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「間違った道、刑事裁判で直す」福島原発告訴団の武藤さん問い続ける via 西日本新聞

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「日本と原発 4年後」(上)

福島第1原発事故関連のドキュメンタリー映画の監督と主な出演者にインタビューする連載「あの映画 その後」は、第3シリーズとして「日本と原発 4年後」(河合弘之監督)を取り上げる。弁護士である河合監督が事故の教訓を踏まえ、脱原発を訴えるドキュメンタリー。国と東京電力の関係者を刑事告訴した「福島原発告訴団」の団長で、映画に登場する武藤類子さん(66)は今、東電旧経営陣の強制起訴裁判を支援する。なぜ刑事責任を問い続けるのか聞いた。

「間違ってる、この判決」
 「事故の後、福島の住民は不誠実な国と、無責任な東京電力の対応に怒り、悲しみ、深く傷つきました。なぜ、こんな理不尽なことが次々起きるのか考えた時に、事故の責任を負うべき人の責任が問われていないからだと気づいたんですね」。武藤さんは、告訴当時を振り返る。「大事故があれば警察、検察は自ら動いて現場検証し、強制捜査して起訴する。それがないから、告訴という形を取りました」

事故1年後の2012年3月に福島原発告訴団を結成。同年6月、国と東電の関係者ら33人を告訴した。検察は不起訴処分を重ねた。市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された東電旧経営陣3人の一審・東京地裁判決は無罪となり、今は東京高裁での責任追及を待つところだ。

「日本と原発 4年後」では、武藤さんが15年7月、強制起訴の決定後の記者会見で思いを語る場面がある。「検察審査会の審査員の方々は検察庁が不起訴とした処分は間違いであったと断じ、きちんと罪を問うべきだと判断したのです。やっとここまできたという思いで胸がいっぱいです」

強制起訴後は、検察役の指定弁護士らを支援する立場となった。新たに「福島原発刑事訴訟支援団」を結成し、裁判を傍聴し内容を広く伝えてきた。

(略)

19年9月の判決公判は、いつもの手荷物のエックス線検査に加え、手で触れられて身体検査をされた。ノート一枚一枚をめくられ、財布の中も見られた。警備職員が傍聴席を取り囲んで、睥睨(へいげい)する。裁判長は最初に「無罪」を言い渡した。傍聴席がざわつく。「え?」「ひどい」などの声が上がる。警備職員たちはその声の方に駆け寄っては制止する。傍聴人を敵視するかのような裁判長の訴訟指揮だった。

38回を数えた公判では21人が証言し、多くの東電社内のメールや議事録が証拠提出された。「東電の(旧経営陣)3人は大津波を予見できたのに対策を怠ったと立証されたと、有罪を確信していました。がっかりし、ありえない判決だと思いました」

閉廷が告げられると同時に声を上げずにいられなかった。「間違ってる、この判決」

深いところで傷ついている
 武藤さんは事故時、福島県三春町の山中で里山喫茶「燦(きらら)」を経営していた。チェルノブイリ原発事故後、脱原発運動を始めたが、人々の関心は薄れていった。喫茶店は「自分の暮らしから変えよう」と、養護学校教員を辞め山林を開墾して2003年に開店した。

三春町は避難指示区域ではないが、放射能で汚染され、行政の除染事業はあった。だが、山は対象外。畑での野菜栽培は難しい。山菜やクワの実、みそやパンに加工したり、カレーの具材にしたりしたドングリなど山の幸も食べることはできなくなった。山から調達する薪もストーブで燃やせない。廃業せざるを得なかった。

草花や昆虫に親しむ自然の中の暮らしが一気に奪われた喪失感は大きかった。しばらくは訳もなく涙がこぼれ出した。いかに自分が傷ついたか思い知る。「生き物」として深いところで傷ついている気がした。「みんな日々の選択に苦しんだ。避難するか避難しないか、食べるか食べないか、洗濯物を外に干すか干さないか。しだいに選択に疲れてきて、『もう聞きたくない』と被ばくの怖さを語るのがつらくなる人も出てきて、人々の間に分断が生まれました」

(略)

「無主物」の主張、恐るべき無責任
 事故から1年間、被ばくを恐れつつ先が見えない日々にあって、東京電力と国の対応は「驚き、あきれ、そしてまたがっかりして傷ついていく、そういうことの繰り返し」だった。

東電の「無責任」とは何か。「二本松市のゴルフ場が除染を求めたら、東電は放射性物質は『(誰のものでもない)無主物』だと主張し、除染もせず賠償もしなかった。原因企業なのに『自分たちの責任で除染しない』と言う。恐るべき無責任さに驚きました」

(略)

「不誠実」な安全キャンペーン
 国などの「不誠実」とはどんなことか。事故当初、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を隠し、多くの人たちを安全で適切な避難方向へ導かず無用な被ばくをさせた。

大学の専門家を「放射線健康リスク管理アドバイザー」として被災各地に派遣し、安全キャンペーンを展開。一般公衆被ばく限度は法令で年1ミリシーベルトと定めているのに、「年に100ミリシーベルト被ばくしても心配ない」などと説いて回らせた。

「福島市や郡山市、二本松市などでは、キャンペーンを信じた保護者たちが事故1カ月後には自主避難先から子どもを連れて戻り、入学させたり、通学させたりしてしまった。国は緊急時の暫定値として年20ミリシーベルトという目安を持ち出し、学校では(事故前なら問題となる放射線量下であっても)風で砂ぼこりが舞うような屋外で、子どもたちに運動させたんですね」

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責任をはっきりさせて、尊厳を取り戻す
 福島原発告訴団の呼び掛けで集まった県内の告訴人は1324人。告訴後、全国各地を回り、最終的な告訴・告発人は計1万4716人に達した。

「告訴を通じて踏みつけにされ台無しにされた人間の尊厳を取り戻したいと思いました。私たちの世代はこんなにものすごい量の核のごみをこの世に残し、若い世代や子どもたちに押しつけている。せめて刑事裁判で原発事故の原因と責任の所在をはっきりさせて、間違った道を直したい。それなしには被害者の完全救済はなく、本当の意味で福島の復興はあり得ない。同じような事故がまた起きかねません」。その思いは変わらない。

脱原発を訴える。「人の被ばくが前提の発電方法だから反対です。ウラン鉱石の採掘段階から被ばくは免れず、運転に必要な定期点検は現場の人たちが被ばくする。いったん事故が起きれば、家を失い、生業(なりわい)を失い、地域を失い、甚大な被害を及ぼす。使用済み燃料の捨て場も決まらない。さらに、再処理もできず、核燃料サイクルは破綻している。経済優先で原発再稼働されるたびに、福島でこんなにたくさん放射能を浴びて被ばくしているのにそれが教訓に生かされないことを悲しく感じます」(吉田昭一郎)

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