Monthly Archives: March 2017

Photos: See Japan’s nuclear legacy — from Fukushima to Hiroshima via PRI

Ari Beser is a photographer from Baltimore, but his family history connects him to Japan. His grandfather, Jacob Beser, helped drop nuclear bombs on Hiroshima and Nagasaki. (Listen to the story of Beser’s friendship with Keiko Ogura, a Hiroshima survivor.) … Continue reading

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Robot probe finds lethal radiation levels in water near bottom of Fukushima reactor 1 vessel via The Japan Times

FUKUSHIMA – A radiation level of 11 sieverts per hour has been detected in tainted water inside a reactor containment vessel at the Fukushima No. 1 nuclear power plant, Tokyo Electric Power Company Holdings Inc. said Tuesday. The reading was … Continue reading

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開口部付近最大7・4シーベルト 福島第1原発1号機 via 中日新聞

 東京電力は22日、福島第1原発1号機の原子炉格納容器底部にたまった高濃度汚染水の中を線量計とカメラを搭載した自走式ロボットで21日に調査した結果、圧力容器の土台にある開口部付近の4カ所で毎時3・0~7・4シーベルトの放射線量を測定したと発表した。撮影した画像には構造物や堆積物が写っていたが、東電は「溶け落ちた核燃料(デブリ)と断定できるものはなかった」としている。 続きは開口部付近最大7・4シーベルト 福島第1原発1号機

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80% of families not going back to Fukushima after housing aid ends via The Asahi Shimbun

Eighty percent of households who fled but were not forced to evacuate from Fukushima Prefecture after the 2011 nuclear disaster do not intend to return even after their free housing allowance ends this month. According to the survey results released … Continue reading

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<原発避難>埼玉の最後の避難所 当面保存 via 河北新報

(抜粋) 校舎の避難所には11年3月、原発事故で福島県川俣町などに避難していた双葉町民1000人以上が再避難した。その直後に町役場も置かれ、校舎と体育館、食堂兼合宿所に最大1423人が暮らした。 <町人口の13%残る> 町役場は13年6月、いわき市に再移転。同年12月に全員が退去するまで開設された最後の避難所は14年3月、埼玉県に返還された。 避難所を巡っては、加須市が14年1月、跡地をスポーツ施設にするよう埼玉県に要望した。県、市、県サッカー協会が跡地利用を協議し、校庭をサッカー場にする方針を決めたが、校舎の取り扱いは未定だった。 双葉町によると、避難所の閉鎖後も埼玉県内に残る町民は町人口の約13.6%に当たる838人(1日現在)。多くが加須市に居住する。避難所で亡くなった住民もいて、毎年3月11日には多くの避難者や遺族が同校に集まり、祈りをささげる場にもなっている。 双葉町の避難住民には風化防止や町民のつながり維持のため震災遺構として残してほしいとの思いが以前からあった。ただ、「お金もかかり、埼玉の皆さんに負担を掛けられない」と声を上げられずにいた。 加須市に住む町民の70代無職男性は「原発事故の長距離避難の記憶を伝える大切な場所。当面残ることに安心している」と話した。 全文は<原発避難>埼玉の最後の避難所 当面保存

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<福島第1>ロボ調査 溶融燃料確認できず via 河北新報

 東京電力は21日、自走式ロボットを使った福島第1原発1号機の原子炉格納容器の内部調査の状況を公表した。砂のような堆積物が床面に降り積もっている様子を確認したが、溶融燃料(燃料デブリ)は映像では把握できなかった。東電は、同日で終了予定だった調査を22日まで延長する。 (略) 18日に始まった調査のうち、19~20日の実績を公表した。1カ所では床面から30センチ付近で毎時11シーベルトの比較的高い線量を観測。砂のような堆積物が床面に均一に広がっている状況を映像で捉えた。 溶融燃料が漏れ出ている可能性が高い作業用の開口部近くも調査。高さ1メートル付近で金属が溶けたような塊が配管に付着している状況が見えた。線量は毎時6.3シーベルトだった。配管が妨げになり、床面近くまではカメラを下ろせず、溶融燃料は確認できなかった。 全文は<福島第1>ロボ調査 溶融燃料確認できず

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「除染バブル」キーマンに接待攻勢 業者がお墨付き求め via 朝日新聞

