Tag Archives: 広島・長﨑

「やめて」真っ赤なケチャップに血相変えた母…父の命奪われた県内被爆者の「語り継ぐ」覚悟 核兵器禁止条約発効 via 南日本新聞

22日発効した核兵器禁止条約に、唯一の被爆国である日本は参加していない。5歳の頃、長崎で被爆し、父を亡くした南さつま市加世田川畑の木原幹雄さん(80)は、最近の政治が「戦中回帰」に映り心配でならない。批准国に感謝し「悲劇が二度と繰り返されないよう、語り継いでいかなければ」と覚悟を新たにした。 […]  家族によると、造船工場で働いていた父は全身にやけどを負い、裸同然の姿で帰宅した。近所の安否確認のため駆け回り、10日後に息を引き取った。最後はつじつまの合わない話をした。遺体は田んぼで焼き、みそつぼに遺骨を納めた。幼かった幹雄さんに父の記憶はなく、家が焼けたため、残る写真も遺影1枚。「頑張り屋で優しい人だったのだろう」と想像する。  故郷加世田に戻った母は、4人の子を育てるため、農家の手伝いや行商で働きづめ。貧しく、生活保護も受けた。昔話は嫌がり、真っ赤なケチャップ料理を見て「これだけはやめて」と血相を変えたことも。「思い出すのもつらかったのだろう」と察する。  妻の民子さん(75)は、親の反対を押し切って幹雄さんと結婚した。「被爆者だから、早死にするかも」と不安もあったと明かす。  幹雄さんは戦争を知る世代が減り、異論を封じ込めるような最近の政治に不安を覚える。条約発効を機に、核廃絶に向けた世論が高まり、政府を突き動かすことを期待する。「孫たちに同じ思いはさせたくない」。被爆者の願いだ。 […] 全文

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[ヒロシマの空白] 黒い雨 解明への道筋は via 中國新聞

