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「国は国民守らない」静かに怒る鬼が見た原発行政10年 via 朝日新聞

聞き手・飯島啓史 私たちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です――。東京電力福島第一原発事故の発生から半年後、福島県三春町の武藤類子さん(67)は群衆であふれる東京都内の公園で、事故への戸惑いや悲しみ、怒りを「鬼」という言葉に込めて訴えた。事故からまもなく10年。その思いは届いたのか。 (略) むとう・るいこ 1953年8月、福島県矢吹町生まれ。1歳から福島市で育ち、大学卒業後、印刷会社に就職するも、教育大に再入学。その後は養護学校の教員として20年働き、2001年に中途退職した後は福島県田村市船引町で喫茶店「里山喫茶燦(きらら)」を営む。12年から福島原発告訴団長として、東京電力の旧経営陣の刑事責任を追及し、全国各地での講演は計300回を超える。  ――原発に関心を持ったきっかけは何ですか。  「1986年のチェルノブイリ原発の事故が起きるまで、福島に原発があることすらほとんど気にしていませんでした。しかし、事故で周辺に住めなくなり、その悲惨さを伝えるニュースを見て、原発の危険性を認識し、県内にも多くの原発があるということに目を向けました。そして、『原発は無いほうがいい』と思い、反原発運動に参加するようになりました」  「その後はできるだけ電気を使わず自然の中で暮らしたいと思い、2003年からは実家近くの山あいで喫茶店を始め、裏山には自分で山小屋を建て、ソーラーパネルや薪ストーブを設置し、できるだけ省エネで暮らしていました」 (略) ――事故から約半年後、東電の旧経営陣の業務上過失致死傷罪での起訴を目指し、活動を始めました。  「事故の後、福島第一原発がメルトダウンしていることの公表は約2カ月遅れ、国は放射線被曝(ひばく)の基準を緩和しました。そうした中で原発の再稼働の話もあり、『このままでは、原発の問題は事故前と何も変わらない』と思い、これまでの運動の仲間や弁護士などの力を借りて刑事告訴・告発を呼びかけました」 「国策の犠牲になった東北、福島」  ――11年9月に6万人が集まった東京での集会で、「私たちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」と訴えました。  「とにかく福島の現状を知って欲しいという思いでした。福島の報道もだんだん減り、国は事故が収束に向かっているとアピールする中、福島県民の不安や原発への危機感を理解して欲しかった」  「また、自分も含めて東北の人間は、怒りを内に秘めることが多いと感じています。歴史における東北は中央に対する辺境で、原発政策においても、東北は首都圏に電気を供給する役割を負ってきたと感じます。その国策の犠牲となった東北や福島の怒り、中央にあらがう気持ちを、東北各地にたくさんある『鬼伝説』を踏まえ、鬼という言葉で表現しました」  ――12年には東電の旧経営陣の刑事責任を追及する「福島原発告訴団」の団長になりました。  「最初は県内の約1300人が告訴人になり、12年末には全国の1万5千人が告訴・告発人として集まりました。年長ということと、喫茶店も事故後から営業していなかったので、私が団長になりました」  ――告訴・告発を受け、検察は2度、元幹部らを不起訴としましたが、検察審査会が2度、元会長ら3人を「起訴すべきだ」と議決し、16年に強制起訴されました。  「検察は当然起訴すると思っていたので、不起訴はびっくりしました。これだけの事故を起こしているのに、罪に問われないのかと。原発のあり方を問い直すためには被害者が声を上げるしかないと思い、全国を奔走(ほんそう)しました」  ――しかし、東京地裁は昨年9月、旧経営陣3人全員に無罪判決を言い渡しました。  「37回の公判全てを傍聴しました。21人の証人が出廷し、東電内の議事録やメールなど新証拠も出され、有罪だと私は確信していたので、無罪判決を聞いて心底がっかりしました。判決主文のあと、3時間にわたる判決理由をずっと聞いていました。『(福島県沖で津波地震が起きる可能性を指摘した国の)長期評価の信頼性には疑いが残る』『原発には絶対的な安全性が求められているわけではない』といった判決を聞き、がくぜんとしました」 ――検察官役の指定弁護士は「(一審判決は)重大な誤り」と控訴し、東京高裁で改めて旧経営陣の刑事責任が判断されます。何を求めますか。  「旧経営陣に責任を取って欲しい、ということです。何が間違っていたのか正しく認識し、同じ悲劇が起きないように、どういう経営、どういう社会を作っていけばいいのかと考えることが、責任を取るということだと思います。東電の廃炉資料館に行くと、『反省と教訓』という言葉が繰り返されていますが、本当に反省をして教訓を生かすのであれば、まずは事故の責任を自ら認識して欲しいと思います」  ――事故後の東京でのスピーチでは事故への怒り、国の対応への不信感を訴えました。状況は変わりましたか。  「あの場所で危機感を持って言った『国は国民を守らない、莫大(ばくだい)な放射能のゴミは残る』などの言葉が、実現してしまっていると感じています。国の原発事故や行政をめぐる姿勢はこの10年でむしろひどくなっている。処理水の海洋放出や、汚染土の再利用などはその象徴だと思います。一方、復興予算は『イノベーション・コースト構想』をはじめとする、新しい箱もの作りに使われ、本当の復興とは何か、見えなくなっています。本当の復興とは、長い時間がかかっても、もとの住民がふるさとで安全に暮らせることではないでしょうか」(聞き手・飯島啓史) 全文と「さようなら原発集会」でのスピーチ要旨は「国は国民守らない」静かに怒る鬼が見た原発行政10年

