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広島原爆アーカイブ 「近寄るな」軍人、病床で最期の抵抗 via 毎日新聞

(抜粋) 写真は1945年9月10日の撮影で、古原さんは日米開戦の41年ごろ病院に勤め始めた。瀬戸内海を望む衛生的な職場だった。  8月6日。病棟を掃除していた古原さんは、北東約20キロの広島市を襲った青い閃光(せんこう)を見た。息つく間もなく、負傷者が運び込まれる。約500床はたちまち満床になった。  ひと月も過ぎた頃だ。「アメリカ軍が来るぞ」。トラブルを避けるため患者の軍刀を回収することになった。拒んだのが20代の軍人「小林さん」だった。  小林さんはやけどで全身に包帯を巻き、寝たきりだった。包帯を替えると「ありがとう」と言う優しさがあったが、軍刀を手放そうとしなかった。古原さんは懇願した。「私が命をかけて守ります」。古原さんが保管することを条件に小林さんは軍刀を差し出した。  数日後、小林さんらの病室に軍服を着た米国人の4、5人が現れた。小林さんは床に身をよじらせ抵抗した。「帰れ!」。包帯のすき間から射るような目を光らせ、叫んだ。「近寄るな!」。調査団はたじろぎ、その病室の視察を取りやめた。 (略) 写真から目を離し、古原さんが声を絞り出した。「何のために苦しみ、誰のために看護したのか。こんな思いは誰にもしてほしくない」【山田尚弘】 全文は広島原爆アーカイブ 「近寄るな」軍人、病床で最期の抵抗 

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シンポジウム 原爆体験と戦争記憶、継承のあり方考える 来月2日、広島大で /広島 via 毎日新聞

 広島大平和科学研究センターによるシンポジウム「原爆体験・戦争記憶の継承~託す平和遺産」が8月2日午後1時、中区東千田町1の広島大東千田キャンパスである。被爆者の高齢化が進むなか、行政や資料館を含めた継承のあり方を考える。  被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は今年3月末現在で81・41歳に達し、体験の継承は喫緊の課題だ。 (略) シンポジウムでは、こうした活動を踏まえて継承のあり方を見つめる。▽そもそも個人が体験を継承できるのか▽継承のため大学や行政は何ができるのか▽地上戦と米軍統治を経た今なお在日米軍専用施設の約7割が集中する沖縄との違い--などをテーマに、原爆資料館の志賀賢治館長や英シェフィールド大大学院のグレン・フック名誉教授らが講演し、パネルディスカッションする。  入場無料。同時通訳付き。先着100人で事前申し込みを求めている。問い合わせは同センター(082・542・6975)。【平川哲也】 全文はシンポジウム 原爆体験と戦争記憶、継承のあり方考える 来月2日、広島大で /広島 

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原爆投下部隊アルバム 「第509混成群団」21日から公開 via Yomiuri Online

 ◇東住吉 編成や生活知る史料  第2次世界大戦で、広島、長崎に原爆を投下した米軍の「第509混成群団」が作成したアルバムが、大阪市東住吉区の「須田画廊」で21日から始まる「模擬原爆展」で公開される。搭乗員がB29爆撃機の機体の前に集まって撮った写真や、太平洋・テニアン島の基地内を写した写真が収録されており、研究者は「群団の部隊編成や基地での生活がわかる貴重な史料」としている。(南部さやか)  模擬原爆は広島、長崎に投下された原爆と同じ形状、重さで、原爆の投下訓練用として米軍が開発した。模擬原爆の調査、研究をしている愛知県春日井市の「春日井の戦争を記録する会」によると、同群団は1945年7月20日から8月14日にかけて、東京、大阪、愛知など18都府県の約30都市に計49発を投下。400人以上が死亡、1500人以上が負傷した。東住吉区の田辺地区では、7人が死亡、73人が負傷したという。 (略) アルバムは同会が1996年に米軍関連の史料収集家から入手したもので、約100ページある。隊員がそれぞれ、自分が乗り込む機体の前に集まって撮られた写真のほか、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長(2007年、92歳で死去)も、顔写真とともに紹介されている。エノラ・ゲイが日本に向けて出撃したテニアン島の基地内にはダンスホールやプールがあり、そこでくつろぐ隊員の写真も収められている。  同会によると、アルバムは終戦後、テニアン島の基地を去るときに作成され、隊員のみに配布されたという。同会と共同で模擬原爆の研究を続け、ティベッツ元機長と95年に対談した元徳山高専教授の工藤洋三さん(67)は、「当時はベールに包まれていた、群団内部の様子を知ることができる」としている。  史料展を企画した一人で、実行委の大久保敏さん(70)は、「模擬原爆を知らない人はまだ多い。証言者も高齢で亡くなる中、展示を通じて広島、長崎につながる被害があったことを知ってほしい」と話している。 全文は原爆投下部隊アルバム 「第509混成群団」21日から公開

