原爆症認定訴訟 訴え退け原爆症と認めない判決確定 最高裁via NHK News Web

広島や長崎で被爆し、白内障などの病気になって経過観察とされた人たちを原爆症と認定するかどうかが争われた3件の裁判で、最高裁判所はいずれも訴えを退けたうえで、経過観察の人を原爆症と認定するには「経過観察じたいが治療に不可欠で治療の一環だといえる特別な事情が必要だ」という初めての判断を示しました。

被爆の影響で白内障などになり、経過観察とされた被爆者らが国に原爆症の認定を求めた3件の裁判では、広島高裁と名古屋高裁が一部の被爆者を原爆症と認めた一方、福岡高裁は認めませんでした。

国が原爆症と認定して手当を支給するには、「現在、医療が必要な状態にある」という条件を満たす必要があり、経過観察とされた人がその条件にあてはまるかをめぐって裁判所の判断が分かれていました。

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そして「病気の再発や悪化の程度と、結果の重大性など、医学的にみて経過観察が必要な事情を総合考慮して個別に判断すべきだ」と指摘し、3件の裁判についてはいずれも「特別な事情があるとは言えない」とし、原爆症を認めない判決が確定しました。

原告側の弁護団「不当判決」

判決の後、最高裁判所の前では、原告側の弁護団が「不当判決」と書かれた紙を広げ、集まった支援者たちは落胆した様子でした。

原告の1人で広島市の内藤淑子さんは「皆様のおかげでここまで来ることができましたが、このような結果になってしまい申し訳なく思います。同じ被爆者だった母の顔が思い浮かびました」と話していました。

原告 内藤淑子さん「納得できない結果に心が折れそうに」

裁判の後の会見で内藤淑子さんは「納得できない結果に心が折れそうになりました。どうしていいかわからず、残念でなりません。このような結果に終わりこのままでいいのか、生きているかぎり頑張らないといけないのか、自分の胸の内ははかりしれません」と話していました。

弁護団の樽井直樹弁護士は「非常に抽象的な対応だ。手当の制度論に終始していて、病気を発症した被爆者にどういう援護の手をさしのべるべきなのか、国は責任を忘却している。こんな判決に屈服せず私たちはこれからも戦い続けます」と話していました。

原告 高井ツタヱさん「何のためにこの日を迎えたのか」

名古屋市の高井ツタヱさん(84)は、9歳のときに長崎で被爆しました。原爆が投下されたとき、爆心地までおよそ5.4キロの自宅にいて、その後、親類を捜すためおよそ2キロまで近づいたということです。被爆者に対する差別に苦しんだ高井さんは、亡くなった夫にすら被爆したことを打ち明けられなかったと言います。

平成6年に「慢性甲状腺炎」と診断され、定期的に医療機関に通って経過観察を続けてきた高井さん。平成22年になって原爆症の申請をしましたが認められませんでした。

25日の判決のあと、記者会見した高井さんは「がっかりしています。何のためにこの日を迎えたのかという思いです」としたうえで、「被爆から75年がたち、いつどこでどういう病気になるか、不安を抱えたまま毎日を過ごしています。裁判が終わっても、不安を抱えて生きていく状況に変わりありません」と話しました。

厚労省「主張認められた」

厚生労働省原子爆弾被爆者援護対策室は「本日の最高裁の判決では、国の主張が認められたと認識しております」とコメントしています。

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