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「間違った道、刑事裁判で直す」福島原発告訴団の武藤さん問い続ける via 西日本新聞

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「日本と原発 4年後」(上) 福島第1原発事故関連のドキュメンタリー映画の監督と主な出演者にインタビューする連載「あの映画 その後」は、第3シリーズとして「日本と原発 4年後」(河合弘之監督)を取り上げる。弁護士である河合監督が事故の教訓を踏まえ、脱原発を訴えるドキュメンタリー。国と東京電力の関係者を刑事告訴した「福島原発告訴団」の団長で、映画に登場する武藤類子さん(66)は今、東電旧経営陣の強制起訴裁判を支援する。なぜ刑事責任を問い続けるのか聞いた。 「間違ってる、この判決」 「事故の後、福島の住民は不誠実な国と、無責任な東京電力の対応に怒り、悲しみ、深く傷つきました。なぜ、こんな理不尽なことが次々起きるのか考えた時に、事故の責任を負うべき人の責任が問われていないからだと気づいたんですね」。武藤さんは、告訴当時を振り返る。「大事故があれば警察、検察は自ら動いて現場検証し、強制捜査して起訴する。それがないから、告訴という形を取りました」 事故1年後の2012年3月に福島原発告訴団を結成。同年6月、国と東電の関係者ら33人を告訴した。検察は不起訴処分を重ねた。市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された東電旧経営陣3人の一審・東京地裁判決は無罪となり、今は東京高裁での責任追及を待つところだ。 「日本と原発 4年後」では、武藤さんが15年7月、強制起訴の決定後の記者会見で思いを語る場面がある。「検察審査会の審査員の方々は検察庁が不起訴とした処分は間違いであったと断じ、きちんと罪を問うべきだと判断したのです。やっとここまできたという思いで胸がいっぱいです」 強制起訴後は、検察役の指定弁護士らを支援する立場となった。新たに「福島原発刑事訴訟支援団」を結成し、裁判を傍聴し内容を広く伝えてきた。 (略) 19年9月の判決公判は、いつもの手荷物のエックス線検査に加え、手で触れられて身体検査をされた。ノート一枚一枚をめくられ、財布の中も見られた。警備職員が傍聴席を取り囲んで、睥睨(へいげい)する。裁判長は最初に「無罪」を言い渡した。傍聴席がざわつく。「え?」「ひどい」などの声が上がる。警備職員たちはその声の方に駆け寄っては制止する。傍聴人を敵視するかのような裁判長の訴訟指揮だった。 38回を数えた公判では21人が証言し、多くの東電社内のメールや議事録が証拠提出された。「東電の(旧経営陣)3人は大津波を予見できたのに対策を怠ったと立証されたと、有罪を確信していました。がっかりし、ありえない判決だと思いました」 閉廷が告げられると同時に声を上げずにいられなかった。「間違ってる、この判決」 深いところで傷ついている 武藤さんは事故時、福島県三春町の山中で里山喫茶「燦(きらら)」を経営していた。チェルノブイリ原発事故後、脱原発運動を始めたが、人々の関心は薄れていった。喫茶店は「自分の暮らしから変えよう」と、養護学校教員を辞め山林を開墾して2003年に開店した。 三春町は避難指示区域ではないが、放射能で汚染され、行政の除染事業はあった。だが、山は対象外。畑での野菜栽培は難しい。