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NHK、ドキュメンタリー番組「”原爆の絵”は語る」を8Kで制作。ナビゲーターの波瑠が収録の感想を語った。2Kは8/6放送 via Stereo Sound Online

(抜粋) 「”原爆の絵”は語る」は、広島平和記念館に収蔵されている、被爆者自らが描いた膨大な原爆の絵を元にしたドキュメンタリー。昭和40年代に、ある一人の被爆者の発案によって始まったものだそうで、NHK広島が募集を行ない、これまでにおよそ4200枚もの絵が、同館に寄せられているという。 NHKではまず、その貴重な絵を、約1億画素のセンサーを持つスチルカメラによって静止画撮影。広島平和記念館の一角に専用の撮影ルームを作り、およそ2ヵ月の時間をかけてデジタル化したという。絵のサイズによってはレンズの収差が目立ってしまうものもあるため、複数のショットをステッチ(つなぎ合わせ)して1枚に仕上げたものもあるそうだ。完成した画像は1枚あたり15K相当のデータ量があり、拡大表示しても8K相当の解像度で見られるようになっている。 (略)  番組のチーフ・プロデューサーの大久保氏は、「絵のリアルさを(8Kの映像を通して)体感してほしい」と語っていた。また、なせ8Kなのかについては、2年前の2015年に、被ばく遺品を8Kで撮影したミニ番組を制作した際、映像から伝わってくるリアルさに魅了されたのがその理由だという。 なお、デジタル化した画像については、NHKが専用のアプリ「インタラクティブ8Kビュアー」を開発。手元のタブレットで操作した映像を、8Kモニターに表示して見られるシステムを構築。8月1日~16日まで、広島平和記念資料館で展示する予定だ。 具体的には、4200枚の絵の中から時系列の判別のつく約1000枚を、広島の爆心地を中心にした写真に、時間、場所のタグをつけてマッピング。同時に、絵の裏書や聞き取り調査などによって、絵の説明文も表示できるようにしている。時系列の分からないものについても、作者や内容などによって検索できるようになっている。 ●番組「”原爆の絵”は語る」 <2K放送> 8月6日 NHK総合 13:05~13:48 <スーパーハイビジョン(SHV)試験放送> 7月31日~8月2日、8月4日~9日、8月11日~16日 13:00~13:43 全文はNHK、ドキュメンタリー番組「”原爆の絵”は語る」を8Kで制作。ナビゲーターの波瑠が収録の感想を語った。2Kは8/6放送 

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被爆証言聞く会 バーから伝えた8月6日…37歳店主逝く via 毎日新聞

活動記録、20日出版  広島市中区のバーで11年にわたって被爆証言を聞く会を開いたマスターが今月3日、37歳で亡くなった。被爆3世の冨恵(とみえ)洋次郎さん。広島生まれなのに原爆に無知だった自分を恥じ、証言を聞く場を自らの店に設けた。被爆者の思いや語り継ぐ大切さを伝えようと、冨恵さんが病に侵されながらつづったエッセーと会の記録が20日に出版される。【東久保逸夫】 本のタイトルは「カウンターの向こうの8月6日」。冨恵さんは高校卒業後、20歳でバー「スワロウテイル」を構えた。被爆した祖母がいながら、原爆について客に聞かれても答えられず、もどかしさを覚えた。2006年2月から、原爆の日に合わせて毎月6日に聞く会を開催。「原爆を売り物にするな」と非難も浴びたが、新たな試みに多くの若者が足を運んだ。  本にはバーでマイクを握った「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(故人)らの証言や被爆者たちとの交流、被爆体験の継承について自問した日々がつづられている。昨夏に出版依頼があり、「近い将来、被爆者はいなくなる。今書いておけば読んでもらえるし、間違いも指摘してもらえる」と筆を執った。  だが、この年の暮れ、冨恵さんを病魔が襲った。今年1月には、末期の肺がんで余命2カ月と宣告された。声がかすれ、薬の副作用で髪が抜け落ちていった。生きた証しを刻むように、冨恵さんは書き続けた。校了した原稿が届いた6月、友人の代読で一字一句を最終確認した。作業をやり遂げた約10日後、永い眠りに就いた。 (略) 今月6日にあった140回目の「聞く会」で証言をする被爆者の寺本貴司さん。背景には冨恵さんの写真が張られていた=広島市中区で2017年7月6日、山田尚弘撮影 (略) 本は230ページで税別1400円。問い合わせは光文社(03・5395・8172)。 全文は被爆証言聞く会 バーから伝えた8月6日…37歳店主逝く

