「官邸や自分に不利なことも正直に話す」 寺田学・元首相補佐官が語る東日本大震災の15日間 1/8 via The Huffington Post

2011年3月11日。寺田学氏は、菅直人首相(当時)の下、首相補佐官として東日本大震災を経験した。突然、福島県に乗り込んだ菅・元 首相。緊迫した状況で右往左往する政治家たち。「自分や官邸関係者には不利なこともありますが、それでも正直に記すことが被害に遭われた方や未来の方々へ の微かな誠意と思っております」と語る寺田氏の証言を8回にわたってハフィントンポスト日本版でお届けします。

(略)

テレビからは仙台の津波の映像。黒い津波が田んぼを乗り越えていく生中継。「犠牲者が数名」との報道に、ある秘書官「これは数千のレベルになるので は」。海江田経産大臣が総理宛に入室するので、秘書官と同席。大臣から「福島第一原発が正常に冷却できていない」旨報告。私は「さっきの会見で『正常に停 止』と言ったばかりなのに『冷却?』何だろう」と、事の深刻さを今一つ理解していなかった。しかし、総理の異常な反応に事の重大さには即座に気付いた。総 理は何度も大臣に、事務方に聞く。語調は抑えめ。

総理「バッテリーがダメになっても、他のバッテリーがあるだろ」。
事務方「予備もダメです。全部津波で水没しました」。
総理「何で水没するんだ!?乾かしても使えないのか」。
事務方「一度海水に浸っているので、塩分でダメになっています」。
総理「大変なことだぞ、これは大変なことなんだぞ」。

執拗に質問を繰り返す総理。

以下、余談。

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これ以降の数日間、様々な事務方(保安院)が説明者として現れたが、原子力発電所の構造に詳しい人、そして俯瞰的に説明する人は現れなかった。それもあって、総理は一層「何が起きているか」を知ろうと強く追求した。何人目かに、経産省安井部長が来て双方落ち着く。

(略)

全電源が喪失し冷却出来なくなった福島第一原発を抱えて最初に関与したのが「電源車」の確保。手配は東電、サポートは保安院という形になっていたと思う。官邸総理室としては、その流れをチェック、そして省庁横断的なサポートが必要な場合は官邸から指示をだした。

と にかく、福島第一原発に一台でも多く、一刻でも早く電源車を届ける必要があった。全国の発電所の何処に、何台電源車があり、福島第一まで何時間かかるの か、把握していた。陸上を走って向かう場合は、警察に連絡し高速の通行を許可するとともに先導をさせ(実際行われたかはわからない)、自衛隊のヘリによっ て空輸できないかも検討させた。東電からくるはずの電源車の仕様が防衛省に届いておらず、慌てて秘書官が東電側にせっついたのを記憶している。結局、大き すぎ重過ぎでヘリでは運べなかった。

(略)

細野補佐官と立ったまま打ち合わせ。今後の役割分担について。

細野「俺は電源車やるから、寺田君は避難区域策定をやってくれ」
寺田「いや、電源車は私やります。今やってる総理秘書官とは私の方が付き合い長いので」
細野「分かった。じゃ、俺はここに残るから、寺田君は上行ってくれ

ものの数秒の立ち話で役割を割り振った。34歳3期目の私にとって、39歳4期目の細野さんがいてくれた事は、強さも弱さも含め有り難かった。

(略)

秘書官チームに、一刻も早くとの焦燥感が募る。
「8時間後までに電源が回復しないと大変な事になる」
そんな情報はあった。どこで計算されたものか正確に覚えていない。おそらく保安院だと思う。いつを基点に8時間なのかも覚えていない。ただ、とにかく急がなければ「大変なことになる」そんな認識があった。

「大 変な事」。口には出さなかったが、それが「メルトダウン」だというのは全員感じていたと思う。ただ、メルトダウンするとどうなるか、具体的には私は想像し ていない。秘書官らも同様だろう。メルトダウンは、今でこそ不幸な事に一般的な言葉となっているが、事故発生当時、専門家以外の一般の人には馴染みが無 い。シーベルトなんて単位を知ってる人も、ごく少数だっただろう。この時は。

電源車到着の一報が届く。何時だったかは忘れた。執務室と秘書官室を結ぶ扉を開けっ放しで作業をしていたので、到着の一報には、秘書官室にいる事務の方も含め喜んだ。

「なんとかなった。。。。。」恐怖感と切迫感からの一時の解放。期限とされた時間内だった気がする。
(実際、電源車は届いたが種々の事情で全く役に立たなかったようだ。これらの事実関係は既存の事故調査報告書に譲る)。

その後、後続の電源車が到着した報せは受ける。ケーブルが足りないとの連絡もあった。そのケーブルを自衛隊のヘリで運ぶ検討をした。それら全てを総理に伝え電源車関係の業務は閉じる。電源車が功を奏している、との連絡はない。(実際、ことは深刻さを増していく)

(略)

【ご了承ください(寺田学)】
主観的な修正はせず、余分な事であっても備忘録の意義も込めて記憶のまま吐き出し、淡々と書きたいと思います。そこには、私の弱さが、そして当時の官邸の 善悪諸々が混在していると思います。それが被災された皆様に失礼になるような記述もあるかもしれません。何卒ご容赦ください。

また、2年以上前の記憶をもとに書き記すため、事実として誤った部分があるかもしれません。それを事実を調べながら書くには、個人的に難しいのでご容赦ください。単なる記憶違いは後ほど訂正します。

また、出来る限り実名で書きます。記憶が定かではない場合等は匿名にします。
カギカッコも記憶のママ、書きます。多少の言葉遣いの違いはあるかもしれません。
以上の事、ご了承ください。

(2016年3月11日「寺田学のオフィシャルウェブサイト マナブドットジェーピー [ Manabu.jp ]」より転載)

(続編は近日公開予定)

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