうとしていた矢先の54年3月、ビキニ環礁における米国の水爆実験で第5福竜丸が死の灰を浴びるという大事件が起きてしまった。この事件が日本の反核感情に火をつけることになり、またたくまに全国で核実験即時停止を求める運動が展開され、日本全国では3200百万人、広島では百万人が署名に加わった。その結果として55年8月6日、広島で初の原水爆禁止世界大会が開催された。

続きは『広島は「原子力平和利用」宣伝のターゲットであった:田中利幸』 on Peace Philosophy Centreから。

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