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<原発避難>埼玉の最後の避難所 当面保存 via 河北新報

(抜粋)

校舎の避難所には11年3月、原発事故で福島県川俣町などに避難していた双葉町民1000人以上が再避難した。その直後に町役場も置かれ、校舎と体育館、食堂兼合宿所に最大1423人が暮らした。

<町人口の13%残る>
町役場は13年6月、いわき市に再移転。同年12月に全員が退去するまで開設された最後の避難所は14年3月、埼玉県に返還された。
避難所を巡っては、加須市が14年1月、跡地をスポーツ施設にするよう埼玉県に要望した。県、市、県サッカー協会が跡地利用を協議し、校庭をサッカー場にする方針を決めたが、校舎の取り扱いは未定だった。
双葉町によると、避難所の閉鎖後も埼玉県内に残る町民は町人口の約13.6%に当たる838人(1日現在)。多くが加須市に居住する。避難所で亡くなった住民もいて、毎年3月11日には多くの避難者や遺族が同校に集まり、祈りをささげる場にもなっている。
双葉町の避難住民には風化防止や町民のつながり維持のため震災遺構として残してほしいとの思いが以前からあった。ただ、「お金もかかり、埼玉の皆さんに負担を掛けられない」と声を上げられずにいた。
加須市に住む町民の70代無職男性は「原発事故の長距離避難の記憶を伝える大切な場所。当面残ることに安心している」と話した。

全文は<原発避難>埼玉の最後の避難所 当面保存

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