避難所で性行為を強要、DVが悪化… 被災地であった女性への暴力その後【東日本大震災】 via HUFFPOST

泉谷由梨子

「避難所のリーダー格を含め複数の男性から暴行を受けた。『騒いで殺されても海に流され津波のせいにされる恐怖があり、誰にも言えなかった』」(女性)

「避難所で夜になると男の人が毛布の中に入ってくる。仮設住宅にいる男の人もだんだんおかしくなって、女の人をつかまえて暗いところに連れて行って裸にする」(20代女性)

 東日本大震災では、避難所での女性や子どもに対する性暴力や、家庭内暴力(DV)があった。これは、「東日本大震災女性支援ネットワーク」が2013年に発表した調査で明らかになった。

 ただ、当時はほとんどこの事実に関する報道はされていなかった。どんな内容だったのか、あれから10年で災害と性暴力をめぐる状況はどう変わったのか。調査をまとめた一人である認定NPO法人「ウィメンズネットこうべ」(神戸市)代表理事の正井禮子さんに聞いた。

「対価型」性暴力に注目

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・津波で家族が行方不明になった20代女性に、避難所で物資の搬入や仕分けに関わっていたリーダー格の男性が、支援物資を融通することをほのめかして性的関係を強要した。

・自称「支援活動」をしている男性が、支援者として女性に近づき、不安になっている女性に自分の家に「避難」を勧める。

・夫が震災で死亡し、娘と避難する女性に避難所のリーダーが「大変だね。タオルや食べ物をあげるから夜、○○に来て」と性行為を強要した。女性は「嫌がったらここにいられなくなる。娘に被害が及ぶかもしれない」と応じざるを得なかった。

・災害後に被災者の女性の元に元交際相手が車で駆けつけて関係を再開。暴力や性的暴力をふるった。女性は災害後に不安になり頼る人がほしかった。

調査は、災害後、特に経済的・社会的に弱い立場に置かれやすくなった女性の弱みや不安につけこみ、優位な立場にある男性との社会的な力関係の差を利用した性暴力が行われていたことを明らかにした。

また、家庭内暴力も多数報告された。

・以前より暴力があり、若い頃は首を締められることも。地震・津波によって夫の仕事が減り、家にいる時間がながくなった。震災後にイライラしはじめ、妻に対し大声で怒鳴るなどが始まった。震災前には妻が日常的に通っていた場所に行く公共交通手段がなくなり(夫に送迎を頼まざるを得ず)緊張度が高まっている(50代女性)。

10年で「何も変わっていない」

この調査の対象となった、東日本大震災からまもなく10年になる。

あれから、災害対策基本法は改正され(2013年)、市町村に避難所の生活環境整備の努力義務が課された。2020年には、内閣府男女共同参画局の避難所運営ガイドラインが作成された。

ガイドラインには、正井さんらの調査報告や提言内容も盛り込まれている。それにより、10年で状況はずいぶん改善されたように見える。東日本大震災で報告されたような性暴力は、今後はもう起こらないと言えるだろうか?

正井さんは即座に「そんなことはない。何も変わっていない」と断言した。

どういうことだろうか。

実は、2011年の東日本大震災の当時も、既についたてや更衣室の設置など女性特有のニーズを考慮するようにと求めた文書は内閣府から通達されていた。

しかし、地方自治体やNPOなどを対象にした後の調査で「知っており、市町村や関係部署・団体等と連携して対応した」と回答した団体は、わずか4.5%でしかなかったことがわかっている。

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正井さんらも海外での調査事例を参照し、当初は直接避難所に問い合わせて女性から聞き取りをしようと試みた。しかし、避難所のリーダーたちから「性暴力の調査とは何だ。うちの避難所に犯罪者がいると言うのか」と、すごまれることも多かったという。

正井さんが制度以上に重要だと指摘するのは、性暴力やDVの背景にある日本社会の女性の貧困やジェンダーの不平等を改善するということだ。

[…]

また、正井さんは避難所のリーダーを務めた数少ない女性から、こんなエピソードを聞いたという。

ある避難所で、他に引き受ける人が誰もいなかったという理由で女性がリーダーになっていた。3カ月が経ってその自治体の避難所連絡会ができ集会に行ったところ、女性リーダーはその避難所だけだったことがわかった。戻ってそのことを避難所で報告すると『女性がリーダーだと、うちの避難所だけ不利になるのでは』との懸念の声があがり、その女性に対して『(半壊の)家があるじゃないか』と出ていくように言われた。女性はショックから精神的に不調をきたし、本当にその避難所を出ていくことになった。

コミュニティ再建だと言われるが、ここにあるのは女を黙らせるコミュニティでしかない」。避難所の立ち上げから奔走してきた女性は正井さんにそう語った。

正井さんは阪神大震災でも、東日本大震災でも「避難所リーダーの男女別の人数を知りたい」と各機関に問い合わせたが、最後までその情報さえ得ることができなかった。

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平時にも弱い立場にある女性が、災害時にはより困難になる。阪神大震災や東日本大震災で痛感した、社会の構造は全く変わっていないと感じている。