(抜粋) 福島県の担当者が話した。県は2014、15年度にため池の除染関連技術を公募し、74件の応募に対して9件を採用。数千万円ずつ出して実証試験をした。 ランデックとは、内閣府認定の公益財団法人「原子力バックエンド推進センター」(東京都)の略称。一般的な知名度は低いが、研究施設などから出る低レベル放射性廃棄物の処理を担う、原子力業界では著名な団体だ。 ランデックによると、事故後、自治体や国に売り込みを図る中小企業の除染技術の評価も始めた。1件当たり100万~200万円で、年間で2千万円前後の収入を得ているという。ランデックの賛助会員には近年、除染関連法人が加入するようになり、15年度の賛助会費は計約2400万円に上る。 なぜこれほどまでに中小企業がランデックを頼るのか。ある会社役員は「中小企業が除染技術を開発しようとすれば、技術的な相談に乗ってくれる団体はランデックしかない」と話す。さらに、震災後に新興の「除染」企業が雨後の竹の子のように生まれたなかでランデックの評価書が差別化につながるのだという。 (略) ランデックのトップは菊池三郎氏(75)。廃炉が決まった高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の建設所長を長年務め、核燃料サイクル開発機構(現国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)理事を経て、05年からランデック理事長を務めている。かつて「ミスターもんじゅ」と呼ばれた。 ランデック理事長は公務員ではないが、業者の証言などから、バブル経済時をほうふつとさせる接待の光景が浮かんだ。 菊池氏への接待を証言したのは、一般社団法人「放射物処理促進センター」(東京都)の藤井正三郎理事長(77)。藤井氏が保存するカード明細書やクラブ領収書の内容と藤井氏の証言を照合したところ、14年10月からの約1年間で菊池氏がいたとする銀座のクラブでの接待費が計18回、約480万円。藤井氏は「菊池さんに車代3万円を渡すこともあった」と話す。 「開発した放射線量を下げる装置を国に採用してもらうよう、菊池さんに口利きしてもらいたかった」とその理由を語る。 また、別の3社の関係者が、菊池氏の飲食代肩代わりの依頼について証言した。「飲み代を持ってくれませんか」と菊池氏から頼まれた後、銀座のクラブから会社あてに請求書が届いたという。内部資料で確認できたのは、14~16年に2社に送られた請求書の金額がクラブ2店で11回、計約142万円。そのうち約55万円は支払い済みとなっていた。 (略) 菊池氏からクラブ飲食費の肩代わりを頼まれたことがある会社の幹部は言う。「除染事業に今後も多くの国費があてられる。もんじゅ元所長の肩書もある菊池氏の態度は、原子力事業への不信を高めかねない」(五十嵐聖士郎、市田隆、木原貴之) ■菊池理事長「技術の有利性を説明するだけ」 ランデックの菊池三郎理事長は取材に対し、放射物処理促進センター側からの接待について、「他の人も色々いたと思うから、私だけじゃない。全部、私かどうかは確認できない」などと答えた。車代の提供については「何回かあったかもしれない」とした。 同センター側が接待の狙いを「国に口利きしてほしかった」としている点については、「うちに試験を頼む業者は基本的に皆そう思っている。我々は技術の有利性を説明するだけであって、接待で動くわけがない」と説明した。 全文は「除染バブル」キーマンに接待攻勢 業者がお墨付き求め

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大飯原発を視察=「再稼働容認できない」-滋賀県知事 via Jiji.com

 滋賀県の三日月大造知事は20日、福井県おおい町にある関西電力大飯原発を初めて視察した。大飯原発3、4号機は2月、原子力規制委員会の再稼働の前提となる審査に事実上合格。三日月知事は視察後、記者団に滋賀県が求める実効性ある多重防護体制の構築が道半ばなどとして、「再稼働を容認できる環境にはない」と述べた。 続きは大飯原発を視察=「再稼働容認できない」-滋賀県知事

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Noted Hiroshima hibakusha Dr. Shuntaro Hida dies at 100 via The Japan Times

Shuntaro Hida, a former Imperial Japanese Army doctor who survived the U.S. atomic bombing of Hiroshima during World War II and treated survivors, died Monday, sources close to him said. He was 100. Hailing from Gifu Prefecture, Hida became a … Continue reading

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反核訴え続ける医師をフランス人監督が追うドキュメンタリー3月公開 via 映画.com

[映画.com ニュース]内部被曝の脅威を訴え続ける医師・肥田舜太郎氏に迫ったドキュメンタリー「ヒロシマ、そしてフクシマ」が、3月12日に公開されることが決定した。 肥田氏は、軍医だった1945年に広島で原爆被爆者の治療にあたり、直接爆撃を受けなかった人々が後に突然発病し、被爆者と同じ症状で死んでいくのを目の当たりにした。これをきっかけに、内部被曝の恐ろしさを訴えるため、99歳(撮影時は88~96歳)になる現在も反核運動のため国内行脚を続けている。 映画は、肥田氏の著書「広島の消えた日」に影響を受けたフランス人監督マーク・プティジャンが、(略)05年~13年の肥田氏の活動に密着し、肥田氏が自らの原点である広島や、東北地方太平洋沖地震による原子力発電所事故の被災者が暮らす福島などを訪れ、講演で放射能の危険性や内部被曝の隠ぺい問題などを語る姿を映し出す。 「ヒロシマ、そしてフクシマ」は、3月12日から東京・渋谷のユーロスペースで2週間限定公開される。 全文は反核訴え続ける医師をフランス人監督が追うドキュメンタリー3月公開 

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