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A nuclear power plant in Byron, Illinois. Taken by photographer Joseph Pobereskin (http://pobereskin.com). カレンダー
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Tag Archives: 第五福竜丸
第五福竜丸の記述も教材から削除 はだしのゲンに続き、広島市教委 via Yahoo!Japan ニュース(共同)
広島市教育委員会が市立の小中高校を対象にした「平和教育プログラム」の教材から漫画「はだしのゲン」を削除する方針を決めた問題で、米国のビキニ水爆実験で被ばくした静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の記述もなくすことが1日、分かった。教員用の指導資料には記述を残し、生徒に概要や参考文献を紹介するという。 【水中爆発の写真】1946年7月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で原爆実験を開始した 「死の灰」第五福竜丸にも 第五福竜丸は69年前の3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験に遭遇し、乗組員23人全員が被ばくした。日本で反核運動が高まるきっかけとなった。平和教育プログラムで使う市教委作成の「ひろしま平和ノート」では、第五福竜丸は核兵器を巡る世界の現状を学習する中3の部分に掲載されている。乗組員の被ばくや、半年後に40歳で亡くなった無線長の久保山愛吉さんなどを写真とともに紹介している。 市教委がプログラムを再検討する中で「第五福竜丸が被ばくした記述のみにとどまり、被爆の実相を確実に継承する学習内容となっていない」との指摘が出た。 原文
写真家の森下一徹氏死去 via Reuters
森下 一徹氏(もりした・いってつ=写真家)4日午後11時28分、肺炎のため東京都の病院で死去、81歳。 (略) 広島、長崎の被爆者や、米国のビキニ水爆実験で乗組員が被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」事件の写真を撮り続けた。NPO法人「世界ヒバクシャ展」前代表。 全文は写真家の森下一徹氏死去
「人生を懸けてビキニ事件語った」 元乗組員、大石又七さん死去 via 毎日新聞 (goo ニュース)
[…] 第五福竜丸展示館の学芸員、市田真理さん(53)は「人生を懸けてビキニ事件を語っていた」と振り返る。最後に会ったのは2019年12月。学生を連れて行くと、「話したいことがたくさんある」と言ったという。その後は新型コロナウイルスの感染拡大で面会がかなわず、「もう一度、一緒に講演する約束だったので、信じられない。命懸けで伝えようとしたことを受け継いでいかなければ」と声を詰まらせた。 平和研究が専門の竹峰誠一郎・明星大教授(44)は「(差別や偏見から)第五福竜丸の船員の多くが沈黙せざるを得ないなか、大石さんは証言した先駆者。大石さんの存在なくしてビキニ事件の深さや背景は語れない」と功績を語った。大石さんと一緒にマーシャル諸島を訪ねており、「マグロやカツオの知識が豊富で、船に乗った時は輝いていた。被害を受けなければ太平洋の海と生きた人なのだろう。優しい人だったが、証言には悔しさや怒りがあった」と思いをはせた。 高知県でビキニ事件の被災者支援を続ける市民団体「太平洋核被災支援センター」事務局長の山下正寿さん(76)=高知県宿毛市=は「自らの体験を積極的に発信し、強い信念で活動していた」と話す。山下さんは高校教諭だった1988年、高校生と被災調査を進めるなかで大石さんと知り合った。大石さんが生徒らを見つめ、「事件は隠してはいけない。事実を素直に受け止め、調査を頑張ってほしい」と強く訴える姿を今も覚えている。ビキニ事件をテーマにした講演会でも何度か顔を合わせたといい、「核被害の問題に広く関心を持ち、廃絶を訴えた人を失ってしまった」と惜しんだ。【椋田佳代、松原由佳】 全文
第五福竜丸の元乗組員・大石又七さん死去 87歳 via 朝日新聞
