Daily Archives: 2020/07/26

「黒い雨」体験者 3割が「被害訴えても聞いてもらえず」 毎日新聞アンケvia 毎日新聞

広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を体験したものの、国の援護対象から外れている人に毎日新聞がアンケートしたところ、4人に1人が、原爆が投下された1945年の末までに脱毛や吐血などの急性症状があったと答えた。黒い雨の援護対象区域が76年に指定されて以来、体験者らは範囲を広げるよう再三求めてきたが、国は一度も見直していない。アンケートでは約3割が「どれだけ被害を訴えても聞いてもらえない」と答え、諦めが広がっていることもうかがえる。 […] 黒い雨を巡る周囲との関係について5択(複数回答可)で尋ねたところ、「どれだけ被害を訴えても聞いてもらえない/認めてもらえないと思う」が52人(32%)で最も多く、「差別や偏見が怖くて他言できなかった」が38人(23%)、「地域で公言しない取り決めになっていた」も6人(4%)いた。一方で「特別な問題意識を抱いたことがなかった」と答えた人も41人(25%)に上った。  爆心地の西約8・5キロの広島県五日市町(現広島市佐伯区)の自宅前で雨を浴びた男性(85)は自由記述で「夕立のような雨が降った。何を言おうと国は何もしてくれない。厚生労働省は我々が死ぬのを待っているだけ!」と訴えた。爆心地の北西約20キロの同県水内村(現佐伯区)で雨に遭った中区の女性(78)は「国の決定は仕方がないと思っていたが、福島原発事故が起き、広島で取り残されたまま苦しんでいることを知ってほしいと思うようになった」とつづった。 […] もう先が有りません。良い結果を  「原爆で一瞬に人生をうばわれました」。4歳の時、爆心地から西に約9キロ離れた広島県五日市町(現広島市佐伯区)で黒い雨を浴びた植田あき江さん(79)=同区=は毎日新聞のアンケートに、75年間の苦しみをつづった。援護拡大のため、話したくない体験を証言したがかなわず、5年前に口をつぐんだ。「(黒い雨の被害を)認めてもらえんなら、これ以上話すまあ(話すまい)と思っとった」と打ち明けた。  75年前の8月6日は母らと畑にいた。爆音の後に地面が揺れて黒雲が垂れこめ、見上げると口に生あたたかい雨粒が降り注いだ。「私は何も知らず『黒い雨』を飲んだです」  父は戦死しており、祖父母宅で暮らした。就学前から腸が焼けるように痛んで下痢や発熱を繰り返し、髪が抜け、顔にも腫瘍ができた。ほとんど小学校に通えず、登校すると「幽霊が来た」とからかわれた。祖母には何度も「黒い雨にぬれたことは言うたらいけん」と諭された。18歳で被爆者の夫と結婚して3人の息子を授かる一方、大腸炎や胃けいれんに襲われた。2001年に他界した夫にも、雨のことは言わなかった。  02年、佐伯区で黒い雨に遭った住民らが援護拡大を求める会を結成した。友人に請われて参加し「隠さんでよかったのに」と言われてほっとした。自分が話せば仲間も助けられると信じ、体験を語り始めた。国への陳情で2度上京し、優れない体調を押して署名活動にも参加した。でも、国は動かなかった。「今さら幼少期のことを言うのはおかしい」という陰口も耳にした。他の会員らが被爆者健康手帳の交付を求めて15年に「黒い雨訴訟」を起こした時は「もう疲れ切っていた」。語るのもやめた。 […] 全文

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ABCC幹部 「黒い雨」の健康被害指摘 1950年代 米政府見解に異唱え via 毎日新聞

