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ビキニ国賠訴訟 2審も原告の請求棄却 高松高裁判決 via 毎日新聞

1954年に米国が太平洋・ビキニ環礁で実施した水爆実験を巡り、国が被ばくの実態を隠し続けたため、必要な治療を受けられなかったなどとして、周辺で操業していた高知県の漁船の元船員や遺族ら29人が計約4200万円を求めた国家賠償請求訴訟の控訴審判決が12日、高松高裁であった。増田隆久裁判長は請求を棄却した1審・高知地裁判決(昨年7月)を支持し、原告側の控訴を棄却した。一方、元船員らの救済の必要性に言及した。 ビキニ水爆実験を巡っては政府が55年、法的責任を問わずに米国から「見舞金」として200万ドル(当時で7億2000万円)を受け取ることで政治決着。静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員に慰謝料が支払われた。しかし、周辺で操業していた他の船については、政府が2014年になって延べ556隻の検査記録があることを認めて開示した。 (略) 訴訟は16年5月、元船員や遺族ら45人が計約6500万円を求めて高知地裁に提訴。高齢化などから控訴審では原告が29人に減った。元船員らの多くは80代半ばという。5日に83歳で死去した原告団代表、増本和馬さんの妻美保さん(78)は「夫はわずかな望みを懸けていたと思う。本当に悔しい」と話した。原告代理人の梶原守光弁護士は「高齢になり、体調を崩している人ばかり。(上告については)慎重に検討する」と述べた。【松原由佳、潟見雄大】 全文はビキニ国賠訴訟 2審も原告の請求棄却 高松高裁判決

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1954ビキニ 被ばく漁船員の人生 岡村啓佐さんが写真集 過ち、繰り返させないvia西日本新聞

 1954年、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った一連の水爆実験で、マグロ漁船員らが被ばくした。その当事者や遺族を撮った写真集「NO NUKES ビキニの海は忘れない」が9月、日本自費出版文化賞の大賞を受賞。高知市の平和資料館副館長、岡村啓佐(けいすけ)さん(68)が、国から健康調査すらされず高齢になった証言者たちの表情を切り取った。日本や核保有国が核兵器禁止条約への批准に足踏みする中、顧みられなかった被害の実相を突き付ける。  収録したのは、水爆実験の周辺海域で操業していた高知、東京、神奈川、静岡在住の元漁船員や遺族ら50人。遺族は、乗組員時代の父や夫の遺影を手にレンズを見詰める。   〈食べるものを海水で洗い、汚染された魚を何も知らずに食べた。みんな放射能にやられて、帰ってきてから玄関で血を吐いて亡くなったとか、バタバタと若い仲間が亡くなっていった〉  〈結婚を約束し、出航時に見送ってくれた彼女はこの間一度も顔を見せることがなかった。(中略)差別の目に耐え切れず京都に逃げた〉 […] ビキニ水爆実験で、日本政府は第五福竜丸以外の被ばくした漁船の乗組員たちの健康調査や治療をせず、54年12月にマグロの検査と廃棄処分を打ち切った。翌月、日米両政府は米国が200万ドルの見舞金を支払うことで政治決着。しかし日本政府は2014年、それまで「ない」と説明していた調査資料の一部を開示した。それを機に、周辺海域で操業していた同県内の元漁船員や遺族は16年「資料を故意に隠し、被災船員への健康調査や治療、救済をせず、生命や生活に深刻な損害を与えた」として国を相手取り提訴した。  核実験の被害を記録しようと岡村さんら原告支援者は17年、元漁船員と遺族の証言集を発行した。その中で岡村さんは「被ばく者たちの息づかいと人生を、写真で表現したい」と今回の写真集の制作を決意する。  つてを頼りにたどり着いた元漁船員の妻は「国が被ばくを隠さず早く検査していれば、夫を助けられたかもしれない…」と悔やんだ。夫は1976年に肝硬変と診断され、翌年にがんで死亡。40代だった。園児だった次男に、父親との思い出はない。被ばくとの因果関係は分からず、女性は「酒の飲ませ過ぎよ」という周囲の非難にも耐えた。岡村さんは「核がもたらした被害が闇に葬られたままでは、人の命をないがしろにする愚かな過ちが繰り返される」と確信した。  ビキニ事件の国賠訴訟の一審判決は原告の請求を退けたものの、元乗組員らの被ばくの事実を認定した。訴訟は高裁で係争中で、12月に判決が出る見通しだ。  レンズで捉えた被ばく者は全員80歳を超える。写真集の制作を始めた昨年1月以降、少なくとも5人が他界した。岡村さんは彼らに残された時間と闘いながら「NO NUKES(核は要らない)」と訴える。世界中の人に見てもらうため、学生ボランティアらの力を借り英訳も併記した。2200円。購入は平和資料館・草の家=088(875)1275。  (国崎万智) 全文

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高知市でビキニ水爆実験を巡る健康相談会と講演会 via 高知新聞