1954年に米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験で被曝(ひばく)した静岡のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員で、核廃絶を訴える活動を続けていた大石又七(おおいし・またしち)さんが7日に亡くなった。公益財団法人第五福竜丸平和協会が発表した。死因は誤嚥(ごえん)性肺炎で87歳だった。葬儀は近親者で行った。 34年1月、静岡県吉田町生まれ。第五福竜丸で冷凍士を務めた。水爆実験では福竜丸に乗っていた23人の乗組員全員が被曝。半年後に無線長が死亡し、大石さんも1年2カ月の入院で脱毛や白血球の減少に苦しんだ。 退院後は「放射能がうつる」と言われたり、慰謝料が支払われたこともねたみの対象になったりした経験も。故郷の静岡から逃げるように上京し、被曝者であることを隠し通していた。 だが、83年に東京都町田市の和光中学校の生徒に証言を頼まれたのを機に、全国で講演を行うようになった。マーシャル諸島や米国でも証言し、その回数は700回を超えた。原動力になったのは、かつての仲間が若くして亡くなっていくことへのやりきれなさだった。大石さんは自身もわが子の死産を経験し、「訴え続けなければビキニ事件はやがて消えてしまう」と語っていた。 福竜丸を知ってほしいと、模型船を作って広島平和記念資料館(広島市)や長崎原爆資料館(長崎市)に寄贈した。「マグロ塚」と刻んだ石碑を東京・築地に設置する活動にも熱心だった。福竜丸がとったマグロは築地の魚市場に出荷されたが市場の検査で放射能が検出され、大騒ぎに。54年当時は福竜丸以外にも延べ約1千隻の漁船から放射能が検知された魚が見つかり、魚は捨てられた。「忘れられている放射能の恐ろしさを後世に伝えたい」と考え、東京都に要望していた。 肝臓がんなどを患い、2012年には脳出血で倒れた。右半身が不自由となったがリハビリを続け、最後は車椅子で講演活動を続けた。亡くなる2~3週間前には「まだまだ言いたいことや伝えたいことがある」と言っていたという。(西村奈緒美) 原文
「乗組員はスパイとも思える」「損害が誇張されている」終戦9年目、日本人水爆実験被害者にアメリカから向けられた言葉 via 文春オンライン
「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #2 小池 新 「食べれば原子病にかかる」“原子マグロ”登場 3月16日付夕刊では朝日が「マグロ漁船ビキニで原爆浴びる」を社会面トップで、毎日は「ビキニの水爆?実験で邦人漁夫三十三名被災」を1面左肩で追いかけた。毎日が社会面トップに載せた「売られた“原子マグロ” 食べれば被病 都内では一応押える」の記事はその後の騒動のきっかけとなったといえるだろう。(全2回の2回目。#1を読む) (略) 3月17日朝刊の朝日には社会面3段で「築地で五百貫埋める 各地に流れる福竜丸の魚」の見出しの記事が。 (略) 同じ話題を取り上げた記事に毎日は「原子マグロを土埋め」、読売は「原子マグロ土葬」の見出しを付けた。既に「原爆マグロ」「原子マグロ」が紙面をまかり通っていた。 (略) 同じ日の紙面には、焼津で乗組員の診察や第五福竜丸の船体検査などを続けていた東大などの総合調査団が 1)乗組員らは生命に危険はなく2カ月ぐらいで回復する2)船体を焼いたり沈めたりする必要はない3)魚はサメは危ないがマグロは食べてもよい との結論を出したことも載っている。 ついにあきらかにされた水爆の事実 「想像を絶した爆発力 測定不能」 3月18日付夕刊各紙には、アメリカ議会原子力委員らを情報源としたビキニ実験の規模などについての記事が掲載された。朝日は「想像を絶した爆発力 測定不能 米科学も驚倒」、読売は、「測定装置役立たず 強力無比の水爆」の見出しだったが、「史上最大・ビキニ『水爆』 広島原爆の六百倍」が見出しの毎日を見よう。 (略) 各機関の調査団が現地へ 交錯する評価 現地焼津には東大のほか、京大など各機関の調査団が入ったほか、広島のABCC(原爆傷害調査委員会=現放射線影響研究所=)のモートン所長らも加わることになり、3月19日付読売朝刊は「日米死の灰調査合戦」の見出しで報じた。 (略) さらに、同じ紙面では、サンフランシスコ特電(INS)で、ビキニの実験場と東京を視察して帰国したアメリカの上下両院合同原子力委員会委員のパストール(パストアと表記した新聞もある)上院議員の談話が「漁夫の火傷は浅い」の見出しで載っている。 同議員は日本滞在中、アメリカ側官憲から第五福竜丸の23人についての「あらゆる資料の提供を受けた」としたうえで「残念なことだが、最初の報告は事件を誇張したものであり、漁夫たちの火傷を実際よりもはるかに重いように伝えたことが分かった」と語っている。 (略) 乗組員はスパイ!? アメリカの思惑 アメリカは3月19日に実験の危険区域を数倍に拡大する一方、実験の被害をなるべく小さく見せようとした。