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こうの史代「夕凪の街 桜の国」舞台化、原爆投下後の広島市を描く物語 via コミックナタリー

こうの史代「夕凪の街 桜の国」を原作とした舞台が、8月19・20日に大阪・HEP HALL、8月30日から9月3日に東京・シアターグリーン BIG TREE THEATERにて上演される。 「夕凪の街 桜の国」は、漫画アクション(双葉社)に掲載された作品。原爆投下後の広島市を舞台に、原爆の被害に苦しみながらもたくましく生きる家族の姿を描いた。2004年に第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を、2005年に第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞し、2007年には田中麗奈主演で映画化された。 (略) STRAYDOG Produce公演「夕凪の街 桜の国」 大阪公演 日時:2017年8月19日(土)・20日(日) 会場:HEP HALL 東京公演 日時:2017年8月30日(水)~9月3日(日) 会場:シアターグリーン BIG TREE THEATER 原作:こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社) 脚本・演出:森岡利行 出演:森岡朋奈、葉月 / 寺田安裕香、藤井凜華、小泉茜、中島舞香、森岡里世 / 布施紀行、三嶋健太、谷遼、柴田明良、那波隆史、重松隆志、中原和宏 / 城咲仁 ほか 全文はこうの史代「夕凪の街 桜の国」舞台化、原爆投下後の広島市を描く物語 

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岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち セントラルパークの自動車修理工(下)via Niftyニュース

(抜粋) でも、トヨタはは日本の会社だから、絶対に働かない。日本人というより、国としての日本が嫌いなんだ」。 理由を聞くと、子供の頃、彼をかわいがってくれた高齢の男性について話し始めた。 「その人が、『バターン死の行進』(Bataan Death March)の生存者だった。日本がアジアでどれだけひどいことをしてきたか、聞かされたよ」 第2次大戦中、フィリピンのバターン会戦で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜約8万人が、炎天下の過酷な状況で捕虜収容所まで歩かされ、多くの死者が出た。 捕虜の数が想定をはるかに超えたため、当初計画したようにトラックで移送できず、食糧や水も不足していた。すでに捕虜の多くが飢えやマラリア、赤痢で苦しんでおり、日本兵の暴行や残虐行為などもあって、収容所での死者を含むとその数は3万人ともいわれる。 当時の責任者は戦後、処刑され、岡田克也外相(当時)などが謝罪している。「バターン死の行進」がいかに残虐だったか、これまで何人ものアメリカ人が私に語った。 これに対し、「護衛の日本兵も歩き、多くが死んだ。長距離の徒歩での移動は日本兵にしてみれば常識で、捕虜を殺すつもりはなかった」、「捕虜になるのは恥と日本兵は教え込まれていたため、捕虜に対する人道的な意識に欠けていた」といった声がある。 「日本もイスラム教徒を受け入れたらどうだい?」 (略) 「日本もひどいことをしてきた。でも、だからといって、あなたは原爆を正当化できるの?」と私が聞いた。当時10歳だった私の義母は、広島の原爆で両親と兄を一度に失った。 「できる」。即答だった。 「原爆を落とされたくなかったら、真珠湾を攻撃するな」「原爆は核兵器で、しかも一般市民を殺したのよ」「君たちはアメリカ人を殺した。負け惜しみを言うな。僕は自分の国が原爆投下したことを、謝る気はない。戦争は地獄だ。戦争は悪の海だ(War is hell. War is an ocean of evil.)」 原爆を正当化するアメリカ人は年々減りつつあるものの、2015年のギャラップ調査によると、今も全体の56%を占める。その割合は、共和党支持者では74%と、民主党支持者の52%を大きく上回っている。 2017年7月7日、核兵器禁止条約がニューヨークの国連本部で採択された。しかし、米国など核保有国は、「安全保障環境の現実を明らかに無視している」と強く批判した。米国の核に守られている日本は、唯一の戦争被爆国でありながら、会議に参加すらしなかった。 トランプ大統領はこれまでインタビューなどで、「過激派組織「『イスラム国(IS)」』がアメリカを攻撃してきたら、核兵器使用もあり得る」、「核兵器を持っているなら、なぜ使えないのか」といった発言をしてきた。 全文は岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち セントラルパークの自動車修理工(下)

