福島原発事故「4年半」の現実(下)「除染ゴールド・ラッシュ」の果てに via Huffington Post

(抜粋)

未来を語る場面がない舞台

当たり前だが、除染作業は放射能に汚染された地域で行われる。危険が伴い、人がいやがる仕事だ。自治体や地場の建設業者が行っているような普通の作業員募集では人手は集まらない。

従っ て、労務者を集める手法と経験に実績のある大手ゼネコンに頼らざるをえない。大手企業が作業地域を区分けして事業を請け負い、東電に代わって国が復興予算 から費用を企業に立て替え払いする。カネに糸目をつけないとはいえ、人のいやがる仕事だから、どうしても荒っぽい人集めになる。「個々の作業員の身元確認 などはとてもやっていられない」とゼネコンの現地事務所は打ち明ける。

賃金はその時々の労務者市場の相場で決められ、今だと一説には表向きの一般公共事業の2倍、4万円の日当が支払われているという。このうち1万円は「危険手当」だ。この異常な賃金水準が全国から「限界労働力」を原発事故の現場に吸い寄せる。

いわば福島版「ゴールド・ラッシュ」が繰り広げられているのである。

(略)

今も残る無残な姿

福島の「ゴールド・ラッシュ」には、それなりの事情がある。

もともと福島は他の被災2県に比べて、通常の復興で大きく遅れをとっていた。原因はもちろん原発事故である。

震 災直後、被災地ではまず「仮復旧」と称した応急工事が行われた。陥没した道路を埋めて通れるようにしたり,壊れた堤防に土嚢を積んだりするなど、日常生活 をとりあえず回復して本格復興に備えた。「仮復旧」工事の多くは地元建設業者が行政との随意契約を結び急場をまかなった。だが、本格復興工事となると、一 般競争入札を通じて技術や資金力のある大手ゼネコンと契約しなければならない。公共工事を日常の姿に戻すことが必要になるのだ。

宮城、岩手 の両県は既に2年ほど前から、そうやって大規模工事に取りかかり、町の高台移転や堤防の本格建設などを始めた。ところが、福島ではいつまでたっても本格的 な復旧工事は始まらなかった。国が指定した避難指示区域に立ち入れずに工事どころではないところが多く、立ち入りができる場所でも企業や作業員が被ばくを 嫌って作業をいやがったからだ。

他県に2年遅れて福島でも避難指示が解除された場所などで本格復旧工事を始めようとしたころには、人件費も資材も高騰していた。入札不調が続出し、福島の平均落札率は8割を切る事態となった。

(略)

最初から念頭にない「本気の復興」

このままでは福島経済は立ち枯れとなる。そこで生命維持装置として福島に与えられたの が除染事業だったのである。建前は一応「復興」に向かってふるさとを取り戻すため、あるいはこの先、本当に安心して住めるようにするため、などと説明され たが、その言葉通り本当に町や村を元の姿に戻して、安心して住めるようにするつもりは国には端からなかった。そういう本格除染には、田や畑の土を取り替 え、森林を伐採し、住宅の屋根にしみこんだ汚染物質を取り除いて家屋を建て直す作業が必要だ(南相馬市の顧問を務める児玉龍彦東大教授)。それには気が遠 くなるような作業量と天文学的な費用がかかる。

真面目に住民を帰還させようと考えるなら、それを覚悟で取り組まなければならなかった。それこそが、歴史に残る原発事故を起こした東電と国が支払わねばならない代償というものだ。

(略)

崩壊した福島の自治

地元企業や住民よりも、大手ゼネコンにとってその恩恵は大きかった。完全な除染後に行われる競争入札 を通じた本格復興事業などよりも、リスクはなく手っ取り早く日銭が入るからだ。面倒くさい手続きはいらないし、公共事業と違って代金は請求すれば2カ月後 にはおりる。作業員の斡旋手数料も入る。地元社会にも、「韓国パブ」は別として、旅館、仕出し弁当屋、ガソリンスタンドなど、多少のカネは落ちた。

しかし、しょせんはその程度のことである。

「こんなことをやっているだけでは本当の復興はありえないということは、福島では誰でもハラの中では分かっている」と県建設業協会の幹部は言う。

分 かってはいても、住民は沈黙した。カンフル剤と連動して設計された生活支援や東電からの賠償金制度には、住民を黙らせる十分な効果があった。細かく線引き された地域区分によって目先、手に入るカネに差がつき、住民の団結は阻まれた。地域の将来像を語ろうという声は、住民同士の対立の中にかき消えた。

故郷が直面した危機的事態を前に、福島の自治は崩壊したのである。

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失われる「貴重なデータ」

地域社会を愚弄したのは、中途半端な除染事業だけではない。

「人類が経験したことのないほどの福島の事故なのに、被害の実態がはっきりつかめない。それを把握しようという努力さえせず、他の原発の再稼働を急ぐのは問題だと思います」と、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師は言う。

ふだんは慎重に言葉を選ぶ同氏だが、「この大事故は一体何だったのか」、このままではあいまいなまま歴史の闇に埋もれてしまうと言うとき、口調は鋭くなった。

同氏は、東京大学医科学研究所から自ら希望して南相馬に赴任した。地域医療への関心に加え、専門の白血病研究にとっても貴重な経験になると考えたからだ。

しかし、この期待は裏切られた。

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「なかったこと」に

たとえば福島で被ばくした人が大阪に引っ越したとする。公衆衛生の所管は自治体だから、これらのデー タ収集については被ばく者が現在住む自治体の協力を求めなければならないが、自治体にとってはこれら住民の個人情報は保護の対象である。政府が「特殊な ケース」として強く自治体を指導し、情報の全国的な集約と秘匿の方策を徹底させなければ、こうした重要な追跡調査は実現しない。

今日の医療法では、医療機関のカルテ保存義務は5年間だ。来年3月には、福島事故から5年が経過する。もし、被ばく者や被ばく後にがんを発症した患者のカルテが廃棄されてしまえば、「あの事故は医療研究にとって『なかったこと』になってしまう」。

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