1950年代に米国が実施したビキニ水爆実験を巡り、高知県は7月17日、健康相談会と講演会を高知市内で開き、元船員や遺族らが出席した。被ばくによる遺伝への影響を心配する声に対し、船員の被ばく線量を調べている星正治・広島大学名誉教授は「遺伝への影響はないだろう。(実験については)さらなる調査が必要」と述べていた。  約35人が参加した講演では、星氏が高知県内の船員の血液や歯を調べた結果を報告。「100ミリシーベルト以上の被ばくがあった」とした上で、「評価が難しい。いろいろな調査を組み合わせ、慎重に評価する必要がある」とした。 個別相談には元船員3人を含む計5人が訪れた。高知市の増本和馬さん(79)は「白血病で死んだ仲間も多い。因果関係を知りたい」と初めて参加。「魚のわたを食べた」「港に着いたら白衣の人に体の放射線を測られた」などと証言した。  遺伝への影響を心配する別の遺族に対しては、星氏らが「(広島原爆による)放射線の遺伝への影響は見つかっていない。(ビキニ被ばくも)安心していいだろう」と話していた。 […] もっと読む。 ◇ 厚労省がビキニ被爆の健康影響を否定 星氏らの研究取り上げず ◇操業記録発見で高知県宿毛市の船員遺族がビキニ訴訟の原告に

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高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書 via 高知新聞

旧高知県高岡郡窪川町(現高知県高岡郡四万十町窪川地域)の窪川原発計画をめぐる住民の動きを研究していた、明治学院大学・猪瀬浩平准教授(36)=文化 人類学=の著書が出版された。タイトルは「むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」。東京電力福島第1原発事故を機に窪川原発を研究し、四 万十町を度々訪れた猪瀬さんは「30年前の窪川のものの見方で今を見ると、民主主義のありようなど、われわれに批判的な問題提起をしてくれる」と語る。 2011年3月11日、東日本大震災が起きた日に、猪瀬さんはタイ・バンコクで、窪川原発反対運動をリードした四万十町本堂の農業、島岡幹夫さん(77)と出会った。共に、日本の市民団体が援助するタイの農業塾に参加していた。 猪瀬さんは「津波や原発が爆発した映像をタイで見ながら、かつて窪川で原発を止めた話を、島岡さんから聞いた。震災後の世界をどう生きていくか、具体的な知恵や希望が、この話の中にあると感じた」。これがきっかけで約3年間、四万十町に通い、窪川原発の取材を重ねた。 ■ 窪川原発は1980年、当時の窪川町長が誘致を表明し、1988年まで、賛成・反対をめぐって窪川町を揺り動かした。 猪瀬さんは当時の窪川について、こう指摘する。「都市の人間が見る『町が二分された』というイメージで語ってはいけない。窪川の住民には、もともと(農作業などの場面で)折り合いを付け、関係性を決裂させない知恵があった」 また、原発に反対した「郷土(ふるさと)をよくする会」(野坂静雄会長=故人)もさまざまな立場を超えた多様性を持った組織として描き、「一枚岩じゃない強さと包括性があった」と語る。 一般的に、窪川原発の反対運動は、日本初の原発建設の賛否を問う住民投票条例を作ったことが評価される。 しかし、猪瀬さんはこの定説を「住民投票条例はあくまで最後の切り札。拙速に決めると、最悪のシステムになりかねない。窪川の住民は、地域の集会所などで原発について丁寧に学習会を重ねた。条例を使うところまでいかなかったプロセスこそ重要だった」と見る。 (略) 自分たちの暮らしは自分たちで守る―。猪瀬さんは、そんな旧窪川町民の思いをくみ取り、著書をこう結ぶ。 〈多様性をもち、それゆえに葛藤をはらみながら、決定的に決裂させなかったことこそが、窪川原発反対運動の要点であり、またそれを生み出した窪 川という地域の凄(すご)みである。背景には、原発騒動のはるか前から、窪川の農村に生きる人びとが、農業生産だけでなく、暮らし全体のあり方を議論する 場が存在していた〉 全文は高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書

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高知でビキニ事件の健康相談会 元漁船乗組員ら対象にvia 47NEWS

1954年の太平洋ビキニ環礁での米国による水爆実験の際、周辺海域にいた漁船の元乗組員らを対象にした健康相談会が1日、高知県土佐清水市で開かれた。県が主催し、同県室戸市での3月の相談会に続き2回目。  午前中に環境科学技術研究所(青森県六ケ所村)の田中公夫相談役ら専門家3人が放射線被ばくについて講演。田中相談役は、元乗組員の血液検査で染色体に通常と異なる結合などの異常が多くみられたと報告した。 […] 田中相談役は「乗っていた船の汚染状況と本人の体調を照らし合わせていくことが重要」と語った。 もっと読む。

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放射線を浴びたX年後 via 愛媛新聞

 伊方原発の運転差し止めを求めて松山地裁で争われている訴訟の原告は23都府県の622人。その中に高知県宿毛市の元高校教諭山下正寿さん(67)もいる▲  米国による1954年のビキニ水爆実験は第五福竜丸だけでなく延べ千隻のマグロ漁船に死の灰を浴びせた。3分の1が高知船籍。多くの乗組員が若くしてがんで死んだが、被ばく調査も救済もない。山下さんは埋もれた事実を生徒と調べ、日米の国家的不作為を明らかにした▲  「事実隠しと被害の過小評価。ビキニと東京電力福島第1原発事故は似ています」。ことし5月、伊方訴訟が始まった日に原告団記者会見で語っていた▲ その山下さんとともに隠されたビキニ被ばくを追った南海放送の記録映画「放射線を浴びたX年後」が松山と東京で公開中だ。乗組員の消息を訪ね歩く伊東英朗監督に返ってくる妻たちの答えが黙示に聞こえる。「早くに亡くなりました」「死因はがん系統」「夫はきのこ雲を見たと自慢しよったが、がんで亡くなった」▲ 続きは放射線を浴びたX年後

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