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広島原爆アーカイブ 被爆1カ月 毎日新聞記者が捉えた廃虚の広島 via 毎日新聞

広島への原爆投下から1カ月後の1945年9月、毎日新聞記者が撮影した写真は、廃虚と化した街並みの片隅に、生活再建に踏み出した人々の姿を捉えていた。一方で米軍調査団による視察の光景も収めており、連合国軍総司令部(GHQ)による報道統制が始まる直前の様子を伝える。 無残な焼け跡、復興ほど遠く   被爆1カ月後の広島を捉えた一連の写真は、毎日新聞大阪本社写真部に在籍した山上圓太郎、新見達郎両記者が1945年9月9~11日ごろに撮影した。広島原爆資料館の検証で判明した撮影ポイントは、広島県大野村(現廿日市市)を含む21カ所で、復興にはほど遠い状況を伝えている。 (略) 撮影直後、9月17日に九州に上陸した枕崎台風が広島に接近する。広島県内だけで2000人以上の死者・行方不明者を出し、人々の生活再建はさらに遠のくことになった。 (略) 45年9月9~11日ごろ、毎日新聞大阪本社写真部に在籍した山上圓太郎と新見達郎の両記者が撮影した。焼け残った建造物や病院を視察する米軍調査団の写真が中心で、市井の人々を捉えたカットは数えるほどしかない。 (略) 広島原爆戦災誌第1巻(広島市編、71年)はこのヤミ市について「(45年)八月末から九月上旬はムシロを敷いてあきなう露店が出ていた」と書いたが、再開発された現在の広島駅前にその面影はない。駅南口から猿猴川に架かる駅前大橋を渡り、近くに建つ雑居ビルの階上から東側を仰ぐ。200メートルに届かんとする高層ビルが正面にそびえ、整備された川岸にはランニングする女性の姿があった。 (略) 原子野に芽吹く緑  人の姿こそないが、被爆地の再生を予感させる写真もある。軍用地だった広島城の周辺(地図16)に芽吹いたカボチャを撮影した1枚だ。広島県立総合体育館(広島市中区)のかいわいを歩く。地下階の頭上を渡す通路が、映画で見た近未来都市を思い起こさせた。街路樹にふと目を向ける。枝々に咲く花が西日を浴び、まぶしいばかりのピンク色を放っていた。【平川哲也】 全文は広島原爆アーカイブ 被爆1カ月 毎日新聞記者が捉えた廃虚の広島 写真は広島原爆アーカイブ写真特集 毎日新聞記者が捉えた被爆1カ月の広島

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朝鮮半島出身者も原爆の犠牲に 証言や活動をパネルで紹介 立川で23日まで via 東京新聞

一九四五年八月六日と九日、広島と長崎に投下された原爆で犠牲になった朝鮮半島出身者らに焦点を当てたパネル展「ヒロシマ・ナガサキ 日本人以外の被ばく者」が、立川市柴崎学習館で二十三日まで開かれている。  高麗博物館(新宿区大久保)が制作した写真入りパネル二十三枚を展示している。広島、長崎で原爆で亡くなった朝鮮半島出身者は計約四万人、被爆して生存したのは計約三万人と推計されるという。家族で広島に移り住み、勤め先で被爆した女性の証言や、韓国で初めて被爆二世であることを公表した男性の活動をまとめたパネルなど (略)  柴崎学習館の職員加藤倫子さんは「被爆して亡くなったのは日本人だけではないということを、もっと知ってもらいたい」と話した。  十六日午後一時半~三時半には高麗博物館朝鮮人被爆者研究会のメンバーによる解説もある。入場無料。定員三十人。申し込みは柴崎学習館=電042(524)2773=へ。 全文は朝鮮半島出身者も原爆の犠牲に 証言や活動をパネルで紹介 立川で23日まで