1945年8月6日、米国が投下した原爆が広島市上空で爆発した後、放射性物質を含む「黒い雨」が広い範囲に降り注いだ。そのこと自体はよく知られているが、被害の実態には未解明な点が多い。黒い雨の体験者を被爆者と認めた昨年7月の広島地裁判決を受け、国はあらためて降雨域などの検証に乗り出した。ただ、時間の壁は厚い。直接被爆だけではない原爆被害の「空白」は、なぜ今なお埋まらないのか。「空白」に苦しむ当事者の証言や科学的調査の歩みをたどる。(明知隼二) 新たな検証 国が検討会五つの視点 課題は山積 気象の再現 精度疑問/土壌の調査 核実験と判別困難  国は昨年11月、黒い雨の降雨域を検証するため、専門家11人による検討会を設けた。初会合で気象シミュレーションなど5項目の作業が示され、今後は公募で選ばれた研究者たちによるワーキンググループへと舞台を移す。課題は山積だ。  「技術の向上で新たな検証ができるのでは」。検討会で国の担当者が筆頭に挙げたのが、原爆投下時の気象をスーパーコンピューターで再現し、降雨域を見るシミュレーションだ。欧州では、過去100年の地球上の気象を再現するデータ整備が進む。そのうち1945年のデータを活用することが念頭にある。 […] 唯一、黒い雨の体験者を直接の対象とする検証作業が、黒い雨に関する国の健康相談事業を利用した人の調査だ。相談時の健康状態の申告内容の分析や、県のがん登録との照合を視野に入れる。かかりつけ医からの情報収集や、病歴の再検証など、いかに網羅的な調査ができるか。国の姿勢が問われる。  内部被曝(ひばく)を巡る問題について、座長の湘南鎌倉総合病院の佐々木康人・放射線治療研究センター長は「異なる意見があり、どこかで整理したい」と触れるにとどめた。委員からは「放射性微粒子の健康影響、という観点からも検討を」との意見も出ている。 発生の仕組みきのこ雲から放射性物質降る […] 原爆によるきのこ雲は上空約1万6千メートルに達したとされる。大きく分けて雲の発生源は三つあり、それぞれから放射性物質を含む雨が降ったと考えられる。まず、爆発後の火の玉から生まれた雲だ。原爆は地上600メートルで爆発後、高熱の火球となり膨らみながら上昇。徐々に冷やされ、きのこの「かさ」の部分をつくる雲となった。  一方、地上に届いた爆発の衝撃波は、土ぼこりや家屋の破片などを上空に巻き上げ、ちりによる雲を生んだ。さらに、爆心地からおおむね2キロ以内を全焼させた火災による雲も発生。きのこ雲の中~下部を形作ったとみられている。  きのこ雲には、多くの放射性物質が微粒子として含まれていた。原爆の原料ウランの分裂でできたセシウムなどの放射性物質、分裂しなかったウラン、放射能を帯びた土ぼこりやすすなどだ。  こうした放射性微粒子は雨として広い範囲に降り注いだほか、乾いた微粒子のまま空気中に拡散したとみられる。雨や濡れた地面からの放射線だけではなく、飲み水や食べ物により放射性物質を体内に取り入れたことによる内部被曝の可能性が指摘されている。 体験者の今心身 癒えぬ苦しみ 援護区域拡大へ闘い続く […]  直後の下痢やだるさ、長く続く貧血に、後年のがん―。黒い雨を浴びたり、雨で汚れた野菜や水を口にした人の多くに共通する証言だ。「雨のせいとしか思えんのです」。高野さんは訴訟の原告団長を務める。  しかし黒い雨は、どこまで降ったのかも、どのように人体に影響を与えているのかも、いずれも十分には分かっていない。 黒い雨による体の変調については、陸軍軍医学校が45年10月の記録を残す。雨を浴びた古江地区(現西区)の住民6人を調査。全員がだるさを訴え、脱毛、出血斑が出たという人もいた。人数が少なく「断定し難し」としつつ、雨の影響と考える事も「可能」と記した。宇田技師らも、いずれも現西区の己斐や高須で長期間にわたる下痢が「頗(すこぶ)る多数」とし、雨の流入した井戸水の影響と推察した。  「直接被爆とは違う被爆があるはず」。4歳で雨を浴び、5年前にがんを患った谷口百合子さん(80)=佐伯区=はそう語る。訴訟には加わっていないが、国の控訴には不信を抱く。「原爆被害を、核兵器の危険を過小評価してはいないでしょうか」 検討会委員 広島大名誉教授 鎌田医師に聞く内部被曝 過小評価されてきた 体験者の言葉に耳を傾けねば 黒い雨の実態解明には何が必要なのか。長年にわたり放射線被曝による後障害の研究に取り組み、国の検討会に委員として参加する広島大の鎌田七男名誉教授(83)に聞いた。 ―黒い雨の人体への影響をどう見ますか。 影響があるはずだ。放射性物質を体内に取り込む内部被曝の可能性が過小評価されている。影響が出るには時間がかかるはずだが、その仕組みや特徴はまだ解明されていない。これまでの調査は、あまりに早く結論を導いてしまっている。 ―1988年の広島県と広島市の専門家会議でも委員を務めました。 当時は近距離で大量に放射線を浴びた人を研究すべきだとの使命感があり、それ以外の被爆を軽視していた。未熟だった。今は異なる認識を持っている。 ―なぜ考え方が変わったのですか。 原爆養護ホームの園長を務めていた頃、原爆投下後に黒い雨が降った古田町(現西区)に住んでいた女性と出会った。当時29歳で、家は爆心地から4・1キロ。出産直後で動けず、約2週間は自宅周辺の野菜や水を摂取していた。  女性は80代で肺や胃、大腸などに相次いでがんを患った。後に肺がんの組織を調べると、ウランが放出源とみられる放射線の痕跡を確認できた。内部被曝の確信を得た。 ―黒い雨の実態に迫るには何が必要ですか。 これまでは集団の傾向を調べる研究が強く、個別の症例はいわば「砂粒」のようなものだった。しかし今は医師として、臨床家の目線が大切だと感じる。被爆者のがんの増加にいち早く気付いた於保源作医師(92年に87歳で死去)は、日々の診療の中で抱いた違和感を調べ抜き、事実を明らかにした。 まずは予断なしに体験者の言葉に耳を傾けなければならない。  今回の検証が、黒い雨の体験者にとっては最後の機会となるだろう。2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、放射性物質が雨水だまりに集積したり、風に乗って遠方に飛んだりしていたことなど、新たな発見もあった。そうした知見も生かしながら、虚心に議論を尽くすべきだ。 かまだ・ななお 広島大医学部卒。同大原爆放射能医学研究所(現原爆放射線医科学研究所)所長、放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長などを歴任。広島原爆被爆者援護事業団理事長を2017年3月に退いた。専門は血液内科学。 (2021年1月3日朝刊掲載) 全文

