Tag Archives: 広島・長崎

チェ・ゲバラ 広島で感銘 妻宛てのハガキ見つかる via 毎日新聞

キューバ革命を指導したチェ・ゲバラ(1928~67)が59年7月に広島を訪問した際、現地から妻に宛てて送ったハガキがキューバで見つかった。「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」などと記され、自ら熱望して訪れた広島で感銘を受けた様子が伝わる。没後50年を記念し、16日から中区で開かれる企画展「広島・キューバ展」で、ゲバラが平和記念公園で撮影した2枚の写真などとともに展示される。 (略) 7月に日本に到着したゲバラは、広島行きを熱望し、急きょ予定を変更して25日に広島を訪問した。原爆慰霊碑に献花し、原爆資料館を見学。「米国にこんなひどい目に遭わされて、(日本人は)怒らないのか」と述べ、被爆者とも交流したという。  ハガキの内容は遺族らの証言で明らかになっていたが、企画展の実行委事務局長で、中南米で20年暮らした元新聞記者の堀江剛史さん(42)=南区=が今年、キューバの首都ハバナにあるチェ・ゲバラ研究センターに現物が保管されていることを確認した。7月25日の広島の消印で妻アレイダに宛て、「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」とつづっている。  ゲバラの他の手紙も読んだという堀江さんは「ユーモアを交じえた文言が多い中、このハガキは真面目な文面で、ぜひ広島を見てほしいという気持ちが表れている」と指摘。「帰国報告書にも広島に関する記述は多く、核兵器の脅威を目の当たりにしたことが強く印象に残ったのだろう」と話している。     ◇  広島・キューバ展は、中区の旧日本銀行広島支店で24日まで。このハガキや本人が広島で撮影した写真をパネル展示するほか、広島から多くの人が移民としてキューバに渡った歴史などを伝える。  期間中、広島市映像文化ライブラリー(中区)ではキューバ映画特集、ブルーライブ広島(南区)ではキューバ音楽やダンスのイベントも実施する。詳細はホームページ(https://www.facebook.com/1959guevara/)。【竹下理子】 全文はチェ・ゲバラ 広島で感銘 妻宛てのハガキ見つかる

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「福島事故前に戻る」と懸念 長崎大の核廃絶センター長 via 福井新聞

長崎大の鈴木達治郎・核兵器廃絶研究センター長は19日、東京電力福島第1原発事故後の原子力政策をテーマに、佐賀市で講演した。原発立地自治体への交付金制度などが残る現状のままでは「(原発を推進していた)福島事故前に戻りかねない」と懸念。抜本的に政策を転換して原発への依存度を減らすよう、日本政府に求めた。 原子力工学や核軍縮問題を専門とする鈴木氏は、福島事故を挟む2010年1月から14年3月まで、内閣府原子力委員会の委員長代理を務めた。「事故を防げなかった責任を私も負っている」と回想。 続きは「福島事故前に戻る」と懸念 長崎大の核廃絶センター長

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広島、長崎、福島、ウクライナ 核廃絶、平和 アートで発信 子供の巨大壁画など 中区 /広島 via 毎日新聞

原爆や原発事故により、放射能の被害を受けた広島、長崎、福島、チェルノブイリのあるウクライナの市民などが連帯し、アートで世界に平和を発信するイベントが、中区の旧日本銀行広島支店で開かれている。子供が描いた巨大壁画「キッズゲルニカ」や、福島の復興を願って絵付けされた会津の伝統玩具「起き上がり小法師」などが並ぶ。13日まで、入場無料。  広島のNPO法人などで作る実行委が主催。核廃絶や世界平和を願う気持ちを、美術作品や音楽を通して表現している。キッズゲルニカは、画家のピカソがスペイン市民戦争に抗議して制作した「ゲルニカ」と同じ大きさ(縦3・5メートル、横7・8メートル)のカンバスに子供が絵を描くプロジェクトで、今回7点を展示した。 (略) 詳細はホームページ(www.peace-art-music.com/)。 全文は広島、長崎、福島、ウクライナ 核廃絶、平和 アートで発信 子供の巨大壁画など 中区 /広島

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被爆2世、消えぬ不安=遺伝恐れ、差別も体験-原爆忌 via 時事通信

