(朝日新聞 2011年4月28日)
この記事の新聞掲載からもうそろそろ二ヶ月経ちますが、あえて乗せます。
東北が「米どころ」の地位を確率したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原野の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食料増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、コメ・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。