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広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止 via 東京新聞

8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎) ◆物議を醸した「園内での禁止行為」  広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。 広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月  これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。  規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。 松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。 ◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに  被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。  6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。 ◆「条例は関係なく法的根拠はない」 […] ◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」  デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。 「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。 […] ◆広島の平和行政が変質していないか 近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。  昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。 […] ◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。  共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。  今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」 ◆デスクメモ  前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭) 全文

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『はだしのゲン』削除から考える記憶の継承via Radio Dialogue

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EU大統領が広島訪問 via Kyodo

ロシアの核「世界に脅威」と批判  欧州連合(EU)のミシェル大統領は13日、被爆地の広島市を訪れ、声明を発表。ウクライナに侵攻したロシアが「許し難いことに核兵器の使用に言及している」と非難。北朝鮮も「違法で挑発的なミサイル実験を繰り返している」として「世界の安全保障の脅威となっている」と批判した。  ミシェル氏は原爆資料館を視察後、記者団に「この場所と長崎で起きた苦しみは今も続いている。大量破壊兵器の廃絶は急務だ」と述べ、核軍縮への決意を表明した。 (略) ミシェル氏は、原爆投下前後の街の様子を再現したCG投影装置を眺め、説明に真剣な様子で耳を傾けていた。 全文はEU大統領が広島訪問

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黒い雨の新指針案が事実上確定 長崎県・市「受け入れられない」 via 朝日新聞

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」に遭った人を被爆者と認める厚生労働省の新しい審査指針案が事実上確定した。同省は27日、広島県と広島市が案に同意したことを明らかにした。一方、長崎県と長崎市は同日、「広島に限定される案は受け入れられるものではない」と回答した。 新指針案は被爆者と認める要件を「黒い雨に遭った(否定できない場合も含む)」「がんや白内障など11類型の病気にかかっている」の2項目とした。広島県・市は、今年7月の広島高裁判決が否定した病気の要件が設けられることに不満を示しつつ、受け入れる意向を同省に伝えた。  長崎では原爆投下当時に郊外にいたため、被爆者と認められない「被爆体験者」が救済を訴えてきた。  長崎県・市は、国が認めている被爆地域の外でも、黒い雨や放射性物質を含む灰が降ったとの証言が約2千件あるとして、長崎の被爆体験者も指針の対象に含めるよう求めていた。ただ、厚労省は「客観的な資料がない」として対象外とした。 […] 全文

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「原爆の子」手記に込めた思い伝える via RCC News

こちらの本は70年ほど前に当時の子どもたちが書いた原爆の体験記です。当時、手記を寄せた女性は、今でも、手元に本を置いています。 広島市安佐南区に住む早志百合子さんです。 85才の早志さんは、体操教室の講師を長年勤めていることが、元気の秘訣だといいます。早志さんの元には、中学生の頃から持ち続けている本があります。 「なんで長いこと、70年間持ち続けていたのかなとか開いたこともなかったけど」(早志百合子さん) 「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」には、105人の子どもの被爆体験とその後の生活が綴られています。早志さんも、手記を寄せた少女の1人でした。9歳のとき、爆心地から1.6キロの比治山付近で被爆した早志さんは、中学2年生のときに学校の宿題として手記を書きました。 (略) 一緒に逃げた母の政子さんは、目にした光景を原爆の絵に残しています。 「もちろん道も、もうないし、家が全部重なってすぐ燃え上がった。死体がその中に混ざってるし、真っ黒こげのそれを踏みつけるように、ズルッとなるわけよね。死体だからね」 その後、手記を元にした映画やラジオドラマも作られました。 「ここの牧師さん、あの日私を拾ってくだったんです。それからずっとここに居ます。お父さんやお母さんは?みんな死んじゃったんです」(TBSラジオドラマより) ドラマは、原爆で家族を失ったり病気になったりした子どもたちの、境遇や心情を描いています。早志さんは、「手記のその後も地獄だった」と振り返ります。なんとか生き延びても、戦後、アメリカが設立したABCC=原爆傷害調査委員会から呼び出しを受け、裸で検査を受けさせられるなど辛い思いをしました。 「結婚を反対され、出産を反対され、お医者さんすらこういう体の状況で悪性貧血で妊娠することは無理だと。そういう事が徐々にあるわけでしょ。だから原爆を忘れたくても、ついてくるわけよ。いろんなことでね」 結婚して子どもを産んでも、早志さんは長い間記憶を閉じ込め、手記を再び読むこともありませんでした。 転機が訪れたのは十数年前、手記を書いた当時の子どもたちが集まったことをきっかけに、中学生の自分が書いた被爆体験記に目を通しました。 「本当に正直に書いているでしょう。本になって何十年も残って人が読むと思いもしないし、そうだったらもうちょっと書き方が違ってたと思うから、そうじゃなくてよかった」 戦争に苦しめられた子どもたちの素直な気持ちが書かれた本を、今の子どもにも読んでほしいと感じています。小学校での被爆証言や原爆の絵の作成など自分の体験を伝える活動を出来る範囲で、取り組んでいます。 全文は「原爆の子」手記に込めた思い伝える

