原発を止めると左遷…エリート裁判官たちが抱える「大苦悩」via 現代ビジネス

裁判官の世界はこうなっている

ある裁判官が「人命と電気代を天秤にかけることなどできない」と判決文に書いた時、多くの日本人が深く共感した。だが裁判官の世界では、そうした「普通の感覚」を持つ人ほど、冷遇されてしまう。

止めては動かすの繰り返し

「裁判官人生を振り返ってみると、僕なりに日和ってるんですよ」

元裁判官で、弁護士として福井原発訴訟弁護団長を務める井戸謙一(63歳)は、滋賀県彦根市の事務所でこう語った。

かつて井戸は、金沢地裁の裁判長として、2006年3月、北陸電力の志賀原発2号機(石川県)の運転差し止めを命じている。東日本大震災によって、東京電力福島第一原子力発電所が過酷事故に見舞われる5年前のことだ。

「裁判官になった以上、地裁の裁判長(部総括)にはなりたかった。いずれ重大な、社会的に意味のある事件を審理したいという思いはありましたから、自己規制もした。もちろん、裁判で判決を書くにあたって、自己規制したことはない。

しかし、司法のあるべき姿を議論する裁判官の自主的な運動に関わっていながら、目立つポジションを避けてきたんですね」

任官から23年目、48歳の時、井戸は、志賀原発の訴訟を担当する。

「あの時点では、原発訴訟は住民側の全敗ですからね。まあ、同じような判決を書くんだろうなぐらいのイメージだった。

(略)

政府が国策として進める原発事業の是非を、選挙の洗礼を受けていない裁判官が、わずか3名で判断するのは勇気のいることだ。

まして、電力の安定供給にかかわる重要政策であり、日本経済に打撃を与えかねない。ほどほどのところで妥協すべきという空気が、裁判所内には蔓延していた。

「社会的影響や予想される批判を視野に入れると、重圧と葛藤に苛まれ、身動きがとれなくなってしまう。だから、法廷の中だけに意識を集中するようにしていました」

そして井戸は、さりげなく言い添えた。

「原発訴訟の弁護団長をしていて、つくづく感じるのは、原発の再稼働を容認する裁判官の多くが、法廷外のことを考え過ぎているのではないかということです」

(略)

2015年4月、運転差し止めの仮処分を認めた福井地裁の樋口英明裁判長(64歳)は、「新規制基準は緩やかすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されない」と言い渡した。

樋口は、2014年5月にも大飯原発(福井県)の運転差し止めを命じている。その判決文で「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と述べるなど、裁判所の役割の重大さと責任の重さを、世に示した。

その樋口裁判長の、後任として福井地裁にやってきた林潤裁判長(47歳)は、関西電力の異議申し立てを認め、「樋口判決」を取り消した。同判決文で、林裁判長は「原子力規制委員会の判断に不合理な点はない」と述べている。

(略)

原発を止めると左遷される

そして高浜原発は、2016年1月から再稼働するが、この判決の影響をもっとも受けたのは、住民でも電力会社でもなく、原発訴訟を担当している裁判官たちだった。

「原発を止めた樋口裁判長が、名古屋家裁に飛ばされたのを見て、支払うべき代償の大きさを意識しない人はいなかったはずです」(ある若手裁判官)

(略)

これを審理した、大津地裁の山本善彦裁判長(62歳)は、住民側の訴えを認め、高浜原発の運転差し止めの仮処分を決定している。これによって、いったんは稼働した原発は、再び運転停止を余儀なくされることになったのである。

山本裁判長をよく知る裁判官は、「彼は、おとなしく、目立たない人ですが、記録をよく読み、よく考え、事実を見る目は確かな人」と言う。

しかし、その審理を尽くしたはずの「山本判決」は、二審に相当する抗告審で、あっさり破棄された。

この決定を下したのは、大阪高裁の山下郁夫裁判長(62歳)だ。この人もまた、「局付」経験者で、最高裁調査官を務めたトップエリートである。

このように、原発を止めた裁判官は、地道に裁判部門一筋に歩んできた人で占められている。一方、原発を動かした裁判官は、一様に最高裁事務総局での勤務経験があるエリートがほとんどだ。

(略)

最高裁事務総局で勤務経験のある裁判官が、政府にとって好都合な結果を生み出し続けていることの因果関係について、前出の矢口洪一は、こう断言している。

「三権分立は、立法・司法・行政ではなくて、立法・裁判・行政なんです。司法は行政の一部ということです」

要するに、裁判部門は独立していても、裁判所を運営する司法行政部門は、「行政の一部」として、政府と一体であらねばならないと言っているのだ。

原発を稼働させてきた裁判官たちは、まさに、この矢口の言葉を体現するかのように、公僕として国策を遂行する「官僚」の務めを果たしていたといえよう。

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