考える広場 論説委員が聞く 福島と「つながる」とは
脱原発福島ネットワーク武藤類子さん
福島は今、深刻な分断に直面しているといいます。二〇一一年九月、東京で
開かれた脱原発集会で、福島を代表して武藤類子さん(61)は「私たちとつなが
ってください」と呼び掛けました。私たちは、その振り絞る声に応えられたの
でしょうか。電力の消費地と被災地福島は、つながりあえるのか。武藤さんと考
えます。(聞き手・佐藤直子)
佐藤 3年前の「さようなら原発5万人集会」で語られた「私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です」という言葉は衝撃的でした。事故当時、福島県三春町で喫茶店「燦(きらら)」を営んでいた武藤さんはあのスピーチの後、福島原発告訴団の団長となって東京電力の当時の会長、社長ら33人の刑事責任を問う運動を始めます。東北の鬼の静かな怒りは、どう変わっていきましたか。
武藤 東北には鬼の踊りがたくさんあって、私は岩手の「鬼剣舞」が好きなんですね。勇壮というより、どこか悲しい感じで。鬼の面には角がなくて、「仏の化身」という解釈なんです。鬼は「悪者として迫害されながらも、大きな力にあらがおうとしている人」であり、福島の人たちの姿に重なったんですね。すべてを奪っていった原発事故への怒りそのものは消えません。この国のあり方がよく見えてきましたし。怒りは一層深く、静かになっています。
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佐藤 対立する必要のない被害者同士が対立するのは、沖縄の普天間飛行場を名護市辺野古に移設しようとすることで、県民が分断させられているのと同じですね。移設に反対する人も、反対派の警戒につく人も、同じ県民、地元の人です。
除染とワンセットになった住民の帰還政策は、福島の問題を複雑にさせています。住民の年間被ばく線量の基準を、事故前の1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで大幅に緩め、避難指示を解除し、補償を打ち切っていく。放射能の不安の残る所に帰還を促すことが、どんなに混乱させるか。避難先での生活費が続かず地元に戻った人は大勢います。「古里に帰りたい」という素朴な思いが政府に都合よく利用されているようで、報道の仕方も悩ましく思っています。武藤 理不尽なことがたくさん起きています。被害者への賠償の範囲や金額を、加害者の東電が審査するのも、被害者があまりにもバカにされている。事故のことが何も解決されていないのに原発再稼働の話が出てきて、元通りの社会がつくられようとして。加害者の責任が問われていないのも原因だと思います。事故から1年たった12年3月に「福島原発告訴団」を立ち上げたのは、被害者が再び一つにつながり、声をあげ、力を取り戻したかったからです。
人を罪に問うのは、とても怖い。私に資格があるのかも悩みました。でも事故の真実を、責任を誰が取るべきかを明らかにさせるのは、被害に遭った者の責任ではないかと思いました。
☆
佐藤 業務上過失致死傷容疑などでその年の6月に第1次告訴をしました。対象は東電の旧経営陣から政府関係者、学者まで33人。その異例の規模から、福島第一原発の事故をこの国の社会構造の問題として問うのだという覚悟を感じました。でも、事件は翌年9月9日に突然、合同捜査をしていた東京地検に移され、不起訴になる。東京五輪の招致が決まった翌日でした。武藤 不起訴になったら福島の検察審査会に申し立てると決めていたので、東京でしかできないと分かったときは、がっかりしました。福島の検審だからこそ希望も持てると思ってましたから。それでも東京の人に訴えるリーフレットを作り、月に1回ほど東京の検審前で起訴を求めて訴え、東電前で自首してほしいと訴えました。
佐藤 東京第五検察審査会は今年7月末、勝俣恒久元会長ら東電旧経営陣3人について「危機管理が不十分だった」と判断し、「起訴すべきだ(起訴相当)」の議決をしましたね。
武藤 本当にうれしかったですね。希望になりました。11人いる審査員のうち8人以上の意見が一致しないと「起訴相当」にはならない。そういう感覚を都民の大多数が持っていてくれたということは、日本の市民の大多数が同じ感覚を持っているということですから。
佐藤 原発事故の後、東京の繁華街から消えたネオンはいつの間にか戻りました。原発を立地する自治体が過疎地にあり、そこで作られた電力を都会が消費するという構図は全国どこも同じです。3年前の集会で武藤さんは「私たちとつながってください。福島を忘れないでください」と呼び掛けました。私たちは本当の意味で福島とつながることができるのでしょうか。
武藤 東京という都会のありようにがっかりすることは、もちろんあります。あるけれど、その分断もまた、つくられてきたものだと思うんですね。原発はつながりを断ち切る最大のものです。私たちが分断される必要は全くないわけですね。事故後の福島第一原発では毎日6000人が働いていて、7割が福島県人。事故で仕事をなくした人もいます。被ばく労働がどんなに大変かということが、今になって分かってくる。
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武藤 女たちの闘いは、特別なことではなく、ユーモラスで、日常感覚を大切にしてるんですね。歌ったり、ご飯を作ったり。
運動は、ややもすれば相手をたたき伏せるまでやってしまいがちですが、女たちの目的は考え直してもらうことで、たたき伏せることではないんですね。
私も、告訴団の団長になったときはこの役目は重いなって思ったのですが、私以上の私は生きられないですよね。
原発事故があって、一人の人間としての殻をほんの少し破ったというか、一段上がったというか。私のささやかな夢も原発事故のせいでだめになってしまって。でも、神様がいるとしたら、「もっと前に進みなさい」と言われたのかなと、そう思ったのですね。
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