2020年9月29日
2020年7月29日広島地方裁判所は、「黒い雨」裁判に関する判決を下し、原告84名全員への被爆者健康手帳交付を広島市・広島県に命じた。これに対し参加行政庁厚生労働省、被告広島市及び広島県は、判決が「科学的知見に基づいていない」として、8月12日広島高等裁判所に対して控訴した。
この控訴は判決が含む実証性・科学性を否定する反科学的意図を含むものであり、被爆者健康手帳交付を徒に遅らせ、「黒い雨」被爆者救済を先延ばしするものである。よって厳重に抗議し、控訴取り下げを求める。
さらに、広島地裁判決は、内部被曝による健康被害の可能性を認め、地理的線引きによる被害者の特定を否定した点で、福島原発事故による広範な放射線被曝被害を正しい解決に導く一つの指針である。高度約600mで核爆発した原爆であったことと、地上で核事故を起こした原発であったこととの違いがあるだけで、膨大な核分裂物質が環境中にまき散らされ、周辺住民を生涯にわたって不安と健康被害に陥れる事実に変わりはない。
広島地裁、高島義行判決は現時点での英知の結晶であり、決して闇に葬ってはならない。
国・広島市・広島県の控訴は、戦後75年経過してもなおかつ未解決の「黒い雨」被爆者救済を、徒に遅らせるという点で不当である。「黒い雨」被爆者は原告になった84名だけではない。調査によれば数千人規模の被害者が存在すると言われる。
控訴せずとも、判決を機に今回認定された「黒い雨」被爆を広島原爆被害の「類型」として認め、「黒い雨」降雨域の範囲を新たに認定し、政令を改正すれば済む話である。これで数千人といわれる「黒い雨」被爆者を救済できる。にもかかわらず控訴して、救済に時間をかけようとする国、広島市、広島県の姿勢は到底容認できない。
さらに、広島地裁判決のもつ科学性・実証性が、核産業にとって、そして核産業推進を掲げる現政権にとって都合が悪いからという理由でこれを「非科学的」と論難し、自らの都合だけで広島地裁判決をなかったものとして闇に葬り去ろうとする国の「控訴理由」は極めて不当である。
私たちの国は、福島原発事故という未曾有の「放射能大惨事」のただ中にある。現に「福島第一原発事故による原子力緊急事態宣言」は、2011年3月11日以来継続中である。宣言解消のメドすらたっていない。
長期低線量被曝、特に内部被曝被害を考えて見たとき、広島原爆による「黒い雨」被爆者同様、福島第一原発事故による被曝被害は、私たちの国の将来を左右しかねないほどの健康被害を現にもたらしている。
また、科学的調査に基づかない政治的判断による線引きによって被害者は分断され、差別され、賠償や援護策から切り捨てられようとしている。
こうした被曝被害を、日本全体で正しく解決に導く一つの指針が、広島地裁判決である。それを闇に葬り去ろうという動きは、ここに至っても原発と訣別できぬこの国を滅亡に導くことと同義である。
日本国百年の計に立って見て、到底許されるものではない。
私たちは控訴に断固抗議し、控訴取り下げを求めるものである。
以上
(本抗議声明の「背景と解説」を別途添付する。)
【抗議声明発出団体】
原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)
住所:〒963-4316 福島県田村市船引町芦沢字小倉140-1
電話:080-2805-9004
伊方原発広島裁判原告団
住所:〒733-0012 広島県広島市西区中広町2-21-22-203
電話:090-7372-4608
「避難の権利」を求める全国避難者の会
住所:〒004-0064 北海道札幌市厚別区厚別西四条2丁目6-8-2 中手方
電話:080-1678-5562
福島原発事故被害救済九州訴訟原告団
住所:〒839-1308 福岡県うきは市吉井町八和田633
電話:090-9530-3148
原発賠償関西訴訟原告団
住所:〒530-0047 大阪府大阪市北区西天満2丁目8番1号 大江ビル405号
電話:06-6363-3705
「黒い雨」控訴抗議声明
解説と背景
2020年9月29日
伊方原発広島裁判原告団
2020年7月29日広島地方裁判所は、「黒い雨」裁判に関する判決を下し、原告84名全員に被爆者健康手帳の交付を行うよう広島市・広島県に命じました。これに対し参加行政庁厚生労働省、被告広島市及び広島県は、8月12日広島高等裁判所に対して控訴しました。