山菜やクワの実、みそやパンに加工したり、カレーの具材にしたりしたドングリなど山の幸も食べることはできなくなった。山から調達する薪もストーブで燃やせない。廃業せざるを得なかった。 草花や昆虫に親しむ自然の中の暮らしが一気に奪われた喪失感は大きかった。しばらくは訳もなく涙がこぼれ出した。いかに自分が傷ついたか思い知る。「生き物」として深いところで傷ついている気がした。「みんな日々の選択に苦しんだ。避難するか避難しないか、食べるか食べないか、洗濯物を外に干すか干さないか。しだいに選択に疲れてきて、『もう聞きたくない』と被ばくの怖さを語るのがつらくなる人も出てきて、人々の間に分断が生まれました」 (略) 「無主物」の主張、恐るべき無責任 事故から1年間、被ばくを恐れつつ先が見えない日々にあって、東京電力と国の対応は「驚き、あきれ、そしてまたがっかりして傷ついていく、そういうことの繰り返し」だった。 東電の「無責任」とは何か。「二本松市のゴルフ場が除染を求めたら、東電は放射性物質は『(誰のものでもない)無主物』だと主張し、除染もせず賠償もしなかった。原因企業なのに『自分たちの責任で除染しない』と言う。恐るべき無責任さに驚きました」 (略) 「不誠実」な安全キャンペーン 国などの「不誠実」とはどんなことか。事故当初、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を隠し、多くの人たちを安全で適切な避難方向へ導かず無用な被ばくをさせた。 大学の専門家を「放射線健康リスク管理アドバイザー」として被災各地に派遣し、安全キャンペーンを展開。一般公衆被ばく限度は法令で年1ミリシーベルトと定めているのに、「年に100ミリシーベルト被ばくしても心配ない」などと説いて回らせた。 「福島市や郡山市、二本松市などでは、キャンペーンを信じた保護者たちが事故1カ月後には自主避難先から子どもを連れて戻り、入学させたり、通学させたりしてしまった。国は緊急時の暫定値として年20ミリシーベルトという目安を持ち出し、学校では(事故前なら問題となる放射線量下であっても)風で砂ぼこりが舞うような屋外で、子どもたちに運動させたんですね」 (略) 責任をはっきりさせて、尊厳を取り戻す 福島原発告訴団の呼び掛けで集まった県内の告訴人は1324人。告訴後、全国各地を回り、最終的な告訴・告発人は計1万4716人に達した。 「告訴を通じて踏みつけにされ台無しにされた人間の尊厳を取り戻したいと思いました。私たちの世代はこんなにものすごい量の核のごみをこの世に残し、若い世代や子どもたちに押しつけている。せめて刑事裁判で原発事故の原因と責任の所在をはっきりさせて、間違った道を直したい。それなしには被害者の完全救済はなく、本当の意味で福島の復興はあり得ない。同じような事故がまた起きかねません」。その思いは変わらない。 脱原発を訴える。「人の被ばくが前提の発電方法だから反対です。ウラン鉱石の採掘段階から被ばくは免れず、運転に必要な定期点検は現場の人たちが被ばくする。いったん事故が起きれば、家を失い、生業(なりわい)を失い、地域を失い、甚大な被害を及ぼす。使用済み燃料の捨て場も決まらない。さらに、再処理もできず、核燃料サイクルは破綻している。経済優先で原発再稼働されるたびに、福島でこんなにたくさん放射能を浴びて被ばくしているのにそれが教訓に生かされないことを悲しく感じます」(吉田昭一郎) 全文は「間違った道、刑事裁判で直す」福島原発告訴団の武藤さん問い続ける