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【ヒロシマの空白】被爆の線引き<下>内部被曝を追う 細胞損傷の一端つかむ via 中國新聞

▽欠かせぬ長期解析  原爆のさく裂時に大量の放射線を浴びてはいない「黒い雨」の経験者や入市被爆者も、健康被害を訴えているのはなぜなのか。長年、放射性物質を体内に取り込む内部被曝(ばく)の可能性が指摘されながら、体に影響を与える仕組みの解明は進んでいなかった。その一端に迫る研究が、ようやく始まっている。  ■初の成果を発表  ラットの肺の顕微鏡写真に、黒く変色した箇所が見える。「組織が壊死(えし)した部分です」と、分析した長崎大の七條和子助教は解説する。広島大の星正治名誉教授たち日本、カザフスタン、ロシアの研究者による共同研究の一環。内部被曝による細胞の損傷を初めて具体的に捉えた成果として、昨年6月に論文として発表した。 […] マンガンは土壌や昔の民家の土壁に多く含まれる。原爆のさく裂時に放射能を帯びて大量に舞い上がり、ほこりや雨などの形で人間の体内に取り込まれたと考えられている。半減期は2・6時間。短時間で放射線をほとんど出さなくなるため、その痕跡を後から調べるのは難しかった。七條助教は「肺に沈着した微粒子の場所を特定し、その周りの細胞の損傷を確認できた意義は大きい」と話す。  被爆の健康影響はこれまで、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)の大規模調査などを通して、直接浴びた放射線の量を基本に研究が積み重ねられてきた。国際放射線防護委員会(ICRP)が示す防護基準も、放影研のデータが基礎となっている。  人間が放射線を浴びた場合、肺に確実に急性症状が出るのは、8グレイ以上という致死量を浴びた場合に限られるとされる。これに対し、実験で内部被曝させたラットの肺の被曝線量は計算上、肺全体では0・1グレイほど。七條助教たちは、微粒子の周りの狭い範囲で極めて高い線量の被曝をしたために、細胞が損傷したとみている。今後、小腸や大腸の分析も進めるという。  この実験について、京都大複合原子力科学研究所の今中哲二研究員は「臓器全体が均一に被曝する前提に立つ現行の計算モデルでは内部被曝の影響を捉えきれない、との可能性を示す知見だ」と評価する。  ■研究環境に課題  慎重な見方もある。放射線病理学が専門の東北大の福本学名誉教授は「重要な実験だが、マンガン自体の毒性という可能性も排除しきれない。変化の原因は何か、さらに精密な解析を期待したい」とする。局所的な内部被曝が長期的ながん発生にどうつながっていくのかを解明することも、今後の課題とみる。  七條助教は内部被曝の解明を「ライフワーク」と語るが、こうした研究は広がりにくいのが実情だ。低線量被曝などを研究する大阪大の本行忠志名誉教授は、研究者の任期付き雇用の増加などを懸念する。「放射線の生物への影響を調べるには長期の観察が欠かせないが、短期的な成果を求められる環境では取り組みづらい。若い研究者への支援や、公的な研究機関による本腰を入れた研究環境の整備が必要だ」と訴える。  3歳で「黒い雨」を浴びた佐伯信子さん(78)=広島市安佐北区=は、2歳下の妹行子さんを2年後に亡くした。自身も母もがんを患ったが、「科学的根拠」の不足を理由に国から健康被害を否定されるたび「今更どうにもならないのか」と思う。直接被爆だけではない原爆被害の実態を「空白」で終わらせないため、「被爆国」を掲げる政府の被害解明への本気も問われている。(明知隼二) 全文

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「私の初恋」 12歳だった彼は、原爆で死んだ 渡辺美佐子さんインタビュー詳報 via東京新聞