私たちは、この控訴に対し、厳重に抗議し、取り下げを求め、「抗議声明」を発出することにしました。ここでは「抗議声明」の土台となる広島地裁判決の解説とその背景についてご説明します。
1.判決の説示
判決は、
「内部被曝とは、体内に取り込まれた線源による被曝をいうところ、内部被曝には、外部被曝とは異なり、次の点で危険性が高いとする知見がある。
すなわち、内部被曝では、外部被曝ではほとんど起こらないアルファ波やベータ波による被曝が生ずるところ、アルファ波やベータ波は、飛程が短く、電離等に全てのエネルギーを費やし、放射線到達範囲内の被曝線量が非常に大きくなること、放射性微粒子が、呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ、血液やリンパ液にも入り込み、親和性のある組織に沈着することが想定されること、内部被曝のリスクについて、放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝が生じる不均一被曝は均一な被曝の場合よりも危険が大きい(下線は引用者)とする指摘意見」(同判決299頁)
を認定し、「黒い雨」被爆者は、低線量による内部被曝で健康障害を生じた可能性を否定できないとしました。
2.説示の意味
厚生労働省(国)が全面的に採用する国際放射線防護委員会(ICRP)勧告によれば、放射線吸収線量が同じであれば、外部被曝も内部被曝もその影響(リスク)は同じである、としています。(たとえばICRP2007年勧告項目番号137)
ところが判決は内部被曝のリスクについて、
「放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝が生じる不均一被曝は均一な被曝の場合よりも危険が大きい」
とする知見を採用し、ICRP勧告の見解(以下ICRP学説ということがある)を真っ向から否定しています。
つまり判決は、内部被曝のリスクは外部被曝のリスクより危険が大きいとしたのです。
「内部被曝」は「外部被曝」より危険とするこの見解は、今や国際的にみれば、一部ICRP学説信奉者を除けば、科学者の間では常識といって差し支えありません。低線量分野で、内部被曝と外部被曝のリスクの差はどれほどかについてはさまざまな議論があります。例えば欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告は、スエーデンのマーチン・トンデルのチェルノブイリ研究(北極圏におけるトナカイ放射線汚染に関する研究)を引用しつつ、その差は600倍を下らないとしています。もしこの比較を正しいとするなら、外部被曝1mSvの全身健康影響は、内部被曝では600mSv相当の全身健康影響となります。
そのリスク差がいかほどかはともかく、この判決は低線量分野における内部被曝影響を科学的に見て、極めて正しく評価しています。
3.ICRP学説の誤り
国が信奉するICRP学説の「内部被曝」問題に関する誤りはいったいどこにあるのでしょうか?
低線量内部被曝のリスクに関する限り、ICRP学説の誤りは、その元々の「線量体系」の中に潜んでいます。
ICRP学説によれば、吸収線量1Gyは、「物質1kgが1J(ジュール)の電離放射線のエネルギーを吸収した時1Gy(グレイ)とする」と定義しています。(J=ジュールはエネルギーの普遍単位)
つまり1Gyとは、物質1kgが平均に電離放射線のエネルギーを吸収した状態です。
(右イラスト参照のこと)
そしてICRPは、「吸収線量1Gy」の単位を基にして人体に対する影響の数値単位「Sv(シーベルト)」を創出しています。
すなわち吸収線量1Gyが、ある臓器や器官に与える影響を、放射線の種類によって区別して算出する「等価線量」、さらに等価線量に臓器荷重係数を考慮して得られる全身に対する影響をあらわす「実効線量」です。
たとえばX線の放射線係数は「1」とICRPは決めていますから、X線による全身影響は、ICRPによれば、1Gy=1Svの等式が成り立つことになります。
ここで明確にしなければならないのは、「Sv」の単位には常に1kgあたりという前提が隠れているということです。つまり「1Sv」は常に人体1kgあたり平均した被曝影響を表しているのです。
ところが内部被曝では、人体1kgあたり平均一様に被曝するなどということは絶対に起こりません。
