農業復興途上の南相馬市を襲った「原発粉じん」問題への怒り via Huffington Post

(抜粋)

太田地区は、原発から20キロ圏(旧警戒区域)の線引きで一部が圏内に入った。震災直後はほぼ全住民が避難を強いられ、圏内の約200戸の住民が今 もわが家に住めないでいる(日中の立ち入りは自由)。奥村さんらのプロジェクトは、旧太田村時代からの地域の一体感と農業の伝統を基に地域再生を始めた。 定期計測する空間放射線線量は3年間で、年間1ミリシーベルト程度に下がった。水田の土壌には現在もセシウムが1キロ当たり2000ベクレル前後ある。

今 春からは、有機農業の専門家である新潟大農学部の野中昌法教授らのグループと連携し、稲のセシウム吸収の有無をさまざまに条件を変えて調べる調査を始め た。「13年のコメにセシウムが出た原因が何か、突き止めるのが大きな目的」と、周囲の土壌から塩ビパイプで隔離した環境で稲を育てたり、波打ちトタンで 試験圃場を細かく区切って、セシウム吸収抑制効果のあるカリウムの分量や、土に酸素を供給する「中干し」の程度を変えたりした。

今年8月か らは、太田地区でもようやく水田のセシウム除染が始まる予定だ。これは、大型機械を使って水田の土を反転させ、表土に付着したセシウムを土中に閉じこめる 方法(反転耕)で、農林水産省が実証実験を踏まえて推奨している。稲作再開への問題解決策となるものだった。ところが、7月半ば、地元の人々が基準値超え の前提とした土壌原因説を覆すようなニュースが流れた。

福島県南相馬市で昨年秋に収穫されたコメから国の基準値 (1キロ当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された問題で、農林水産省が福島第1原発のがれき撤去作業で生じた粉じんが原因の可能性があ ると指摘し、東京電力に防止策を求めていたことが14日、明らかになった。

7月14日に全国紙が報じ、河北新報には翌15日に掲載された。

基 準値超えの原因は現在も特定できていないが、農水省は同原発で昨年8月19日、3号機のがれき撤去作業の粉じんで作業員2人が被ばくした事実に着目。粉じ んが風に乗って飛散し、コメに付着した可能性があるとみて、ことし1月に原子力規制庁に相談。同3月、東電に原発の作業で放射性物質を外部に出さないよう 要請した。(同記事より)

7月18日に農水省と東電の担当者が南相馬市役所を訪れ、事実関係を説明した。

出 席者からは、粉じん飛散が要因の一つと考えた農水省が東電に防止策を要請する一方、市に情報提供しなかったことに批判が噴出した。同省の担当者は「(基準 値超えの)原因はいまも不明。森林や土壌からの巻き返しなどほかにも可能性がある」などと主張し、謝罪しなかった。(翌日の河北新報記事より)

■ 因果関係は不明だが……

「本 当に因果関係が分からないのか、特定して責任を認めたくないのか。いずれにせよ、納得できなかった」と、説明会に出席した奥村さんは言う。「昨年、検査さ れたコメはすべて、脱穀された後の玄米だ。8月19日なら稲は出穂しているが、空から降ったなら、セシウムは表面に付くはず」。

むしろ、要 因として思ったのは、稲刈り前の昨年9月中旬にあった、強い風雨による水田の稲の倒伏だったという。土壌表面のセシウムに稲が接しないよう、当時、福島県 から倒伏に注意するようにとの情報が出されていたが、太田地区では実際に多くの稲が倒伏していた。「土が付いた状態で脱穀すると、ほこりが舞って、もみに 付着する可能性は生じやすい。あるいは、原発から飛来した粉じんがほこりに混じったことも考えられるが、推測でしかない」。

奥村さんが怒り を覚えたのは、「なぜすぐ、情報を南相馬市に知らせてこなかったのか」という点だ。東電の回答は「当時、飛散に関し自治体への通報義務はなかった。今後は 対策を徹底し、情報提供にも努めたい」というものだった。今後でなく、仮に昨年8月19日の発生時点で情報が共有されていたら、「太田でも、自分たちがた だちに田んぼの坪刈り(本来は収量を調べる方法)をして汚染の有無を調べられた。現地に何の手掛かりも残っていない今ごろになって知らされて も……」。

何よりも心配なのは、さらなる風評であり、農家の意欲への影響だという。

全文は農業復興途上の南相馬市を襲った「原発粉じん」問題への怒り

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