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「黒い雨」区域外の住民救済骨子案、地元受け入れ表明 via 読売新聞オンライン

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を巡り、国の援護対象区域外の住民らを救済するために国が示した指針改定の骨子案について、広島県、広島市は24日、「事実上、多くの人が救済される」として、受け入れることを表明した。骨子案は、黒い雨に遭ったことの確認や疾病の範囲といった被爆者認定の要件を大きく緩和しており、正式決定されれば対象は1万人以上となる可能性もある。  黒い雨を巡る集団訴訟で、広島高裁は7月、区域外にいた住民ら84人の原告全員を被爆者と認めた。国は原告と「同様の事情」にあった人の救済について、広島、長崎の4県市と協議を進め、27日を期限に長崎の回答を待って最終判断する。  国の骨子案は、「同様の事情」として、▽黒い雨に遭った▽がんなど11の疾病に加え、白内障の手術歴がある人――と定義。黒い雨に遭ったことは本人の証言などから否定できない場合は認め、疾病についても、当初は盛り込まれていなかった白内障の手術歴を追加した。  広島市によると、原告らがいた区域の生存者は昨年時点で約1万3000人。厚生労働省研究班の調査では、80歳代以上では白内障が疑われる症状が100%に上るという報告もあり、今回の骨子案に沿えば多くの人が救済される見通しだ。 (略) 国は来年4月の認定開始を目指し、来年度予算案で、救済対象となる可能性がある住民ら1万数千人への健康管理手当の給付などを想定して、総額78億円を計上した。長崎については国は「広島と同様に扱うことは難しい」として、協議継続の意向を示している。 全文は「黒い雨」区域外の住民救済骨子案、地元受け入れ表明

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「当時もこんな空だったのかな」──カラー化した原爆写真がネットで反響 AIと人力で戦時中などの写真を色付ける「記憶の解凍」 via IT media news

76回目となる終戦記念日に先立ち、原爆の“きのこ雲”の白黒写真をカラー化した画像に「76年前の今日」というコメントを添えた投稿がTwitterで注目を集めている。 このうち9日に投稿された長崎原爆のきのこ雲の写真は、14日までに1万8000リツイート、4万1000件のいいねを記録。色が付いて現実味が増した一連の画像に対しては「当時もこんな空だったのかな」「色が付くことでタイムスリップする感覚になる」など、当時に思いをはせる声が寄せられた。 投稿したのは、東京大学大学院で情報デザインとデジタルアーカイブを研究する渡邉英徳教授(@hwtnv)。渡邉教授は、広島出身で東京大学在学中の庭田杏珠さん(@Anju_niwata)とともに、第二次世界大戦にまつわる白黒写真を、AIツールと戦争体験者との対話、当時の資料、SNSで寄せられたコメントなどを活用してカラー化する活動「記憶の解凍」に取り組んでいる。AIと人のコラボレーションによって、凍りついていた記憶を「解凍」し、戦争体験者の「想い・記憶」を未来に継承するというものだ。  渡邉教授と庭田さんの2人は、活動の一環でカラー化した写真から355枚を厳選し、2020年7月に写真集「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社新書)として出版。戦争をテーマにした写真集としては異例の発行部数6万部を超えるベストセラーになった。 […] 全文はこちら

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「ヒロシマ原人」の熱を知る via 中國新聞

 「ヒロシマ原人」という言葉は死語だろうか。全人生を懸けて原水爆を告発した市井の人たち。20年前、亡き先輩記者が用いていた。広島折鶴の会世話人、河本一郎さんの追悼記事だった▲いつも荷台に箱をくくり付けた自転車を押し、帽子に作業服。被爆者で「原爆の子の像」の生みの親だった。もっと古い記事だと、住まい兼事務所は足の踏み場もない6畳一間。妻が内職のミシンを踏む傍らで少年少女は鶴を折る。「子どもを利用している」と中傷されたことも▲旅立って35年になる「原爆一号」吉川(きっかわ)清さんも、「原人」か。広島大本部跡地のクリップ・ヒロシマに、きょうまで吉川さんの土産物店が再現されている▲自らのケロイドを内外の観光客にさらし、原爆ドーム近くで商いをした。「平和屋」とたたかれても屈せず、晩年は米空母の核持ち込みに怒り心頭だったという。変わり者とされた人こそ、熱を帯びていた時代だった▲この夏「原爆スラムと呼ばれたまち」と題した一冊が世に出た。やむなく爆心地近くの川土手に住み着いた人たちの詳細な記録。50年前に訪ね歩いた著者たちもきっと、ヒロシマの「地熱」に触れている。あの季節に学ぶ夏でもある。 原文