戦後75年の終戦の日の特集は、俳優の渡辺美佐子さん(87)のインタビューです。34年間、休むことなく、原爆や空襲で亡くなった子どもやその両親らの声を語り継ぐ朗読劇を続けた原動力には、幼いころ淡い心を抱き、原爆で死亡した少年への思いがありました。(聞き手=社会部長・杉谷剛) ◆「戦争って、人間らしさが全部奪われる 生きるのに必要なことが取られちゃう」  ―広島の原爆で国民学校の同級生が亡くなったんですね。 私が東京・麻布の笄こうがい国民学校(現港区立笄小学校)3年の時、太平洋戦争が始まりました。5年の途中から、疎開で1学年に何百人もいた生徒が15人ぐらいになった。そしたら入ってきた子がいたんです。珍しいなと思って。小麦色の肌でね、歯が白くて。家に帰る方向が同じで、行き帰りもだいたい一緒。でも、そのころの小学生の男の子と女の子ね、絶対口きかないんです。「おはよう」とか「さよなら」の一言もない。目も合わせないですね。そしたら1年たたないうちに、いなくなっちゃったんですよ。どっか疎開したんだなって。 […]  戦後50年のときに、長崎の原爆に使われたプルトニウムを作った工場がある米ハンフォードで、原爆詩の朗読をしました。その町の高校バスケ部のジャンパーの背中が全部キノコ雲なんですよ。震えました。世界で一番強い物は原爆で、僕たちは世界で一番強いチームになりたいから背負っているんだって。 […] 全文

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原爆症、原告3人敗訴 認定要件で最高裁が統一判断 via中国新聞

 広島、長崎で被爆した3人がそれぞれ原爆症に認定するよう国に求めた3件の訴訟の上告審判決が25日、最高裁第3小法廷であった。宇賀克也裁判長は白内障や慢性甲状腺炎の経過観察について、原爆症認定の要件である「要医療性」に当たらないとの統一判断を示し3人の訴えを退けた。原告側敗訴が確定した。  判決は、要医療性の要件を満たすには「経過観察自体が疾病を治療するために必要不可欠な行為であり、かつ積極的治療行為の一環と評価できる特別の事情があること」が必要とした。経過観察にとどまるとの理由で申請を却下される被爆者も多い中、病状次第では認定される余地は残した。 […] 原告は、広島で被爆した広島市安佐南区の内藤淑子さん(75)、ともに長崎で被爆した名古屋市緑区の高井ツタエさん(84)と佐賀県の80代女性の計3人。  患っている白内障や慢性甲状腺炎を医師が経過観察と診断したことなどから、国は原爆症への認定申請を却下。3人は2011~16年、却下処分の取り消しを求めてそれぞれ提訴した。  判決は3人が受けている医師の診察や血液検査、エコー検査について「積極的治療行為の一環として必要不可欠であるとまではいえない」などと指摘し、「要医療性が認められるとはいえない」と判断した。  二審は、内藤さんが広島高裁、高井さんが名古屋高裁で、経過観察も治療に不可欠な行為などとして要医療性が認められ勝訴。佐賀県の女性は福岡高裁で敗訴していた。  最高裁が原爆症認定訴訟で判決を下すのは、長崎市の女性が国に勝訴した2000年の「長崎原爆松谷訴訟」以来2例目。厚生労働省健康局は「国の主張が認められたと認識している」とコメントした。一方、日本被団協と原告団、弁護団は「被爆者の救済に背を向けたことは最高裁として恥ずべき態度であり、厳しく抗議する」との声明を出した。(河野揚)  <クリック>原爆症認定制度 米国が投下した原爆の放射線が原因で病気やけがを患っていると国が認めた被爆者に月14万1360円の医療特別手当を支給。認定されるには原爆放射線と病気の関連性である「放射性起因性」と、治療が必要な状態である「要医療性」の要件を満たさなければならない。 全文

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原爆症認定で最高裁判決 司法の役割果たさず viaしんぶん赤旗