広島の被爆者を父母に持つ「被爆2世」の不安は、原爆投下から72年がたつ今も消えない。今年になって26人の2世が、国に慰謝料を求める訴訟を広島地裁に起こした。原告の1人、広島県福山市の中学校教員占部正弘さん(59)は、10年前から喉の痛みを感じている。被爆し、肝臓がんで亡くなった父を思い、放射能の影響に恐れを抱き続ける。 全国被爆2世団体連絡協議会によると、被爆2世は全国に少なくとも30万~50万人いるとされる。訴訟で被爆2世らは、放射線の影響は遺伝している可能性があり、健康不安を抱えているのに十分な支援を受けていないと主張。国側は「遺伝は科学的に立証されていない」と反論している。 占部さんの両腕には子どもの頃に突然、白斑ができた。被爆直後、父親の背中にできたものと似ている。「体の表面に遺伝があるのなら、内部にもあるかもしれない」という思いが消えない。 約20年前、被爆2世の知人女性が乳がんのため40代で亡くなった。女性からは、「2世はがんになりやすいから」と注意を促されていた。「もし彼女が被爆者として認められていれば、健康手帳を交付されていれば、生きていたかもしれない」。そう考え、訴訟への参加を決めた。 訴訟で被爆2世は、差別の存在も訴える。占部さん自身もかつて縁談が持ち上がった際、仲人から「(2世であることは)相手方に言わん方がいい」と勧められた経験がある。結婚後、被爆2世であることを隠したままの人は少なくないという。 仮に勝訴しても、「2世は原爆の遺伝を受けた障害者だ」と、さらに差別を助長してしまうのではとのジレンマも感じる。それでも、「自分たちだけでなく、子や孫まで将来、がんになるかもしれない。その時に何の手だてもない方が問題だ」と、訴訟の意義を訴える。 2019年には教員を定年退職する。教え子の被爆3世にも健康不安が残ることを憂慮し、「裁判で勝てば、彼らも国の支援を受けられるようになる」と話す。教え子らには、「核のない平和な世の中のために、声を上げられる人間になってほしい」と願っている。(2017/08/06-19:25)     原文

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せんそう 次の世代にどう伝える?~ヒロシマの被爆者が語る(京都市) ―講師 米澤鐡志氏 2017.8.4 via IWJ

 2017年8月4日(金)18時半頃より、ひと・まち交流館京都(京都市下京区)において講演会「せんそう 次の世代にどう伝える?~ヒロシマの被爆者が語る」が開かれ、広島で市電乗車中に被爆した米澤鐡志氏がその体験を語った。原爆と原発を考える京都市民の会の主催。 ■Twitcasting録画(18:31〜 2時間1分) 詳細と動画はせんそう 次の世代にどう伝える?~ヒロシマの被爆者が語る(京都市) ―講師 米澤鐡志氏 2017.8.4