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歴史に汚点を残す 福島原発告訴団が批判 via しんぶん赤旗

東京電力福島第1原発事故をめぐり業務上過失致死傷罪で強制起訴された元会長の勝俣恒久(79)、いずれも元副社長の武黒一郎(73)、武藤栄(69)の3人を「無罪」とした東京地裁判決について、検察官役の指定弁護士は19日、判決後に記者会見を開き、石田省三郎弁護士は「国の原子力行政を忖度(そんたく)した判決だ」と批判しました。控訴するかどうかは判決文を精査して決めると言います。 石田氏は、原発の規制のあり方について地裁判決が「絶対的安全性の確保までを前提としていなかった」などとしている点を疑問視。 (略) 原発について高度な安全性を求められる電力会社の最高経営陣を免罪したことで、「そういうことをやっていればいいのか、と感じた」と述べました。 福島原発告訴団の会見も行われ、武藤類子団長は「残念の一言」と述べ、「裁判所は間違った判断をしています。福島の被害者に真摯(しんし)に向き合ったのか」と批判しました。 海渡雄一弁護士は「歴史に汚点を残す、取り消されるべき判決。この事件をこのまま終わらせるわけにはいかない」と述べました。 全文は歴史に汚点を残す 福島原発告訴団が批判

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ちょうど8年前、爆発した原発 無罪訴える3人に福島は via 朝日新聞

(略) 午前10時前にスーツ姿で出廷した被告3人は法廷に向かって一礼すると、弁護団の後ろに着席し、締めくくりの審理に臨んだ。 「3人は無罪です」。最終弁論の冒頭、弁護人は2017年6月末の初公判の時と同様の主張を鮮明にした。責任ある立場にあった者としておわびしなければならないが、刑事責任を問われるのは違う――。こうした立場を堅持した3人は、手元の資料を確認しながら弁論を聞いた。時折、目線を上げ、裁判官の様子をうかがうようなしぐさも見せた。 ちょうど8年前。東日本大震災の発生翌日となる11年3月12日、1号機が水素爆発を起こした。 (略) 原発から約8キロの浪江町に住んでいた今野寿美雄さん(54)=福島市=も事故が「人災だ」と訴える。 原発作業員として働き、水素爆発は東北電力女川原発(宮城県)の事務所のテレビで見た。第一原発の全電源を喪失したと知ると、東電が原発建屋内への浸水を防ぐ対策を怠ったとの思いを強くした。 公判傍聴のため、何度も東京地裁に足を運び、12日も姿をみせた。「事故はたくさんの人の人生を奪った。その責任の重さははっきりしているはずだ」(飯沼優仁、阿部峻介) 全文はちょうど8年前、爆発した原発 無罪訴える3人に福島は

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東電「責任ない」認められない 福島県の被災者から怒りvia 西日本新聞

東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人の最終弁論に、福島県の被災者からは12日「責任がないなんて認められない」と怒りの声が上がった。 避難区域が残る富岡町の無職阿部勝子さん(78)は「覚悟を持って『原発は安全だ』と説明してきたんじゃないのか」と語気を強めた。 (略) 禁錮5年の求刑には「私たちは一生苦しまなきゃいけないのに軽すぎる」と疑問を投げ掛けた。 全文は東電「責任ない」認められない 福島県の被災者から怒り

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福島第1原発事故 福島原発告訴団長・武藤さん京都講演/下 「緊急事態」続く古里への思い /京都 via 毎日新聞

