あの日から10年が過ぎた。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で被災した福島県の人たちは、何かの区切りを迎えたのだろうか。取材班は現地で出会った人に「あなたの復興の節目はいつですか」と尋ねた。避難指示解除を節目と言う人、自宅で寝られる日を願う人、「考えられない」と怒る人―。復興へ、それぞれの歩みがある。(福岡範行、片山夏子、小野沢健太、神谷円香)
◆南相馬市
南部の小高区の避難指示が2016年に解除。山間部に帰還困難区域が残る。佐藤愛華さん(23歳)、アルバイト、原町区在住(小高区出身)
日常で震災という言葉も出る、普段から感じる。常に一緒に生きていくし、まちも常に変化していく、10年でぽん、じゃない。忘れるわけじゃなく。自分も大人になって変わったというより、子どもの時に避難生活をして、震災の影響を受けながら成長してきた。思い出せばつらいこともあるし、震災がきっかけでつながった縁もある。節目っていうのは、これからもないと思います。
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荒佳幸さん(42歳)、タクシー会社専務、鹿島区在住
節目、あるんですか?と聞きたい。汚染水の問題にしても、区切りができていないから節目にならない。もう10年なんだ、と。国が区切りをつけてほしい。あと5年、10年でどう変わる?もとには戻らない。タクシー会社は身内の会社で、跡継ぎがいないからと頼まれて1年以上考え4年前に転職した。昨年12月20日から3月11日まで休んでいないですよ。コロナで出張も減り、頑張っても前年比1割は減る。タクシー業界は大変。人手も足りない。今の仕事、充実はしていないです。3月12日はやっと娘の卒業式で、会社に行かないかな。
安部あきこさん(74)、生鮮食品販売の小高マルシェ会長、小高区
節目、はないね。10年だからうんぬんじゃない。今後もおそらくない。今のままの生活で。こんなに10年は早いのかという感じ。小高区浦尻の家は高台にあり、津波被害もなく地震でもコップ一つ割れなかった。2月の地震でもそうだった。避難指示で、初めは相馬市の息子が婿養子に入った家にいたが、いづらくなり鹿島区の仮設住宅へ。震災は語り継ぐしかない。10年は一区切りかとも思いながら、またどうなるかは分からない。
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女性、郡山市在住、津波で父親を亡くした
節目なんてない。けじめをつけるなんて、あり得ない。忘れちゃいけない、踏ん切っちゃ駄目。そうでしょう。たくさんご遺体がまだ見つかっていない。この辺の地面にもご遺骨がまじっていて、その上を歩いているかもしれないんですよ。意味が分からない。
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木村紀夫さん(55)、被災経験を発信する大熊未来塾運営、いわき市在住
どこかで線を引くことは考えたことがない。発信の方法は変化しているが、家族3人を亡くしたことや、経験を伝えることへの思いは全く変わらない。10年たった「3.11」は、みんなに思い出してもらえるタイミングだったな、という感じ。(大熊町沿岸部の自宅は津波で被災し、父王太朗(わたろう)さん(77)と妻深雪(みゆき)さん(37)、次女汐凪(ゆうな)さん(7)=年齢は当時=を亡くした)男性(77)、大川原の復興住宅在住
前の家に行って、新しい生活をしたい。19年6月にここに来たけど、復興住宅は仮住まいだよ。自分のうちに戻りたくて帰っているんだ。先祖代々の土地から離れるわけにはいかない。避難指示が解除されても、上下水道が整ってなくて帰れない。町の整備の計画はあるけど、見通しはあくまで見通し。また、延びっかもしんねえ。
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滝本英子(えいこ)さん(67)、滝本電器店経営
溶融核燃料(デブリ)は(取り出し完了までの期間が)長すぎる。自分たちにとってはここ(大熊町)に出店したことが節目。小さいながらも再開できた。ここまで再生しようと頑張っている人。人と人の絆、思い、捨てたもんじゃない。何が本当の節目でというのが分からなくなってきている。こうしなくちゃ、ああしなくちゃって流されて。いまだに、受けた傷が。傷にはしたくないんだけど。地震だけだったらあそこ(町内の元の店)で仕事をやっていたのに。
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女性(72)、無職
生きている限り節目とは思えない。15カ所を転々として寒さがこたえる郡山市の仮設住宅で5年以上過ごし、昨年に戻ってきた。この苦しさを、過ぎたことにできる日は来ないと思う。女性(81)、無職
(早口で怒ったように)夫に先立たれて一人きりで避難生活してきた。今でもテレビで原発事故のニュースが流れると消してしまう。節目とか言う前に、まだ原発事故のことを考えられない被災者がいることを知ってほしい。
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早川篤雄さん(81)、宝鏡寺住職
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