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沈黙の声は未来を語る 原爆忌に考える via 中日新聞

[…]  「この先が、林京子さんの小説『祭りの場』の舞台です」  日本学術振興会特別研究員の四條知恵さんに、教わりました。  四條さんは広島生まれ。広島平和記念資料館の学芸員を務めたあと、今は長崎大に籍を置き、“手のひらからこぼれ落ちていきそうな”被爆の記録と被爆者の記憶を集める仕事をしています。  ことし二月に亡くなった作家の林京子さんは、大橋工場に動員された勤労学徒の一人。十四歳の時でした。その日のことを克明につづった「祭りの場」という作品で、芥川賞を受賞した。被爆からちょうど三十年後のことでした。  正門のすぐ内側に立つ、長崎師範学校(現長崎大教育学部)の慰霊碑の周りでは、九日の慰霊祭の準備が始まっていて、ただ黙々と夏草刈りに汗をかく人の背中にも、祈りが見えるようでした。 「今」を描き続けた人  長崎の街そのものがそうであるように、兵器工場跡のキャンパスも、凝縮された記憶を宿すタイムカプセルなのかもしれません。  「歩いていると、被爆当時の光景が、立体映像のように立ち上がってくることがあるんです」。案内の足をふと止めて、四條さんが言いました。  四條さんは一方で、被爆者個々に異なる記憶や体験が「怒りの広島」「祈りの長崎」というレッテルや、「恒久平和」「核廃絶」のスローガンへと安易に集約されてしまうことには、違和感を覚えます。林さんが「被爆作家」と呼ばれることをいやがったのと、恐らく同様に。  <八月九日をなぜ私が書くか…>。林さんは「残照」という短編の中で、打ち明けます。  <被爆者である私は九日の再発を怖(おそ)れ、(息子の)桂に伝わるかもしれない後遺症を怖れて、桂の父親が愛想をつかすほど不安を訴えてきた。(中略)思想にも政治にも無縁な、親と子が無事に生きていたいための、個人的な苦悩から出発した仕事なのだ>と。  林さんは、“自ら血を流すようにして”現在進行形の不安や恐れを描き続けた人でした。過去よりも「今」を記した人でした。  それはそのまま、平凡な日常や命の尊さを訴える、同時代への警鐘でもありました。  <アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事(みごと)なセリフがある。-かくて破壊は終りました->  「祭りの場」は、このように結ばれます。痛烈な皮肉でしょう。  私たちは今現に、米国の核の傘の下にいて、核兵器禁止条約に署名すらできない国、隣国が打ち上げるミサイルに右往左往しながらも、長崎原爆の数千発分ともされる核物質との“共存”を続ける国で、平然と日々を送っています。  一九四五年の八月六日と九日で、原爆の破壊が終わったわけではありません。七十二年の時を経た今もなお、原子の力はこの国を脅かし、蝕(むしば)み続けているのです。被爆地は未来を憂う預言者です。 平和とは何ですか?  帰り道、涼を求めて飛び込んだ長崎市内の“スタバ”の壁に、ことしも掲示されていました。  <長崎は戦後七十二年目の夏を迎えます。あなたにとって平和とは何ですか?>というメッセージ。この街の記憶も記録も文学も、今と未来のためにある-。預言者の言葉は、コーヒーショップの壁にも書かれているのです。 全文

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内部被ばく影響長期 日露チーム ラット実験 via 毎日新聞

線量「外部」の16~220倍  日本とロシアなどの放射線被ばく専門家でつくる研究グループによる動物実験で、放射能を持ったマンガンを体内に取り込んで内部被ばくしたラットの内臓に、一定の時間がたっても異常が見られたことが分かった。原爆投下後の爆心地周辺では、人々が粉じんと一緒に放射能を持ったマンガンを吸い込んだ可能性が高い。国は原爆による内部被ばくの影響に否定的だが、研究グループは「健康被害の潜在的リスクを示唆する」としている。 […] 爆心地周辺では爆風で破壊された家屋などが粉じんとなって巻き上げられた。当時の家屋には土壁が多く使われていたが、土は二酸化マンガンを多く含み、マンガンは原爆がさく裂して中性子が当たると放射能を持つ。こうして放射性物質となった粉じんを人々が吸い込んだ結果、内部被ばくしたと考えた研究グループは、ラットを入れた装置(空間)に放射能を持たせたマンガンの粉じんを充満させ、影響を調べた。  その結果、1時間装置に入れたラットが、体外から浴びた放射線量が約6ミリシーベルトだったのに対し、粉じんを吸い込んだりしたことによる肺の被ばく線量はその約16倍、小腸は約220倍に達した。肺には出血や気腫が見られたほか、小腸の細胞が異常に増殖した。細胞増殖は60日たっても顕著だった。  内部被ばくによる影響を調べる研究では、広島大の大滝慈(めぐ)名誉教授(統計学)らが昨年2月、原爆投下直後に救護のため広島市内に入った元少年兵を対象にアンケートしたところ、粉じんを浴びたグループの急性症状の発症頻度が、浴びていないグループの10倍以上だったことが分かっている。今回の動物実験も内部被ばくの影響を示唆しており、実験結果をまとめた論文は今年2月、ドイツの放射線医科学誌(電子版)に掲載された。  研究グループの一人、長崎大原爆後障害医療研究所の七條和子助教(病理学)は「放射性物質を取り込んだことの影響は日がたってもみられた。がん発症との因果関係を証明するにはさらに研究が必要だが、貴重な実験結果だ」と話した。【加藤小夜】 […]     全文

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被爆体験 「核も原発も駄目だ」 乳児で手足まひ、さらに被爆 88歳の田部さん、数年前に /広島 via 毎日新聞

