原発避難の16歳、ドイツの学校で法王への手紙朗読 via Yahoo! ニュースJapan (Alterna)

鴨下全生(まつき)さん(16)は、東電福島原発事故後の避難生活で死にたいと思ったほどの苦悩を記し助けを求める手紙を、フランシスコ法王に送り、3月20日にバチカンで謁見することができた。その前後にドイツで8ヶ所の学校に招かれ、手紙を朗読した鴨下さんに、生徒たちからは激励や感謝の言葉がかけられた。鴨下さんは「ドイツには民主主義がちゃんとあり、高校生が活発に議論していてすごいと感じた」と語った。(独アヘン=川崎陽子)

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遠くの中学校に進学してからは、避難者であることを隠し続けたのでいじめられなくなり、友人もできて毎日が平和になった。その一方で、親友を作りたくても本当の自分を語れない自分が許せなくなり、次第に心が砕け散りそうになっていった。こうした一連の体験と思いの丈をつづったローマ法王宛ての手紙が、バチカンでのフランシスコ法王謁見につながり、日本やフランスの新聞が報道してくれた。

鴨下さんは、法王謁見の前後にドイツで8ヶ所の学校から招かれ、10代の550人余りの生徒たちが法王に宛てた手紙に感銘を受けた。手紙の最後の部分は、鴨下さん自身が日本語で読み、拍手喝采を浴びた。

「僕の本当の望みは、きっと、ごく普通に隠し事の無い社会で平和に暮らしたいということだけなのだと思います。でも、原発事故被害者は、今の日本の社会の中で、何かに目をつぶり、耳を塞ぎ、口を閉ざさなければ、安全に生きていけません。こんな歪んだ世界から、どうか僕たちを助けてください」

どの学校でも、この手紙のドイツ語訳を朗読したいと挙手する生徒たち、朗読を聴きながら泣いている生徒たちや、授業が終わって全生さんに感謝と励ましの言葉を直接伝えにきた生徒たちがいた。「ドイツの報道では知ることができない当事者の貴重な体験談を、本人から聞けてよかった」という感想が、圧倒的に多かった。

学校訪問は主に、ドイツ北部のハインリヒ・ベル財団シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州支部が毎年開催している「アクション週間:チェルノブイリとフクシマ後の未来のために」という行事の一環だった。母と弟と共に招かれた鴨下さんは、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の被害者であるベラルーシ人とウクライナ人と一緒に、学校や議会、市民団体などを訪問した。

アクション週間に参加した学校は様々で、放射線と内部・外部被曝の授業の一環として、中三の物理の教師たちが毎年参加しているギムナジウム(小5から高3まで一貫の進学系公立校)もあった。日本が大好きな知的発達がやや遅い生徒たちの学級からも招かれ、手作りのお菓子でもてなしてもらった。

どの学校でも盛んに手が上がり、原発事故に関する豊富な予備知識に基づいた質問や、健康被害や避難生活を気遣う発言の数々に、鴨下さん母子は感心するばかりだった。

ギムナジウムの高校生が、エネルギー政策に関して討論をする形式の授業もあった。壇上で、地方議会の議員、農家、環境保護団体および住民の代表という役割の生徒たちが、風力発電パーク建設の是非についてそれぞれの立場から討論をし、聴衆の生徒たちは一般市民の役で、討論の前と後で挙手による賛否の意思表示をした。途中で、鴨下さん母子とチェルノブイリ原発事故被災者の体験談や質疑応答も交えた討論の後で、風力発電パーク建設に賛成の生徒の数が増えたことがわかった。

鴨下さんは「ドイツには民主主義がちゃんとあり、僕と同じくらいの年齢の高校生が活発に議論していて、すごいと感じた」と話す。

ドイツで、鴨下さんは法王謁見についての質問にこう答えた。

「たとえどんな誹謗中傷を浴びても、本当のことを堂々と語りたいと思ってきました。でも、お父さんが避難者裁判の原告団団長なので、僕が発言しても『親に言わされて可哀想な子』と思われたり記事を書かれたりしてしまうため、ずっと匿名で発言してきたのです。悪いことをしたわけでもないのに、まるで犯人のように名前も顔も隠して。そんな人の証言を、誰が信じてくれるでしょうか。だけど、ローマ法王に謁見できて、自分がちゃんとした意見を持って発言していることを知ってもらえたので、これからは隠さずに発言していこうと思います」

日本に戻った鴨下さんは、この決意を着実に実行に移している。

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