[…] 厳しいハードル  最高裁判決は、この「要医療性」について新たな条件をつけ、その門を狭くしました。  条件とは、経過観察自体が治療行為を現実的な目的として行われていることや、経過観察自体がその病気を治癒するため必要不可欠な行為であり、かつ、積極的治療行為の一環として評価できる特別な事情があるなど、きわめて厳しいハードルです。  日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市(すえいち)事務局長は25日の会見で、裁判所はギリギリのところで被爆者の声に耳を傾け判断してくれていたという印象を持っていたが、「最高裁は、被爆者の声に耳を傾けなかった」と述べ、逆行ぶりを批判しました。  最高裁判決を前に、日本被団協は、どこで、どんな被爆体験をし、どんな人生を送ってきたかをつづった「最高裁への手紙」を全国の被爆者から142通集め、最高裁に提出してきました。  それらの手紙には、「被爆患者の苦しみを言葉で伝えることは本当に難しい。最高裁まで争わなければ理解してもらえないとは残念でなりません。どうか高齢化する被爆者の声にご理解いただき、適正な判断を」などのメッセージが書かれていました。  原爆症認定は、被爆者に対する国の責任を果たすために制定されたものであるはずです。被爆者手帳を持っている人は現在約14万人います。被爆によって病気が引き起こされているにもかかわらず、「要医療性」の判断によって認定・更新が足切りされることがあってはなりません。 制度の見直しを  木戸事務局長は、「原爆被害への国家補償を求めて、憲法9条を守っていく運動に余生をささげていく決意だ」と語り、政治的決断を求めて要求していく姿勢を示しました。  日本被団協は提言で、原爆症認定制度の抜本的見直しを政治の責任で行うよう求めています。国はこうした声を受け止め、被爆者救済に責任を果たすことが求められています。 全文

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原爆症認定訴訟 訴え退け原爆症と認めない判決確定 最高裁via NHK News Web

広島や長崎で被爆し、白内障などの病気になって経過観察とされた人たちを原爆症と認定するかどうかが争われた3件の裁判で、最高裁判所はいずれも訴えを退けたうえで、経過観察の人を原爆症と認定するには「経過観察じたいが治療に不可欠で治療の一環だといえる特別な事情が必要だ」という初めての判断を示しました。 被爆の影響で白内障などになり、経過観察とされた被爆者らが国に原爆症の認定を求めた3件の裁判では、広島高裁と名古屋高裁が一部の被爆者を原爆症と認めた一方、福岡高裁は認めませんでした。 国が原爆症と認定して手当を支給するには、「現在、医療が必要な状態にある」という条件を満たす必要があり、経過観察とされた人がその条件にあてはまるかをめぐって裁判所の判断が分かれていました。 […] そして「病気の再発や悪化の程度と、結果の重大性など、医学的にみて経過観察が必要な事情を総合考慮して個別に判断すべきだ」と指摘し、3件の裁判についてはいずれも「特別な事情があるとは言えない」とし、原爆症を認めない判決が確定しました。 原告側の弁護団「不当判決」 判決の後、最高裁判所の前では、原告側の弁護団が「不当判決」と書かれた紙を広げ、集まった支援者たちは落胆した様子でした。 原告の1人で広島市の内藤淑子さんは「皆様のおかげでここまで来ることができましたが、このような結果になってしまい申し訳なく思います。同じ被爆者だった母の顔が思い浮かびました」と話していました。 原告 内藤淑子さん「納得できない結果に心が折れそうに」 裁判の後の会見で内藤淑子さんは「納得できない結果に心が折れそうになりました。どうしていいかわからず、残念でなりません。このような結果に終わりこのままでいいのか、生きているかぎり頑張らないといけないのか、自分の胸の内ははかりしれません」と話していました。 弁護団の樽井直樹弁護士は「非常に抽象的な対応だ。手当の制度論に終始していて、病気を発症した被爆者にどういう援護の手をさしのべるべきなのか、国は責任を忘却している。こんな判決に屈服せず私たちはこれからも戦い続けます」と話していました。 原告 高井ツタヱさん「何のためにこの日を迎えたのか」 名古屋市の高井ツタヱさん(84)は、9歳のときに長崎で被爆しました。原爆が投下されたとき、爆心地までおよそ5.4キロの自宅にいて、その後、親類を捜すためおよそ2キロまで近づいたということです。被爆者に対する差別に苦しんだ高井さんは、亡くなった夫にすら被爆したことを打ち明けられなかったと言います。 平成6年に「慢性甲状腺炎」と診断され、定期的に医療機関に通って経過観察を続けてきた高井さん。平成22年になって原爆症の申請をしましたが認められませんでした。 25日の判決のあと、記者会見した高井さんは「がっかりしています。何のためにこの日を迎えたのかという思いです」としたうえで、「被爆から75年がたち、いつどこでどういう病気になるか、不安を抱えたまま毎日を過ごしています。裁判が終わっても、不安を抱えて生きていく状況に変わりありません」と話しました。 厚労省「主張認められた」 厚生労働省原子爆弾被爆者援護対策室は「本日の最高裁の判決では、国の主張が認められたと認識しております」とコメントしています。 全文

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