チェルノブイリ事故25年以上、現地なお先見えず 松本市の菅谷市長に聞く via 日本経済新聞

 長野県松本市の菅谷(すげのや)昭市長は、外科医として1996年から2001年まで約5年半、ベラルーシに長期滞在し、チェルノブイリ 原子力発電所事故(86年)後に多発した小児甲状腺がんの治療にあたるなど医療支援を続けた。昨年7月にベラルーシを訪れ、かつての患者や知人、政府の医 療関係者に会い、事故から25年以上が過ぎた現地の状況を調べてきた。

 ――昨年ベラルーシを訪問した際の現地の印象は。

「事故後25年以上が過ぎてもまだ先が見えない。現地の人に案内してもらい、ベラルーシ政府の非常事態省の管理下にある高度汚染地(事故後 10年でセシウム137の濃度が1平方メートル当たり55万5000ベクレル以上)にも立ち入った。ゴメリの近くで本当は居住禁止なのだが、居住している お年寄りがいた。被ばくしても故郷で死にたいと希望するお年寄りらしく、政府も黙認している。

(略)

――ベラルーシの現状から、日本が学ぶべきだと思うことは。

 「まず除染だが、チェルノブイリでも30キロ圏内は土壌を20センチ削ったが、なかなか効果が上がらない。日本政府は除染し住民を戻したい と言っているが、除染に過大な期待を持たない方がよい。除染に何兆円もかけて最終的にあまり効果がないということになるのだったら、住民や自治体にはつら いことだが、移住という選択肢を早く考えた方がいいのではないか」

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