原爆による放射線の人体への影響を研究していた米原爆傷害調査委員会(ABCC)の幹部が1950年代半ば、広島で原爆投下直後に降った「黒い雨」などの放射性降下物が病気の原因になった疑いがあると指摘し、詳細な調査が必要だと米政府関係者に伝えていた。原爆投下後の放射性降下物の人体への影響はないという米政府の見解に異を唱える内容だった。ABCCでもその後、詳細な調査は行われず、被爆75年を迎える今も、米政府は見解を変えていない。 テキサス医療センターに未公開報告書  ABCCの生物統計部長だったローウェル・ウッドベリー医師(故人)が、戦後、米軍から核政策を引き継いだ米原子力委員会(現エネルギー省)の関係者らに送った未公開の報告書がテキサス医療センター図書館に残されていた。日付はないが、54年3月に米国が南太平洋のビキニ環礁周辺で水爆実験を実施し、被ばくが問題になった直後の調査の記述があることなどから、以後数年間に作成されたとみられる。  報告書は、ABCCが広島・長崎で被爆した約4万人を対象に53~55年に実施した疾病調査で、原爆爆発時に出た直接放射線の影響がほぼないとされた爆心地から2キロ超の地点にいた48人に、放射線が原因とみられる急性症状や病気が確認されたと説明。4・9キロの地点にいて、投下翌日から放射性降下物が降った地域で父親を捜した女性(当時20歳)に脱毛が見られたことを例に挙げ「放射性物質が落ちた地域の線量は強く、症状を引き起こすだけの被ばくをした恐れがある」と指摘した。甲状腺機能障害とみられる症状が2キロ以内の人と同様に見られる点にも注目し「原因が黒い雨なのか、詳細な調査が必要だ」と訴えていた。  原爆投下後の残留放射線について、米政府は45年9月に「存在しない」との公式見解を発表。55年2月には米原子力委が、上空500~600メートルで爆発した広島・長崎の原爆では放射性降下物は「害なく消えた」との見解を示し、その後も覆していない。ABCCの調査・研究を引き継いだ放射線影響研究所は「黒い雨について聞き取りはしたが、詳細な調査はしてこなかった」としている。 専門家「米政府があえて無視した可能性」  米国の核政策とABCCの歴史に詳しい奈良大の高橋博子教授(日米関係史)は「広範囲に降った黒い雨の影響を認めれば『不必要な苦しみを与える兵器』の使用を禁ずる国際法に反する恐れがあり、米政府がウッドベリー氏の指摘をあえて無視した可能性がある」と話している。 […] 全文

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なぜ黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか 届かなかった医師の訴え via 毎日新聞