「8年たっても原子力緊急事態宣言がまだ発令中。緊急事態が続いている」。「福島原発告訴団」の団長、武藤類子さん(65)=福島県三春町=は京都市内での講演で、東京電力福島第1原発の事故で大きな影響を受けた同県内の状況を伝えた。自らは8年を「長かったのか、短かったのか分からない。夢中で生きてきた」と振り返った。【太田裕之】 「汚染ゴミと暮らしている」/「危険だが我慢を…棄民政策だ」/「被害を見せなくする力も」 ■汚染廃棄物 原発サイトでは事故処理の過酷な被ばく労働が続く。放射性汚染水は1000トンタンクが900基ほどたまり、今も増え続ける。原子力規制委員長は海洋放出を主張し、漁業者らは反対。武藤さんは「私たちは陸上保管すべきだと思うし、説明会でも陸上保管を求める意見が多かったと思う。しかし、昨年12月28日に開かれた委員会では陸上保管は全く議論されず、どうやって流すことを住民に理解してもらうかに焦点があった」と話した。 除染による土壌などの放射性廃棄物は容量1立方メートルの袋(フレコンバッグ)に詰められ、環境省によると最大で1650万立方メートルと推計される。積み込んだ大型トラックが高速道路を走って中間貯蔵施設に運び込まれているが、運びきれないものは家庭の庭、学校の校庭、公園や河川敷の下に埋まっている。東京五輪で使われる野球場の一角にも積み上がっている。郡山市では墓地などにいっぱいあり、武藤さんは「こういうゴミと私たちは暮らしている」と述べた。 除染土の再利用の問題もある。二本松市では道路の下に埋めることを環境省が計画し、住民の反対で中止になった。飯舘村では帰還困難区域の農地に入れて花を植える計画があるが、避難指示解除に向けた整備とセットにされた。南相馬市では高速道路の盛り土に計画され、反対の声が上がる。武藤さんは住民たちの心配に加え、「作業する人の(被ばくの)ことも考えないといけない」と指摘した。 (略) 男性は強制的に避難させられ、仮設住宅に住まわされて、自分では何も決められなかった。帰還は自分で決められたことは良かったが、孫と子には来ないよう言っているといい、「私たちは捨てられた民です」と話した。武藤さんは「元のように安全になったから帰りなさいというのではなく、今も放射性物質はあり、事故前の20倍の基準で帰っていいという。危険はあるけど我慢して暮らしてくださいというのが今の帰還政策だ」と指摘した。 それでは帰れないという人も多いが、行政からの支援はどんどん打ち切られ、経済的に困窮し、苦しむ人がたくさんいる。自主避難者への県による月額最大2万円の家賃補助は今年度末で終了。公務員住宅の家賃は2倍にされる。帰還困難区域を含む人たちの仮設住宅も2020年に廃止の方針で、武藤さんは「まさに棄民政策だ」と批判した。  ■安全の宣伝 原発事故後に県内に3000台が設置されたリアルタイム線量測定システム(モニタリングポスト)は、避難区域外の2700台が撤去される方針といい、武藤さんは「最低限だけど放射線を可視化できる重要な情報。子育て中の母親たちが各自治体に対し、撤去しないよう意見書を国に出してと要請している。3分の1くらいの自治体が反対を表明している」と紹介した。 また、双葉町内で原発から4キロの位置で建設が進む「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」に触れて、「周りは全て帰還困難区域なのに、県は全国から高校の修学旅行生を誘致したいと言う。原発にも高校生が見学に訪れている」と言及。「ものすごい力によって、安全だ、もう大丈夫、被害者なんかいない、もう被害はないんだという宣伝がされている」と語った。 (略) 「みんな、自分よりもっと大変な人がいると思うと、自分の被害を感じられなくなったり、罪悪感を持ってしまったりする。でも、ひどい人も軽い人もいるかもしれないが、本当に多くの人が被害を受けた」と述べたうえで「たゆまず歩み続けていかないといけない。皆さんの温かいご支援に励まされながら、がんばりたいと思う」と結んだ。 主催者の一人でNPO法人「市民環境研究所」代表理事の石田紀郎さんは「東京五輪を控えて(政府などは)福島の事故はないことにしている。私たちは、福島は現実の問題として解決しないといけないことだと、しっかり肝に銘じて運動を続けていきたい」と述べた。 全文は福島第1原発事故 福島原発告訴団長・武藤さん京都講演/下 「緊急事態」続く古里への思い /京都 関連記事:福島第1原発事故 福島原発告訴団長・武藤さん京都講演/上 公判資料基に旧経営陣追及 /京都

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「福島だけで終わらせて、絶対」 被災者語る今、故郷は via 朝日新聞

