Daily Archives: 2017/03/12

グリンピース・ロシア 福島第一原発事故被災者の権利尊重を訴える書簡を日本政府に送る via Sputnik

福島第一原発事故から6年が経ち、発電所付近の放射線量は、本質的に下がった。原発に比較的近い場所に、人が3時間滞在した場合でも、受ける放射線量は0.03ミリシーベルト以下である。この量は、胸部をレントゲン撮影する際の数値に等しい。放射線と戦う事ができるレベルだ。チェルノブィリ原発事故からこれまで、人類は、土壌の表面を除去したり、汚染された土壌を埋めてしまうよりほかに、良い方法を思いつけないでいる。日本でも、汚染された表土は除去されたが、埋められることはなく、特別の袋に詰められて集められた。福島では、放射能に汚染された土の入ったそうした袋が、すでに野原一杯になっている。 今、福島第一原発においてまず始めにすべき課題は、解体と原子炉から溶けた核燃料を取り出すことである。今年の夏には、核燃料取り出しの手順が決められ、来年2018年には決定が下され、2021年には作業に着手されるものと予想されていた。しかし、東京電力とIRID(国際廃炉研究開発機構)、そして東芝が行った調査によれば、原子炉真下の放射能レベルが20シーベルトであるなら、原子炉を支えるコンクリートの基底部脇のレベルは、何と500シーベルトになることが分かった。恐らく、プラン見直しの必要が生じると思われる。先に日本政府は、2017年には避難ゾーンのいくつかへの帰還が始まるだろうと説明していた。 とはいえ例えば、福島第一原発近くの森の放射線レベルは、除染後でさえチェルノブィリ原発周辺30キロの避難ゾーンのそれに匹敵する。チェルノブィリの場合、事故後30年が経っても、避難ゾーンへは公式的には、入ることができない。そんな中、2017年3月31日、福島第一原発から30キロに位置する飯舘村の大半の地域では避難指示が解除される。 そしてさらに1年後には、これらの地区の旧住民に対する補償金支払いが停止となる。 (略) グリンピース・ジャパンの米田祐子事務局長は、次のように述べた-「原子力産業維持を目指しながら、安倍政権は、偽りの地図を描こうと試み、破滅的結果であるにもかかわらず、福島の生活は正常になるかのように主張している。」 一方先日、グリンピース・ロシアは、日本政府に対し、被災者の人権を尊重し、部分的に汚染が残る場所へ彼らを無理に帰還させないよう求める書簡を送った。これについて、グリンピース・ロシア反核プログラムの責任者、ラシド・アリモフ氏は、スプートニク日本のリュドミラ・サーキャン記者のインタビューに、次のように答えた- 「福島第一原発事故からの6年間は、チェルノブィリ原発事故後の30年と同様、放射性物質に汚染された土地の完全な除染はできないことを示している。しかし日本では、事実上、汚染地区への経済的強制移住が進められている。我々は、人々には選択肢があるべきであり、政府は、彼らのもとに安全に関する偽りの理解を創り出してはならないと考えている。まさにそうした理由から、グリンピース・ロシアは、日本大使館に書簡を渡した。もちろん、放射線のレベルは低くなったが、そうした場所に常時住むことは、除染がなされたとしても、線量計が何を示したとしても、やはり危険である。問題は、放射性元素が、水や食品、あるいは呼吸することを通して体内に入り込んで起こる内部被爆である。例えばロシアでは、チェルノブィリ原発事故後30年が過ぎても、14の地域に汚染が残っている。グリンピースが日本やロシアそしてウクライナで行った調査によれば、汚染は均一的ではなく極めてバラバラで、人間の健康にとってネガティヴなものや深刻な汚染が今も残る場所がある。こうした事から特に悪影響を受けるのが、子供達だ。チェルノブィリと福島の間には大きな違いがあるが、一方でたくさんの共通点もある。例えば、どの国の専門家らも、時に自分達の健康を危険もにさらしながら、事故の悪影響をなくそうと懸命に取り組んでいるが、原子力産業側は、事故に対する自分達の責任を軽くすることを目指し、政府は政府で財政負担を軽減したいと欲している。」 全文はグリンピース・ロシア 福島第一原発事故被災者の権利尊重を訴える書簡を日本政府に送る

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How Fukushima gave rise to a new anti-racism movement via Aljazeera

The Fukushima disaster of 2011 ignited an anti-racism resistance movement in Japan to defend minorities such as Koreans. […] After Fukushima The rebirth of anti-discrimination social movements in Japan is one of the unexpected stories of 3/11. Fukushima “awakened” first-time … Continue reading

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【特別寄稿】福島とチェルノブイリ――現場を撮り続けてきた写真家が考える「25年を隔てたシンクロニシティー」via 日刊SPA!

