アメリカのドキュメンタリー映画を観ていると、名前や肩書きを出して、内部告発をする人たちがしばしば出てくる。すでに関連した企業や組織を離れている人もいるが、まだ在籍中で堂々発言という人だって少なくない。たとえば、ブッシュがイラク侵攻を決めるきっかけとなった大量破壊兵器の存在の有無について、現役のCIA職員数人が「その事実はなかった」とブッシュ政権下で発言していた。事実を弁明したいという意味もあったと思うが、それ以上に自分たちの調査報告をねじ曲げた政権に対する不信感や怒りが感じられる。
自分たちの調査結果を政権がどう使おうと自分には関係ない、という態度ではなく、自分の仕事に誇りを持つからこそ悪用が許せない、という実にまっとうな態度だ。こういう人たちを見ていると、アメリカ人の気風にちょっと感心する。忠誠を誓うのは神の教えとか己の良心に対してであって、企業や組織ではない、そんな気風とでも言うのだろうか。
たとえば、東電。今回の福島の原発事故に際して、職員の中で知っていることを公表したいと思った人もいるのではないだろうか。もちろん、クビを覚悟でしか言えないし、家族や住宅ローンを考えると口を開けない、そんな人も案外たくさんいるような気がする。しかし、多くの人の命が関わる情報を持ちながら、それを秘密にしなければならないという状態は、彼/彼女らの良心を蝕んで、生涯に大きな影を落とすのではないのだろうか。この映画を観て、そんなことを考えた。
映画『アトミックマム』は、監督であるM.T.シルビアさん(以下敬称略)と彼女の母親で1950年初頭に海軍で放射能の熱傷研究をしていた経歴を持つポウリーンとの関係から始まるパーソナルなドキュメンタリー映画だ。
続きは 強いられた沈黙を生きる ■[映画紹介]『アトミックマム』(原題”Atomic Mom”)