判決文がいうように、「放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝が生じる不均一被曝」とならざるを得ないのです。
ここでいう放射性微粒子とは、大きさが「100万分の1m」(ミクロン)単位の大きさです。「1kg」の単位を「マクロの世界」とすれば、放射性微粒子の単位は「ミクロの世界」です。
マクロの世界では通用する線量体系を、無理矢理ミクロの世界でも通用させようというのが、ICRPの線量体系です。
低線量の、内部被曝問題に関する限り、ICRP学説の誤りは、そのもともとの線量体系に起因します。
4.ICRP線量体系誤りの再確認
ここで低線量の、内部被曝に関するICRP線量体系の誤りを再確認しておきましょう。右のイラストを見てください。
図1Aが、ICRP学説が主張する内部被曝のモデルです。「人体1kg」が平均一様に被曝するのですから、この図のようにならざるをえません。(ちなみに成人の心臓は平均800gです)
これに対して広島地裁判決が指摘する内部被曝が図1Bです。すなわちホットスポットによる「集中被曝による不均一な被曝」です。
内部被曝による健康影響を考える時、ICRP学説やそれを信奉する国の主張するモデルよりも、広島地裁が指摘するモデルの方がはるかに理に適っており、科学的であることは明らかでしょう。
5.線量体系の不適切さはICRP自身も認める
ICRP線量体系が、細胞レベル、遺伝子レベルの被曝影響を評価するには、不適切な体系であることは、ほかならぬICRP自身も認めています。
すなわちICRP線量体系は、巨視的な単位(物質1kgあたり)の被曝影響を評価するには適切だが、微視的な単位(ミクロン、µグラム単位)の被曝影響を評価するには、不適切な線量体系である、しかし今のところ、巨視的な単位の影響評価を行う線量体系しか存在しないので、将来微視的な線量体系ができあがるまで、やむなく巨視的な線量体系を使用する、という趣旨のことをその勧告で明確に述べています。(ICRP1990年勧告。項目番号(17)及び(18))(なおICRP勧告は日本アイソトープ協会のWebサイトで日本語版が無料で公開されています)
ICRPがこの勧告を世に出してから、はや30年以上経過しようとしています。この間、ICRPは現在の巨視的な線量体系に代わって、「ミクロの世界」の被曝影響を評価できる「微視的な線量体系」を策定しようという動きは一切見せていません。そして巨視的な線量体系を、「ミクロの世界」に無理矢理あてはめ続け、低線量被曝、特に内部被曝影響を極端に過小評価し続けているのが現状です。
読み方によっては、広島地裁判決は、そのICRP学説を根本的に批判している、と読めなくもありません。
6.広島地裁判決の正しさ
そのほか広島地裁判決は、「バイスタンダー効果」、「ペトカウ効果」や「逆線量率効果」などにも触れ、ICRP学説の低線量被曝影響に関する基礎となる見解を真っ向から否定する知見を認定しています。
「バイスタンダー効果」(傍観者効果)とは、被曝損傷した細胞に異常が起きるばかりではなく、その細胞と通信している別な細胞(バイスタンダー細胞)に異常が発生するという現象です。細胞に対する放射線被曝は、細胞ばかりでなく細胞間通信にも異常を起こさせるという典型的な現象です。「バイスタンダー効果」は「ゲノムの不安定性」と共に医科学界ではすでに常識となっている現象です。ICRPも「バイスタンダー効果」を現象として否定はできず、その勧告でも触れていますが、「バイスタンダー効果の研究はまだ揺籃期である」として事実上、内部被曝要因として無視しています。(ICRP2007年勧告項目番号A28~A31)
「ペトカウ効果」は、「同じ線量ならば、一時的に吸収するよりも長時間(長期間)にわたって吸収する方が影響は大きい」とする効果のことです。
1972年、カナダ原子力公社のホワイトシェル研究所に勤めるアブラハム・ペトカウ博士が学術誌に公表したもので、ブタの細胞膜に放射線を照射する実験の最中に偶然に発見しました。高い線量の放射線を短時間照射するより、ペトカウの予期に反して、低い線量の放射線を長時間当て続ける方がブタの細胞膜が破壊されやすいことを発見したのです。
この発見はきわめて重要です。放射線被曝においては、短期間の比較的高線量一時的被曝よりも、極低線量であっても慢性的な長期間被曝の方が健康に対する害は大きい、ことを意味するからです。