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村に吹いた核の風、弟は16歳で死んだ カザフ実験場跡 via 朝日新聞

ロシアと中国に挟まれた中央アジア・カザフスタン。首都ヌルスルタンに住むバルシャグル・トッカーリナさん(66)は7月13日、久しぶりに実家のある東部の旧セミパラチンスク(現セメイ)に帰った。  弟の命日だった。家族写真を見つめ、祈りを捧げた。「レスリング選手のように体格が良く、サッカー好きの活発な子だった。なぜ核実験の犠牲にならなければいけなかったのか。怒りしかありません」  かつて住んだ村の郊外には旧ソ連時代、核実験場があった。6歳だった1961年秋のある夕方、きょうだいらと庭で遊んでいると、雷のような地響きとともに、土混じりの爆風に襲われた。空は真っ赤に染まっていた。家に駆け込んだが、1歳下の弟ムフリスさんが見当たらない。庭で気絶して倒れていた。  弟の右腕はまひし、二度と動くことはなかった。その後も失神を繰り返し、16歳だった73年、浴室で倒れたまま帰らぬ人となった。村では白血病を抱える子どもたちも多かった。 核実験場の広さは約1万8500平方キロ。四国ほどの面積だ。旧ソ連は49~89年の40年間に、同国による核実験の約6割を占める約470回の核実験を地上や地下で繰り返した。150キロ圏内に放射性降下物が降り注ぎ、約130万人が影響を受けたとされる。このことはソ連崩壊まで伏せられていた。住民たちは「演習」と聞かされ、家の窓ガラスを新聞で覆うよう言われただけ。放射線による健康被害が知られるようになったのは、独立直前の80年代後半になってからだった。  一家は学校長だった父の都合で、核実験場近くの村を転々として暮らした。両親は10人の子をもうけたが、母は3度の流産を経験。54年に生まれた兄は生後間もなく死去した。父は食道がんで、妹も7年ほど前に脳腫瘍(しゅよう)で亡くなった。  99年、現地の新聞にある記事が載った。広島市の市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」が留学生を募っているという。 […] もっと読む

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バッハIOC会長、人類初の核実験の日に広島訪問 被爆者ら「賛成できない」「平和利用」に疑問の声 via 東京新聞

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が16日に広島を訪問する。76年前、米国で人類初の核実験「トリニティ実験」が行われた日だ。広島、長崎への原爆投下を決定的にし、核時代の道を開いた転換点はどんなものだったのか。そんな日に、コロナ禍も顧みず被爆地を訪問するIOCの五輪とは、本当に「平和の祭典」なのか。(中山岳、佐藤直子) […] 「コロナ禍で多くの人の命と健康が危険にさらされている中、感染を広げるリスクがあるのに広島を訪れるのは賛成できない」 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(76)は、バッハ氏の訪問に疑問を呈する。とりわけ76年前のこの日は、被爆者にとって重要な意味がある。「広島、長崎への原爆投下につながる『核の時代』が始まった日です」 1945年7月16日、米国ニューメキシコ州の実験場「トリニティ・サイト」で行われた初の核実験のことだ。米国が極秘に進めていた「マンハッタン計画」で、8月9日に長崎へ投下されたものと同じプルトニウム型原爆を爆発させた。威力はTNT火薬換算で約19キロトンに上った。 当時、日本では九州地方への空襲が激しさを増しつつあった。空襲研究者によると、米国は日本の抵抗が続くことを想定。同年11月に南九州に上陸する「オリンピック作戦」の準備を進めていた。しかし、トリニティ実験の成功を受け、米国は広島、長崎に原爆を投下。8月15日に日本は無条件降伏し、同作戦は実行されなかった。 […] ◆「16日は核の恐怖を問い直す日」  佐久間さんは「広島を訪れた人には、トリニティ実験のことをよく話している。この日は多くの人に核兵器の恐ろしさをあらためて問い直し、廃絶への道を考えてほしい」と話す。 奈良大の高橋博子教授(アメリカ史)も「多くの人を無差別に殺傷する核兵器の始まりの象徴として、トリニティ実験がある。軍関係者や風下の住民が被ばくし、周辺地域が放射能汚染された。だが、米国では原爆投下によって戦争を終わらせたと評価する見方が根強く、犠牲の面は長年、隠されてきた」と指摘する。 高橋さんは、バッハ氏が来日前、東京大会の実現に「犠牲を払わなければならない」と述べたことにも違和感を隠さない。「誰かを犠牲にして五輪開催を強行する姿勢は、核実験や原爆投下を正当化する米国の姿勢に重なる」 […] 全文

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