東京電力福島第一原発事故で被災した人々の証言を集めた記録映画「福島は語る」が、東京・新宿のケイズシネマで上映されている。分断を強いられた避難生活の苦悩や喪失感、過酷な暮らしの実情が語られ、故郷とは何かを問いかける。 手がけたのは、パレスチナで約30年取材を続けるフリージャーナリストの土井敏邦監督(66)。「人災」で故郷を追われた人々の姿をパレスチナの苦難と重ね合わせ、原発事故後の福島を描いた映画は「飯舘村 故郷を追われる村人たち」(2012年)、「飯舘村 放射能と帰村」(13年)に続く3作目となる。 目に見えぬ放射線の被害の伝え方を考えていた時、「福島原発告訴団」の証言集会に参加。避難生活ゆえの離婚や農業が立ちゆかない悲しみなど、生々しい告白に圧倒された。「一見、平穏に戻ったように見える福島県内の町を歩くだけでは何も見えない。ならば、この語りこそ伝えるべきだ。記録に残さなくては」 告訴団のメンバーを手がかりに人脈をたどり、車中泊を重ねながら4年かけて約100人にインタビューした。作品にはこのうち14人が登場する。 (略) 一昨年、くも膜下出血で亡くなった郡山市のコメ農家の男性は、原発事故後に注文が激減した状況の中、「俺らのつらさをね、絶対、福島県だけで終わらせてほしい。絶対、(原発)再稼働はあってはなんねえ」と訴えていた。 「福島の人たちをこんな目に遭わせて放置しておいて、何が東京五輪だ。何を日本は浮かれているのか」と土井監督は憤る。「原発事故は決して終わっていない。彼らの声を一人でも多くの人に聞いてほしい」 ケイズシネマでの上映は3月15日まで。東京・渋谷や横浜、福島、札幌、仙台、名古屋、大阪、京都、福岡など全国で順次上映される。(川村直子) 全文は「福島だけで終わらせて、絶対」 被災者語る今、故郷は」

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東日本大震災 福島第1原発事故 対岸の原発、抱く不安 因島移住の被災者 via 毎日新聞

東京電力福島第1原発事故で福島市から避難した男性が、瀬戸内海の広島県尾道市・因島に定住し、無農薬によるかんきつ栽培 に取り組んでいる。島民の力添えもあって仕事は軌道に乗り始めたが、同じ海を臨む愛媛県西部には四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)が再稼働した。 「原発に絶対的な安全はない」。あの日から11日で5年半。今も不安がぬぐえない。 (略)  11年3月11日、東日本大震災が起きる。原発から約50キロ離れていたが、被ばくを心配する妻に促され、2日後に当時2歳だった長女を連れて、家族3人で尾道市の生口(いくち)島に親類を頼って避難した。  妻子も島の暮らしを気に入り、12年春に定住を決断した。生口島と西瀬戸自動車道でつながる因島に土地約1ヘクタールを購入した。 (略) だが、伊方原発3号機が8月12日、約5年ぶりに再稼働。ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料によるプルサーマ ル発電を行う国内唯一の原発だ。原発事故の刑事責任を問う「福島原発告訴団」に参加する長野さんは再稼働の日、原発ゲートに向かった。「再稼働を止められ ないのは分かっていた。それでも何かしないと何も変えられない」  プルサーマルは制御棒の効きが悪くなるともされ、瀬戸内海の放射能汚染への不安が胸をかすめる。「原発事故は、地震や人為的ミスなどさまざまなことで起 こりうる。福島の教訓は生かされているのか。原子力災害が再び繰り返さないか、考えずにはいられない」【高田房二郎】 全文は東日本大震災 福島第1原発事故 対岸の原発、抱く不安 因島移住の被災者

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武藤類子さん講演会のお知らせ  主催:福島原発告訴団関西支部 via 京都市民平和連合

福島原発告訴団関西支部講演会のお知らせ 講師:武藤類子さん(福島原発告訴団団長) 演題:福島原発事故の責任を問い続けよう! 日時:2016年8月25日(木) 開場:午後6時  開演:午後6時30分~8時30分まで 会場:ハートピア京都(烏丸丸太町下ル東側) 参加費:1000円 全文は武藤類子さん講演会のお知らせ  主催:福島原発告訴団関西支部

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[video] 2016.7.18 福島原発告訴団 7・18海の日「これ以上 命の海を汚さないで」集会

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