通常の状況にあっても放射能を環境にまき散らさずにはおかない原発など核施設にとって、またチェルノブイリ事故や福島第一原発事故、あるいは軍事用核施設事故など、過酷事故を起こして大量の放射能を環境にまき散らさざるを得ない核施設を抱える核産業は、核施設から同心円状に居住する数多くの住民を、宿命的に慢性的低線量被曝環境におかざるを得ません。
その核産業にとって、慢性的低線量被曝環境が、人体に害をもたらすという事実を、一般公衆が信じるなどということはおよそあってはならないことです。「ペトカウ効果」は、核産業にとって、またそれを放射線防護の観点から理論的に支えるICRPにとっては、不都合な事実なのです。
当然ICRPは、「ペトカウ効果」を全面的に否定します。それがICRPの主張する「線量線量率効果」(または単に「線量効果」)です。
「線量線量率効果」は仮説の域を出ませんが、ICRPはそれをあたかも科学的事実であるかのように扱い、「同じ線量ならば、一時期に大量に放射線を吸収する方が、長時間(長期間)にわたって吸収するより効果(影響)は大きい」と主張しています。
ICRPによれば、100mGy(100mSv)の放射線を一時期に吸収する方が、生涯にわたって、たとえば70年間にわたって吸収するよりも、効果(影響)が大きい、ということになります。
これが「線量線量率効果」(線量効果)です。ICRPの議論はさらに先に進み、その効果はいかほどか、と推測を重ね、2007年勧告ではその係数(線量線量率効果係数)は「2」である、と明記するに至っています。
これは「ペトカウ効果」とは正反対の結論を導く仮説です。
広島地裁は、事実上「線量線量率効果」を否定し、
「低線量・長時間の方が、一度に大量に被曝したときよりもリスクが高いという逆線量率効果などの知見が存在することが認められる。」(同299頁)
と核産業やICRPにとって極めて都合の悪い事実認定を行っています。
7.不可解な控訴のいきさつ
控訴をめぐる広島市、広島県及び国の協議は一切非公開なので、新聞報道等に頼るほかはありませんが、国が広島地裁判決を絶対認めない点だけは一貫しています。
問題はその理由です。当初国の言い分は、「判決にはあらたな科学的知見が認められない」ということでした。これは内閣が政令として定めた「大雨降雨域」を覆すだけの科学的知見がない、という意味でした。
その後広島市幹部から、「控訴すれば、より多くの「黒い雨」被爆者を救済できる」という意味不明の発言が飛び出します。なぜ控訴することが、より多くの「黒い雨」被爆者を救済することになるのか。それは、
広島市と広島県が、国と「大雨降雨域」の見直しをするという裏取引が成立したことを意味します。
しかしそれならば、なおさら控訴の理由がなくなります。国が頑強に控訴にこだわるには別に本当の理由があるはずです。その理由は控訴当日の12日になって判明します。厚労大臣が控訴の理由を、判決は「科学的知見に基づいていない」としたからです。
国が控訴にこだわる理由は、判決の「ICRP学説否定」にあったのです。厚労大臣にとってはこの「ICRP学説否定」が科学的でない、国や核産業にとってはなはだ都合の悪い事実認定であり、なにがなんでも地裁判決をとり消したい、これが控訴の本当の理由であることが、ここにおいて判明したのです。
8.「黒い雨」判決と福島第一原発事故
「黒い雨」被爆者と福島第一原発事故被害者の間には、一見なんの関連性がないかのように見えます。しかしこの2つは「低線量被曝」、特に「内部被曝」被害者という点でしっかりつながっています。低線量被曝被害発生という点で、1945年8月に日本で起こった大惨事が、2011年3月に寸分変わらぬ形で発生したのです。
原発など核産業を推進する人々にとっては、「低線量では人体に影響がない」「内部被曝も外部被曝もリスクは同じ」とする言説が、核産業存続の最後の防波堤です。人々が「低線量被曝は安全だ」と信ずればこそ、原発など核産業はこの社会に存続を許されているからです。
広島地裁判決は、この核産業の「最後の防波堤」に痛烈な一撃を加えました。国は控訴によって広島地裁判決を破棄し、闇に葬りさろうとしている、これが「黒い雨」控訴をめぐる基本構図です。
被爆地ヒロシマは、あらゆる福島原発事故被害者と連携して、広島地裁判決を守り抜くと同時に、原発など核産業の「最後の防波堤」を突き崩す取り組みをこれからも強めていかなくてはなりません。
以上