自立から最も遠ざかったふくしま 伊藤 江梨 via ふくしまの声

ふくしま会議理事の山田純さんといわき市の夜明け市場で飲んだ席で、山田さんが東京の方に「福島はもう国や東電から賠償や支援を受け続けて、日本のお荷物となって生きていくしかない」と言われた、という話をした。反論しようと思ったが、「気持ちはわかるけど、現実的にはそうならざるを得ないだろうという分析として」と言われ、そうかもしれないな、と少し得心した。どうやら山田さんや私が一生懸命何かをやろうとしているのも、基本的には無駄なことだ、ということらしい。

「地方自治」「地域主権」の目指すところは、地域の「自立」である。中央集権体制の下で、国に言われるままに、地域や実際の現場にそぐわない施策がなされる現状から脱却するために、国が掌握している権限と財源を獲得する。そのためには、地方にはびこる「国任せ」「国依存」の体質から、地域自身が抜け出さなければならない、という側面をはらんだ交渉だった。
飯舘村が自分たちに合った「までい」な暮らしを目指し、地域づくりの一つのお手本となったことも、双葉郡が東京電力の原発を誘致し大きな経済力を得たことも、ある意味では地域が「自立」を目指すという側面があった(だから、双葉地域や多くの原発立地地域は、国の「アメとムチ」を駆使した「平成の大合併」を逃れた。誘致によって、東京電力との共依存関係が出来上がったという側面はあるが)。

続きは 自立から最も遠ざかったふくしま 

This entry was posted in *日本語 and tagged , , . Bookmark the permalink.

Leave a Reply