パストール議員から報告を受けたコール委員長はさらに踏み込んだ。 3月24日付産経夕刊には「被爆漁民スパイとも思える コール委員長が重大発言」の見出しでワシントン発AP=共同電が載っている。第五福竜丸の補償について、権限はあくまで議会にあるとしたうえで、最後にこう語っている。 「日本人漁船及び漁夫が受けた損害についての報道は誇張されているし、これら日本人が漁業以外の目的(スパイの行為を意味する)で実験区域に来たことも考えられないことではない」 不幸にも久保山無線長の危惧が的中したことになる。第五福竜丸平和協会編「ビキニ水爆被災資料集」によれば、これに先立つ3月18日、原子力委員の下院議員2人が「部外者が放射能によって被害を受けるほど接近できた理由を議会が調査すべきだ」「そうでなければソ連が潜水艦でスパイ行為をするのを防げないことになる」と述べていた。 … Continue reading
「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日 via 文春オンライン
「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #1 小池 新 (略) 「航海は最初からおかしかった」 1954(昭和29)年1月22日午前11時、「第五福竜丸」は母港の静岡県・焼津港を出港した。140トンの木造漁船。1947年に神奈川県・三崎港所属の漁船として和歌山県で建造され、別の船名で操業していたが1953年、譲渡されて第五福竜丸に。“改名”後、5回目の航海だった。 出航直前、ベテランの甲板長ら5人が船を去り、乗組員が入れ替わった。船に乗り込んだのは23人。久保山愛吉・無線長(39)を最年長に30代が3人。ほかは、10代3人を除いて、船長も、操業の全責任を持つ漁労長(船頭と呼ばれていた)も20代で、平均年齢25歳の若いメンバーだった。 「考えてみると、この航海は最初からおかしかった。首をかしげたくなるようなことばかり起こった」。出航の翌日に20歳を迎えた「冷凍士」で現在も健在の大石又七さんは著書「死の灰を背負って」にこう書いている。 (略) 静けさの中の閃光「西から太陽が昇った」 記述は水爆実験の瞬間に入っていく。 夜明け前の静かな洋上に、稲妻のような大きな閃光がサアーッと流れるように走った。午前1時から始まった投縄作業がついいましがた終わり、一区切りついた体を船室の戸口に近いカイコ棚のベッドに横たえて、開けっ放しになっている暗い外をぼんやり眺めていた。午前3時30分、船はエンジンを止め、かすかな風に流れを任せている。さっきまでの目の回るような忙しい作業と騒音がうそのような静けさだ。閃光はその時である。光は、空も海も船も真っ黄色に包んでしまった。はじかれたように立ち上がり、外へ飛び出した。きょろきょろと見回したが、どこがどうなっているのか見当がつかない。左の空から右の空まで全部黄色に染まって、まるでこの世のものとは思えない。 その時のことを、広田重道「第五福竜丸」は「突然誰かが叫んだ。『太陽が上がったゾ!』。恐怖に震える声だった」「『西から太陽が昇った』。これがみんなの実感だった」と記している。「死の灰を背負って」によれば、デッキには見崎漁労長や船長らがいて左舷をじっと見ていた。 一段と鮮明な黄白色が大きな傘状になって、水平線の彼方で不気味な光を放っている。「あそこだ」「なんだ、あれは」。声にならない。心の中で叫んだ。今にも、どでかい太陽が昇ってきそうな感じだ。 光は微妙に色を変えた。黄白色から黄色、オレンジがかって、かすかな紫色が加わり、そして赤く変わっていった。それも、少しずつ少しずつゆっくりと。誰もが無言で息をころし、立ちすくんだまま、目はその光景に吸い付けられるように、じっと成り行きを見守っていた。1954(昭和29)年3月1日午前4時12分。南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁北東約90マイル(約170キロ)、北緯11度63分、東経166度58分。 乗組員は慌てて延縄を引き揚げ、朝食をとった。「そのときだった。『ドドドドド!』。足元から突き上げてくる轟音は、海ごと船を揺さぶった」。縄を揚げる作業に戻ると、久保山無線長(「局長」と呼ばれていた)の大きな声がした。 (略) 久保山無線長は「中央公論」1954年11月号掲載の「絶筆 死の床にて」という手記で、2月27日に「虫が知らせたのか、私は見崎漁労長、筒井船長に『終戦後も原爆実験はやっているのだから、禁止区域には接近しない方がいいだろう』と注意した」と書いている。彼は戦争中、海軍に徴用されていたという。