「臨界」の残像―JCO事故20年― (中)変わらない原子力の現場 元作業員「放射線の怖さ 教えてもらえなかった」via 毎日新聞

「放射線から正しく身を守る方法について、誰かに教えてもらったことはなかった。現場ではそれが普通のことで、その怖さを理解しきれていなかった」

 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)で下請け作業をし、東京電力福島第1原発(福島県)では廃炉作業に携わった作業員の男性(45)=北九州市=は、自らが経験した現場を振り返った。

2012年になって、しばらくしてからだった。玄海原発の構内で、男性は同僚と配管を固定したり、無造作に置かれていた70センチほどの大きさの切断機20機余りを解体したりする作業をした。

男性によると、切断機は、放射性物質で汚染された配管などの切断用で、作業で付着した粉じんで機材自体も汚染されていたという。「被ばくを防ぐために支給されていたのは、鼻と口だけを覆う半面マスク。解体では、機材に付着していた配管の切りくずや粉じんが舞って吸い込む恐れがあるため、顔全体を覆う防護マスクを着用しなければならなかったが、その指導はなかった」と語った。

男性は危険な作業と知らず、作業をしていた。「元請け業者らから、解体作業に関する注意もなかった」と話す。
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実際に原発の現場に行くと、思いのほか安全対策はずさんな感じがしたという。男性は福島第2原発で作業した際、「個人線量計を持っていたのは現場監督のみだった」と話す。「ピーピー」とたびたび警報音が鳴ったが、監督は「大丈夫、大丈夫」と言い、スイッチを解除したという。

「第1原発では、放射線を遮蔽(しゃへい)するための鉛が入ったベストが不足していた。作業時には着ることになっていたが、現場監督に『着らんでもこっそり入れ』と言われたことがあった」と証言する。
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男性は14年1月、急性骨髄性白血病と分かった。目の前が真っ暗になった。原発で作業した計2年間の被ばく線量は、累積で約20ミリシーベルト。15年10月に労災が認められた。

九電と東電には「現場での監督が行き届いていない」として損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。九電側は「半面マスクで解体作業をさせることはない」と主張、東電側も「放射線から保護するための作業衣の着用を指導している」と反論している。両社とも男性の言い分とは食い違いがあり、訴訟は続いている。

男性は通院生活が続く。「僕ら作業員は捨て駒みたいなものだ」と話した。
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最前線で働く人に「教育」という配慮が著しく不足していたのは、20年前も同じだ。

1999年9月、核燃料の加工をしていた「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所(茨城県東海村)で起きた臨界事故。作業効率を優先し、事故の1年以上前から「裏マニュアル」による違法な作業が常態化していた。事故により、作業していた社員3人が放射線を浴びて入院。2人が亡くなった。

1人は治療の末、約3カ月後に退院。「(事故原因は)『無知』だった」。事故から6年がたった05年、この男性作業員は毎日新聞のインタビューにそう振り返った。臨界の危険性について指導はなく、安全な作業をしているという思い込みがあったという。

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今年1月には、日本原子力研究開発機構の核燃料サイクル工学研究所(東海村)で放射性物質の漏えい事故が発生。作業員が一部の確認手順を省いたため汚染が拡大した。

この事故について原子力規制委員会は6月、機構に対し現場の作業員らに繰り返し教育、訓練をして、習熟させることの重要性を強調する見解をまとめている。

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