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「原爆スラム」番組にヤンキーが映る理由 NHKディレクターの”ふんわり”手法 via President Online

日本のテレビドキュメンタリーで「戦争もの」は大きなテーマだ。今年6月に放送された2本の番組のうち、1本は88歳による「伝統の集大成」だったのに対し、もう1本はまるで『ドキュメント72時間』のように「ゆるい」番組だった。だが、コラムニストの更科修一郎氏は、後者に込められた「青臭さ」を評価する。その理由とは――。 6月11日『テレメンタリー2017』(テレビ朝日)は、「もうひとつのヒロシマ~88歳ディレクター 執念の取材~」であった。 88歳のテレビディレクター、鈴木昭典がニュージーランドで70年間続いている「ヒロシマ・デー」というイベントを訪れる場面から始まる。原子爆弾投下後の広島に駐在した連合国軍はイギリス連邦軍が中心で、広島の惨状に衝撃を受けたニュージーランド軍兵士が帰国後に始めたのだ。 鈴木の視点は、なぜ、日本から遠く離れたニュージーランドで「ヒロシマ・デー」が続いているのか、という疑問へ踏み込んでいく。 現地の現代史研究家がマーシャル諸島の核実験後に生まれた奇形児(ジェリーフィッシュベイビー)の写真を紹介し、クリスマス島の核実験に参加した退役軍人たちへのインタビューが続く。そして、被爆の後遺症を抱える彼らへの染色体調査から、放射能被曝による染色体異常が彼らの子孫にまで影響していることが示唆される。その真偽はさておき、イギリス本国から離れたニュージーランドはイギリス連邦の核実験場であり、広島への原爆投下は遠い国の出来事ではなかった。 イギリスが撒き散らした呪いが結果として、別の遠い国の惨劇を語り継ぐ運動を創り出し、1987年、デビッド・ロンギ政権時代に非核法が成立したが、鈴木がその成立経緯を知るジェフリー・パルマー元首相と面会する日に「偶然」、日本の核禁止条約交渉不参加が伝えられた。元首相は「当然」、失望のコメントをつぶやく。非核法の理念の元になったのは、日本国憲法だったのに、と。 次に、鈴木はフランスが南太平洋で行っていた核実験を追っていく。1966年から193回の核実験を行ったフランスは、ニュージーランドなどの反対活動を受け、1996年、ようやく実験を停止した。フランス領だったタヒチ島の住民もまた、核実験の影響と思われる奇怪な健康被害を訴え、核実験被害者支援団体の代表やムルロア環礁の核実験場で働いていた男性へのインタビューが入る。 取材を終えた鈴木が、戦争体験者の矜持から核廃絶と平和を訴え、映像は終わる。テレビドキュメンタリーとしては模範的な構成だが、88歳のテレビディレクター、鈴木の作為が随所に見え隠れする。 (略) 『仁義なき戦い』シリーズの大半は東映京都撮影所周辺で撮影されたが、この作品だけ広島ロケが行われている。1973年の広島にはまだ、辛うじて原爆スラムが残っており、いくつかの風景が「1950年頃の広島」として映っている。 高度経済成長期のバラック住民たちを訪ね歩く 1978年まで、広島の爆心地近くの川岸に、家を失った人々の集落があった。 1945年9月、原爆投下に続く枕崎台風の惨禍の後、広島大本営第五師団司令部の跡地に越冬用バラックを建てたのが発端で、これが「相生通り」と呼ばれるバラック集落へ発展した。現在の相生通りとは異なり、本川沿いの基町一帯に存在していた集落は1950年代に入ると、狭い路地の両側に老朽化したバラックと不法家屋が幾重にも立ち並ぶ迷路のようなスラムと化した。 (略) 広島市が意図的に原爆を利用し、国からスラムクリアランスの補助金を引き出そうとしていた、という事実。そして、被爆者以外の生活者が存在しなかったかのように、都市の記憶も改竄した、という事実。 一見、ゆるくぼんやりとした印象を受ける60分の映像は、この二つの事実から逆算していくように構成されている。付け加えると「原爆スラムの後日談」は、NHK広島放送局が2013年に制作した地域発ドラマ『ドキュメンタリードラマ 基町アパート』で、フィクションとして語られている。中国残留孤児の問題と絡めて。 全文は「原爆スラム」番組にヤンキーが映る理由 NHKディレクターの”ふんわり”手法 

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