広島と長崎に設置されていた米原爆傷害調査委員会(ABCC)の医師が1950年代半ば、米政府の公式見解に異を唱え、原爆投下直後に降った「黒い雨」が住民たちの病気の原因になった可能性があると指摘していた。しかし、被爆75年を迎える今も、黒い雨の健康への影響を巡って論争が続く。なぜ、医師の訴えは届かず、黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか。【小山美砂】 目に見えない問題に時間割けず  「広島の残留放射線及び放射線による兆候と症状」と題した9ページの報告書。添付された広島市の地図には、48個の小さな丸印が書かれている。原爆の爆心地からの距離は2~6・5キロ。いずれも爆発時に放出された直接放射線の影響がほとんどないとされた場所だ。だが、そこにいた人たちも脱毛や紫斑などの急性症状に見舞われた。「現在入手できる客観的証拠では、原爆投下後の残留放射線は無視できるとされている。なのに放射線を浴びた時の兆候や症状が表れている」。報告書は矛盾を指摘する。  報告書を作ったのはABCCの生物統計部長、ローウェル・ウッドベリー医師(故人)。原爆放射線による人体への影響を調査する研究の中枢にいた。  広島では原爆投下直後、原子雲や火災に伴ってできた積乱雲から、核分裂で飛び散った放射性物質を含む黒い雨が降った。爆風で巻き上げられたほこりやちりも放射性物質とともに広範囲に落ちた。多くの人が浴び、空気や水、食物と一緒に体内に取り込んで被ばくしたと考えられる。  だが、米政府は一貫して直接放射線以外の放射線の影響を否定した。被爆1カ月後の45年9月12日、広島・長崎を視察した原爆製造計画「マンハッタン計画」の副責任者だった米軍准将が「広島の廃虚に残留する放射線はない」と発表し、翌日の米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。 「。。。」 放射性降下物が病気を招いたと考えるウッドベリー氏が、米本国のスタッフォード・ウォーレン医師(故人)らに異論を伝えたのはこの頃だ。だが、壁は厚かった。ウォーレン氏はマンハッタン計画の安全対策責任者。放射能を洗い流したといわれる45年9月中旬の枕崎台風の前後に広島と長崎に入り「患者の障害は危険な量の放射能が地上に残った結果ではない」と報告して政府見解を支えた。核開発にその後も関わった放射線研究の権威にウッドベリー氏ははね返され、政府を動かすことはできなかった。  ABCC内部で黒い雨はどう見られていたのか。「組織として『調査をしよう』という動きはなかった」。当時、ABCCの印刷課にいた宮川寅二さん(93)=広島市南区=は証言する。ABCCは広島と長崎の被爆者ら約12万人を対象に55年ごろに始めた寿命調査で「黒い雨に遭ったか」との質問を設けた。質問票の書式を任された宮川さんは「余白ができたから盛り込んだだけだった」と言う。  宮川さんの質問票が使われた61年までの調査に対し、約1万3000人が黒い雨に遭ったと回答した。しかし、75年にABCCが日米共同運営の放射線影響研究所(放影研)に改組された後も、長崎の医師らが回答の存在を2011年に指摘するまで「黒い雨に遭った場所や時間の情報が不十分だった」との理由で解析しなかった。 […] 疑われるなら国は救済を  国による被爆者援護は、原爆投下から12年後の1957年に原爆医療法(現被爆者援護法)が施行されて始まった。対象地域の拡大や手当の創設などが進められ、黒い雨を巡っては76年、広島の爆心地から北西側に広がる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円(だえん)状の地域が援護対象区域に指定された。この区域にいた人は無料で健康診断を受けられ、国が「放射線の影響を否定できない」と定める11障害を伴う病気になれば、医療費が免除になる被爆者健康手帳を受け取れる。 しかし、国は80年に厚相(当時)の諮問機関が出した「被爆地域の指定は科学的・合理的根拠のある場合に限定して行うべきだ」との意見書を盾に、区域の見直しをしなかった。黒い雨に遭った人の高齢化も進み、広島市や県は2008年、3万人超を対象にアンケートを実施。援護区域の6倍の広さで黒い雨が降ったとして国に区域拡大を求めたが「60年前の記憶によっていて、正確性が明らかにできない」と退けられた。  黒い雨の健康被害を認めない国がよりどころにするのが、45年8~11月の現地調査などのデータから放影研が作り、被ばく推定線量の計算に使われる評価システムだ。放影研は87年に出したシステムに関する報告書で「残留放射線の影響は無視できる程度に少ない」との見解を示している。  「直接放射線による外部被ばくだけでは、被爆者にもたらされた健康被害の説明がつかない」。19年10月、広島地裁。援護区域外で黒い雨に遭った住民ら84人が被爆者健康手帳の交付を求めた「黒い雨訴訟」で、住民側の証人として出廷した広島大の大瀧慈(めぐ)名誉教授(69)は訴えた。  75年から広島大原爆放射線医科学研究所に勤め、統計学の観点から原爆の影響を見続けてきた。広島市などのアンケートにも携わった研究者に気付きをもたらしたのは、11年3月の東京電力福島第1原発事故だった。  低線量被ばくや内部被ばくが議論される中、広島大が約1万8000人の被爆者を対象に10年までの40年間に実施した健康調査のデータを改めて分析し、黒い雨が降った爆心地の西側では被爆した場所が遠いほど、がんで死亡する割合が高いとの結果が出た。原爆の放射線による健康被害のリスクは爆心地に近いほど高いという「定説」と矛盾する。「放射性物質を空気や水、野菜とともに体内に取り込んだことによる内部被ばくの影響が否定できない」と結論づけた。  放射性物質が体内に入ると、排出されない限り局所的な被ばくが続く。だが、放射線量の測定方法は確立されておらず、がんの発生など健康への影響も解明されていない。被爆者援護法は「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」を受けた人々を救済するために制定された。その趣旨を踏まえ、大瀧名誉教授は主張する。「黒い雨の影響で健康被害が生じたと断定できなくても、疑われるなら国は救済すべきだ」。29日に言い渡される判決が、国が内部被ばくと向き合う契機となることを期待している。 全文

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Hibakusha: Hiroshima ‘black rain’ victim follows predecessor in seeking recognition via The Mainichi

HIROSHIMA — Some victims of radioactive “black rain” that fell on Hiroshima and surrounding areas in the immediate aftermath of the U.S. atomic bombing of the city in 1945 are still fighting for the right to receive free health care … Continue reading

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