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原子力行政は変わったか(9月14日) via 福島民報

 
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実際、外国人のみでなく、日本人の中にも真剣に家族の日本脱出や関西への避難を考えた人もいた。残った職員が必死になって何とか発電所を安定した状態にすることができたのは、職員がとどまることができた「免震重要棟」があってのことだ。
 2005年に福島県で原子力委員会の公聴会があり、パネル討論に参加した。その際、原子力発電所の最大リスクが巨大地震であるのは理論的に明確であるのに、事故対応の司令塔であるオフサイトセンターは通常の建物の中に設置されているのはおかしい-と発言した。1995年の阪神大震災でオフィスの床が剥がれ、機能しなかったことに基づく発言だ。後日の会合で、原子力委員会の委員で元原研理事長から「そんなことは分かっている」との発言があったことを今でも覚えている。
 その2年後に、新潟県中越沖地震が東京電力柏崎刈羽原子力発電所を襲い、司令塔である管理棟が機能不全に陥った。その反省で、東京電力は「免震重要棟」を建てた。
 もし中越沖地震より前に東日本大震災が起こっていたらどうであったろう。「免震重要棟」は無いのだ。東日本壊滅は現実のものになっていたかもしれない。ここで私が言いたいのは、日本人は往々にして、そこまでは考えなくとも良いと自ら一線を引いてしまい、それ以上の思考をしばしば停止してしまいやすいということだ。
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(角山茂章・会津大教育研究特別顧問、県原子力対策監)

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