「ゲンバク、ゲンバク……」。東区の公営住宅に住む被爆者の田部正行さん(88)は、「当時の思い出を語ってほしい」と尋ねる私(記者)に対し、同じ四文字の言葉を繰り返した。田部さんの介護を担当して7年目になる訪問介護職員の山田拓さん(33)は「体力が持たず、長い文章を話すことはほとんどない」と残念そうに話した。  田部さんの手記によると、田部さんは早産だった影響からか、生後半年ごろから手足の硬直が始まり、まひの障害が残った。72年前の8月6日、16歳で爆心地から約1・8キロの広島市舟入川口町(現中区)で原爆の閃光を浴びた。 (略) 山田さんは数年前、まだ会話ができた田部さんが当時を振り返る話を聞いたことがあるという。「被爆体験を語った後、『核は廃絶しないといけない。原発も駄目だ』と力を込めていた」と振り返る。  障害と被爆。二つの試練を乗り越えた田部さんがどのように生きてきたのか、今は想像するしかない。被爆者の平均年齢が81歳を超え、その貴重な肉声を聞く時間が失われている現実を思い知らされた。【山田尚弘】 全文は被爆体験 「核も原発も駄目だ」 乳児で手足まひ、さらに被爆 88歳の田部さん、数年前に /広島

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粉じん、急性症状多発 放影研指標 内部被ばく過小評価か 広島大調査 via 毎日新聞

広島大の大滝慈(めぐ)名誉教授(統計学)らのグループが原爆投下直後に救護で広島市内に入った元少年兵を対象に実施したアンケートで、粉じんを浴びたグループの急性症状の発症頻度が、浴びていないグループの10倍以上と極めて高かったことが分かった。日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研、広島・長崎両市)は、放射性物質が付着した粉じんなどを吸い込んだ内部被ばくの影響を「無視できる程度」とし、原爆症認定などで指標とされてきた。大滝名誉教授は「被爆者の急性症状や後に起きた障害の主原因は内部被ばくの可能性が高い。影響が過小評価されている」と指摘する。  アンケートは、当時15~19歳の陸軍船舶特別幹部候補生だった142人を対象に昨年2月に実施。候補生は原爆が落とされた1945年8月6日、広島市外で集められ、正午~午後5時ごろに救護のため市内に入った。作業の場所や内容、粉じんを浴びた状況、その後の健康状態などを尋ねて64人から回答を得た。  脱毛や下痢などの急性症状の頻度は、爆心地から半径2キロ以内で作業して粉じんを浴びたグループ(21人)が、2キロ以遠で浴びなかったグループ(22人、不明も含む)の11・7倍に上り、2キロ以遠で浴びた人(9人)も5・5倍と高かった。後にがんや白血病になった事例も、浴びたグループの方が多かった。大滝名誉教授は「サンプル数は少ないが、年齢や健康状態、活動時間がほぼ同じでデータの信頼性は高い」としている。  また、放影研が2001年に公表した被爆者3042人の染色体異常の発生頻度と推定放射線量の関係を示すデータも再検討した結果、屋内で被爆した人の放射線量が実際は約30%多い可能性があることが判明。 (略) 放影研は残留放射線や内部被ばくについて「原爆さく裂時に放出された初期放射線に比べてかなり小さい値で、健康リスクに大きく影響しない」とし、初期放射線のみを算定する被ばく線量推定方式を作成。国はこれを原爆症認定に用いてきた。一方で、認定訴訟では原告の体験や症状の検討から内部被ばくの過小評価を指摘する司法判断が相次いでいた。大滝名誉教授は「援護されるべき被爆者らが見捨てられてきた恐れがある。方式を見直すべきだ」としている。【竹内麻子】 全文は粉じん、急性症状多発 放影研指標 内部被ばく過小評価か 広島大調査 

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原水禁世界大会始まる、福島市 「原発再稼働反対を」via 沖縄タイムス

 原水爆禁止日本国民会議などが主催する原水爆禁止世界大会が29日、福島市で始まった。東京電力福島第1原発事故の被災者や原爆の被爆者ら720人(主催者発表)が参加し「核と人類は共存できない。『福島には原発はいらない!』との声を大きくし、全国の原発の再稼働反対運動につなげていく」とのアピールを採択した。 大会では、脱原発弁護団全国連絡会共同代表の海渡雄一弁護士が、各地で行われている原発再稼働停止を求める仮処分申し立ての状況を説明。 続きは原水禁世界大会始まる、福島市 「原発再稼働反対を」

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