福島とチェルノブイリ。国際評価尺度レベル7の原発事故が起きた現場である。もちろん、単純に比較対象とすることは難しい。だが、チェルノブイリの例から、福島がより良い方向にむかうためのヒントがあるのではないか。今回は、ここ10年にわたりチェルノブイリと福島の両方を訪れ、その様子を撮り続けている写真家の中筋純氏が、特別寄稿という形で日刊SPA!に書き下ろしてくれた。 福島とチェルノブイリのシンクロニシティー 昨年秋に来日したベラルーシのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクセビッチさん。チェルノブイリ事故当事者の表に出ない声を綿密にまとめあげた受賞作『チェルノブイリの祈り』で知られる彼女が、福島を訪問した際の言葉の一節が忘れられない。 「この状況を直視し、言葉を紡ぎ伝えていかねばならない」 原発事故の最大の特徴は、環境に放出された放射能が長期にわたって物理的、社会的に影響を及ぼし、それらが可視化しづらいことから被災地域の周辺から時間の経過とともに記憶の風化が始まる点だといえる。震災と東電原発事故から6年を経て、アレクセビッチさんの言葉は我々が今後取るべき態度や行動を暗にほのめかしているように感じる。 チェルノブイリと福島。同じ国際評価尺度レベル7の事故は25年の時間と約8000キロの距離を隔てた時空間で起こったものだが、果たしてその後の足跡はどうだったのか? 復興論議が主流を占める中において、時代も国体も違うチェルノブイリ事故との状況比較はバイアスがかかった捉え方で、いわば復興に水を差す後ろ向きのアクションであると指摘されることも多いが、参考にすべき点は多いのではないだろうか? ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1300111 (略) ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1300113 (略) ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1300131 (略) 原発事故をきっかけに我々は時間軸を直視せざるをえなくなったのかもしれない。そもそも放射能は地球という惑星が約46億年前に誕生した時の記憶の封印ともいえる。いわば「起こされた寝た子」ともいえる環境に放出された放射能は、約700万年の歴史しか持っていない我々人類にとって時間概念を狂わす存在であるといっても過言ではない。汚染の指標となるセシウム137の半減期は30年、消滅にはその5倍以上の時間がかかるといわれている。チェルノブイリ原発の核燃料の取り出しはあと100年近くかかるともいわれ、フィンランドの高レベル核廃棄物最終処分場「オンカロ」ではガラス固化体にした廃棄物の安全性を10万年後を視野に議論されている。10万年といえば人類の足跡をたどればネアンデルタール人から現代人までの時間だ。果たしてネアンデルタール人が我々現代人の姿を想像していたであろうか? そして我々が10万年後の人類の姿を想像できるであろうか? これはもうおとぎ話やSFの世界である。「起こされた寝た子」が再び眠りにつくまでは限りない時間と向き合わねばならない。 だが一方で6年を経て原発事故後の社会的状況は25年を隔てたシンクロニシティーが当てはまらない様相を呈してきた。徹底的な放射能封じ込めを目指し除染作業を行い、その上で残留土壌放射能の人体や環境への影響を重要視した上で区域の色分けを行い、当該住民のその後の生活権利を「国家」が「法律」で保障しようとしたチェルノブイリ事故のその後に対し、福島事故のその後は除染工事の終了によって避難住民の半強制的帰還があるのみだ。その基準とされるのは「土壌」汚染度ではなく風向きなどの気象条件によってばらつきが出やすい「空間」の放射線量なのだ。長く続く土壌の放射能汚染という原発事故の災禍の核心と向き合ったチェルノブイリの経験は生かされることはなかったといえる。 (略) また、避難指示の解除は帰還を望まない住民にとっては賠償や住宅支援の打ち切りを意味することになる。当該区域に住んでいた人々は今年度末を境に避難者から「自主」避難者へと扱いが変わるのだ。事故以前の20倍に設定された被曝限度をもとに土壌汚染の詳細を無視した避難指示の解除に多くの人々が依然として不安を感じている現実に反して、行政側は廃炉作業の進捗や復興インフラの整備、産業誘致のビジョンばかりを提示しその現実に対してはひたすら「安全」を繰り返すばかり。原発「安全」神話崩壊後6年を経て姿を表した「安心」神話の誕生だ。 この不明瞭な神話のもとに本来なされるべき東電福島事故への真摯な検証や反省はもちろんのこと、避難者、自主避難者を含めた福島県民という当事者を始め、この事故を経験した多くの日本人というある意味での当事者を含めた闊達な議論は表舞台に出ることはなく、福島原発事故はどんどん闇に葬られていくのではないか。そしてその闇は国民の間に原発事故に対する認識のずれや温度差を生み出す。昨年から明るみに出始めた原発避難者に対するいじめ問題はその象徴ともいえよう。 全文は【特別寄稿】福島とチェルノブイリ――現場を撮り続けてきた写真家が考える「25年を隔てたシンクロニシティー」

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