戦争中の感覚が体に染みついていたのだろう。 (略) 漁は最後まで不漁で、乗組員は「デッキにたまった白い灰も海水で洗い流し、自分たちも裸になって、髪の毛や耳などについた灰を洗い落としてほっと一息」。船は焼津港に向かって北へ。しかし……。 「灰をかぶった時点では誰も口には出さなかったが、作業中にめまいがしたり、縄を揚げ終わるころには頭痛や吐き気、夜になると下痢をする者も何人かいた」(同書)。 降り注いだ白い灰…続いた乗組員の体の異常 久保山無線長は危険を感じていたのか、甲板員に「水で体を洗え」と何度も言った。甲板員の1人が、戻って見てもらうため、白い灰を拾ってひとつかみ袋に入れていた。乗組員の体の異常は続いた。 (略) 「みんな異様な黒い顔に目玉をきょろきょろさせ、手足にできた傷も気になっていたが、次の出港までにはなんとか治るだろう。そんなふうに軽く思っていた」。3月14日午前5時50分、ひっそりと焼津に帰港。 事情を聞いた船主の勧めもあって、全員が午前中、焼津協立病院で受診。当直医は翌日、傷がひどい山本忠司機関長ら2人を東大付属病院に回した。 (略) 「焼けたゞ(だ)れた グローブのような手」が見出しの別項記事では、記者が東大付属病院で乗組員から聞き出した当時の模様を書いている。また、被爆者研究で知られた都築正男・東大名誉教授の談話も。 「外傷などから判断すると、広島、長崎の原爆の場合と違う」「今度の場合は、直接灰をかぶって2、3日後に顔が火ぶくれになったというが、その灰は水爆か原爆かの破片が落ちてきたものだ。いわば原爆のカケラの放射能そのものにやられたわけで、かぶった直後、丁寧に洗い流せばなんでもないのだが、放置しておくと、放射能が体を突き通し、火ぶくれのようになる」。 (略) 佐野眞一「巨怪伝」も「この時代、どこの新聞社も放射能についての知識をほとんど持ち合わせていなかった。それが読売に限って、焼津通信部員からの一報だけでピンときたのは、この年の元旦から『ついに太陽をとらえた』という原子力開発の解説記事を連載していたためだった」と書いている。 読売の特ダネは、アメリカの核実験が周知の事実だったように書いているが、多くの日本国民にとってはそうではなかっただろう。同紙の3月2日付夕刊は1面2段で【ワシントン特電1日発】で次のような2本の記事を載せている。 【AFP】アメリカ原子力委員会のストローズ委員長は、第7合同機動部隊がマーシャル群島にある原子力委員会の太平洋実験場で原子力装置を爆発させたと1日発表した。この爆発は一連の実験の最初のものである。 【INS】米政府当局はある種の“原子装置”の実験がマーシャル群島で行われたと1日、簡単な発表を行ったが、その直後、超強力の水爆“地獄爆弾”が爆発されたのだという推測が行われている。原子力委員会及び海空両軍当局は、厳しい口止めをされていると語ったが、完成された水爆が実験されたとみてよいようである。 “地獄爆弾”とはすさまじいが、16日の特ダネがこの記事を参照していたことは間違いない。「水爆か」という見出しにも根拠があったわけだ。 全文は「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日
【石川】反核 叫ぶ父の船 ビキニ被ばくの第五福竜丸 建造 via 中日新聞
金沢の東山さん 冊子製作、記憶継いで 一九五四年、米国の水爆実験によりビキニ環礁で被ばくした日本の漁船「第五福竜丸」。金沢市泉が丘の東山温美(はるみ)さん(86)が第五福竜丸に関する冊子をまとめた。第五福竜丸は東山さんの父が建造を手掛けた。非核のシンボルとなった経緯も記し「小さな船の大きな反核の叫びを聞かなくてはいけない」。結びには核のない世界への思いをつづった。(高橋雪花) (略) 第五福竜丸は元々カツオ漁船「第七事代丸(ことしろまる)」として誕生し、戦後の食糧難を支えた。完成させたのは「古座造船所」。東山さんの父、植村直太郎さん=享年五十一=が当時、社長を務め、兄や親戚も船大工として携わった。その後、遠洋漁業用のマグロ漁船に改造され、静岡県焼津市の漁船となり、第五福竜丸に改名。ビキニ環礁で被ばくした。 「第五福竜丸と私の思い出」と名付けられた冊子はA5判五十四ページ。東山さんは二、三年ほど前、「もう年だから」と船の歴史を残したいと考えた。被ばくから展示されるまでの歩み、題材とした映画などの作品も掲載。本や新聞記事、当時の写真など資料を集めて仕上げた。 (略) それだけに、被ばくを耳にしたときには驚いた。父は既に亡くなっていた。「あの事代丸が…かわいそうに」。十年前には、第五福竜丸が保存されている東京都江東区の展示館へ。思いがあふれて涙がこぼれた。「第五福竜丸は自分の子のようにいとおしい。一度は廃船になって捨てられかわいそうな目に遭ったが、永住の地を得て平和を問い掛ける船となったことがうれしい」 冊子は四十部刷り、長男、長女らに配った。冊子を手に改めて思う。「若い人は特に知らないから、記憶を受け継いでほしい」 全文は【石川】反核 叫ぶ父の船 ビキニ被ばくの第五福竜丸 建造
