5日、福島県いわき市の応急仮設住宅。同県大熊町から避難した男性(60)は、ある「うわさ」が気になっていた。「オリンピックが終わったら、俺たちも支援を切られっぺって」
「戻れるとしても40年後、俺は100歳」
政府は来年の東京五輪を「復興を世界にアピールする好機」と位置付け、福島県は2020年度までに「避難者ゼロ」を実現する目標を掲げる。呼応するように、避難指示が出ていない地域からの「自主避難者」に向けた家賃補助や、既に解除された地域の住民を対象にした仮設住宅の無償提供が終了する。
「ここも閉鎖されっかもしれない」。男性は不安に駆られ、いわき市内の公営住宅に応募した。大熊町の自宅は福島第1原発から3キロ。行政の担当者は「戻れるとしても40年後でしょう」と告げた。「帰りたいけど、そのとき俺は100歳。意味ねえよ」と笑う。
造成急ピッチ…住民「戻らない」が過半数
福島第1原発が立地する大熊町は高い放射線量が長引き、全町避難が続いた。ようやく、南部の大川原地区などが近く解除される。
広大な造成地でうなりを上げる無数の重機。鉄筋を肩に動き回る作業員。大川原地区に入ると、新しい役場と公営住宅50戸の建設が急ピッチで進んでいた。公営住宅には60世帯の応募があり、既に抽選を終えたという。町復興事業課の志賀秀陽課長(59)は「復興の第一歩」と喜ぶ。
ただ、町が1月に取ったアンケートで「戻らないと決めている」と答えた住民は55%に上り、「戻りたい」は14%にとどまった。原発事故の日の朝、町には744人の児童がいたが、今回、公営住宅に入居する児童はわずか1人だ。
「好きで古里を離れたわけじゃない」
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6日、埼玉県春日部市であった同県への避難者の交流会。「建物だけを新しくして『復興した』と言われても、帰りたいのは原発事故前の故郷」。福島県楢葉町の村上秀雄さん(77)が発言すると、十数人の参加者が一様にうなずいた。
大熊町の渡部まゆみさん(62)もその一人だ。昨年、除染で出た土を保管する中間貯蔵施設の用地を国に求められ「大熊のために役立つなら」と同町の自宅を手放した。30年近く勤めた町内のラーメン店も1月、中間貯蔵を広報する発信拠点に様変わりした。性急な「復興」には違和感もある。「避難者が古里を好きで離れたわけじゃないことは、忘れないでほしい」
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