<2020年 核廃絶の「期限」>五輪パラ期間・前後 第五福竜丸館休館 競技会場すぐそば via 東京新聞
米国によるビキニ環礁水爆実験で一九五四年に被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)が、東京五輪・パラリンピック期間に合わせて休館する。展示館がある夢の島公園はアーチェリー会場となり、警備で園内の通路が封鎖され、展示館に行くのが困難になるためだ。核廃絶に取り組む市民からは、国内外から観戦客らが訪れる絶好の機会に、核兵器による被害の悲惨さを伝えられないことを惜しむ声が上がっている。 (北條香子) 展示館は七六年に開館し、船の実物を展示。昨年四月に改修工事を終えてリニューアルオープンしたばかりだ。入館無料で、公園を訪れる人らが気軽に立ち寄って核による被害の実態を学ぶ場となっている。 五輪・パラリンピックでは、展示館南側にある陸上競技場でアーチェリーの本選、同じく南東のアーチェリー場で予選が開かれる。 展示館が休館するのは七月三日から。五輪開会式は七月二十四日だが、大会組織委員会の広報担当者によると、五輪の開会式前から競技会場周辺を封鎖して危険物などがないかを細かく確認し、安全な状態を保つ必要があるという。公園内にある熱帯植物館も同様で、いずれもパラリンピック閉会式翌日の九月七日まで休館する。 都オリンピック・パラリンピック準備局の担当者は「競技会場となるアーチェリー場は既に工事で使えないが、展示館や植物館などは大会直前ぎりぎりまでアクセス路を確保する努力をしている」と話す。展示館を管理運営する公益財団法人「第五福竜丸平和協会」は休館中、展示パネルなどを全国に貸し出す方針。 (略) カヌー・スラローム会場が隣接する葛西臨海公園サービスセンター(江戸川区)によると、大会期間中、葛西臨海水族園などは営業する。重量挙げなどが行われる東京国際フォーラム(千代田区)内にある相田みつを美術館は、六月二十二日から十月五日まで休館する予定。 <第五福竜丸> 1947年に和歌山県でカツオ漁船「第七事代(ことしろ)丸」として建造。約140トン、全長約30メートルの木造船。遠洋漁業用のマグロ漁船に改造され、買い取った静岡県焼津市の船主が「第五福竜丸」と名付けた。54年3月1日、操業中にマーシャル諸島ビキニ環礁で米国の水爆実験に遭遇。乗組員23人が被ばくし、半年後に1人が死去。その後も多くの人ががんで亡くなった。船はその後、旧東京水産大の練習船となり、67年に廃船。東京・夢の島の埋め立て地に捨てられていたが、保存を求める声が高まり、76年に開館した展示館に保存されている。 全文は<2020年 核廃絶の「期限」>五輪パラ期間・前後 第五福竜丸館休館 競技会場すぐそば
ビキニ国賠訴訟 2審も原告の請求棄却 高松高裁判決 via 毎日新聞
1954年に米国が太平洋・ビキニ環礁で実施した水爆実験を巡り、国が被ばくの実態を隠し続けたため、必要な治療を受けられなかったなどとして、周辺で操業していた高知県の漁船の元船員や遺族ら29人が計約4200万円を求めた国家賠償請求訴訟の控訴審判決が12日、高松高裁であった。増田隆久裁判長は請求を棄却した1審・高知地裁判決(昨年7月)を支持し、原告側の控訴を棄却した。一方、元船員らの救済の必要性に言及した。 ビキニ水爆実験を巡っては政府が55年、法的責任を問わずに米国から「見舞金」として200万ドル(当時で7億2000万円)を受け取ることで政治決着。静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員に慰謝料が支払われた。しかし、周辺で操業していた他の船については、政府が2014年になって延べ556隻の検査記録があることを認めて開示した。 (略) 訴訟は16年5月、元船員や遺族ら45人が計約6500万円を求めて高知地裁に提訴。高齢化などから控訴審では原告が29人に減った。元船員らの多くは80代半ばという。5日に83歳で死去した原告団代表、増本和馬さんの妻美保さん(78)は「夫はわずかな望みを懸けていたと思う。本当に悔しい」と話した。原告代理人の梶原守光弁護士は「高齢になり、体調を崩している人ばかり。(上告については)慎重に検討する」と述べた。【松原由佳、潟見雄大】 全文はビキニ国賠訴訟 2審も原告の請求棄却 高松高裁判決