「DVの暴力から逃げ出し避難しても、コミュニティを追われた女性たちには貧困が待っている。日常から女性に対する性暴力や暴力はあるんですよ。そういう被害や、男女の不平等、性被害が無視されている現状に目を向けていかないと、災害時だけ女性が活躍したり、女性の意見が通ったり、そんなことにはならないですよ」

一方で、正井さんがわずかに希望を感じていることもある。それは、2019年から始まった、性暴力に抗議するフラワーデモが全国で開かれていることだ。

阪神大震災の被災地で性暴力があったことについて発表した正井さんは、ある雑誌で「嘘」と断定されて世間からのバッシングを受け、それから10年間災害と性暴力についての発言を控えていたという過去がある。

東日本大震災でこれほど大規模な調査を実施したのは、災害時に暴力を受けた女性たちの声が、決して嘘なんかではないと証明するためでもあった。

「2019年6月に初めて開催した神戸市でのフラワーデモでは、参加者が自分も話したいと次々とマイクを握っていました。若い人たちが多かったのが嬉しかった。先日の森喜朗さんの発言でもすぐに若い人たちが動いて、10万筆を超える署名が集まりましたね。ずっと変わらなかったと言いましたが、やっぱり今からは変わり始めるんじゃないかなって。やっと皆が行動を始めたんじゃないかなって。そうであってほしいって期待しているんです」

あの頃と比べると、発言する女性、そして女性たちの声を代弁し守る人々が増えたことには希望を感じる。正井さんはそう話した。

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「避難指示遅れて被曝」福島県民29人が国と東電を提訴 via 朝日新聞

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福島第一原発の事故後、原発20キロ圏内の住民には避難指示が出たが、20キロ圏外の飯舘村は対象外だった。同村には事故直後の風向きなどの影響で多くの放射性物質が運ばれたが、政府は事故1カ月後の4月まで同村に避難方針を打ち出さなかった。

 原告らは訴状で「高線量だと正しく知らされていれば、早期に避難でき被曝しなかった」と指摘し、国や東電の対応不備を訴えている。

 この日の会見で、飯舘村から福島市に移り住んだ原告の菅野哲(ひろし)さん(72)は「健康不安をずっと持っている」としたうえで、「けじめをつけないと死んでも死にきれない。福島の現状を広く国民にわかってほしくて東京地裁に提訴した」と話した。国は「コメントは控える」。東電は「真摯(しんし)に対応する」とした。

 原告を含む約3千人は2014年、被曝への慰謝料などを求めて国の原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に申し立てたが、東電が和解を拒否し打ち切りになっている。(新屋絵理)

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福島第一原発事故10年、特別除染地域の85%で除染進まず 廃炉計画では新たな代替案が不可欠 via グリーンピース・ジャパン

国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは(東京都新宿区、以下グリーンピース)は本日、2つの新報告書『福島第一原発 2011-2021年:除染神話と人権侵害の10年』『福島第一原子力発電所の廃炉計画に対する検証と提案 ~プランAからプランB、そしてプランCへ~』を発表しました。『福島第一原発 2011-2021年』では、福島県飯舘村南部の民家、浪江町の民家などの放射線測定調査から、再汚染が起こっている状況について報告しています。また、森林のほとんどが除染の対象となっていないことから、政府が計画を策定し除染事業を進める特別除染地域(SDA)の85%が除染されていないことが示されています。一方、『廃炉計画に対する検証と提案』では、現在の東京電力福島第一原発の廃炉計画が30~40年以内に成功する見込みは低く、代替案が求められると指摘し、具体的な提案をしています。

<報告書概要>

『福島第一原発 2011-2021年』

グリーンピースの放射線専門家チームは2011年3月26日以降、過去10年間で32回の調査を実施してきました。主な調査結果は以下の通り。

  • 政府のデータを分析すると、政府が除染の責任を負う840平方キロメートルのSDAの大部分が放射性セシウムで汚染されたままであり、除染された面積はSDA全面積の15%程度に過ぎない。
  • 政府の長期的な除染目標である毎時0.23マイクロシーベルトがいつ達成されるのか、その時期は決まっていない。住民は、公衆被ばく限度の年間1ミリシーベルトを超える放射線に何十年もさらされることになる。
  • 2017年に避難指示が解除された地域、特に浪江町と飯舘村では、放射線レベルが安全といえるレベルを超えたままであり、住民を潜在的ながんリスクにさらす可能性がある。避難指示の解除を継続する計画は、公衆衛生の観点から受け入れられない。
  • 2018年まで、SDAの除染にはのべ1300万人の除染作業員が雇用されていた。労働者のほとんどは低賃金の下請け業者であり、限定的な効果しかない除染プログラムのために、不当な放射線リスクにさらされてきた。

『福島第一原子力発電所の廃炉計画に対する検証と提案』

元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏(下記著者紹介を参照)に、グリーンピースから執筆を依頼した。

佐藤氏による現行の廃炉計画の問題点

  • 3基の原子炉圧力容器に残る数百トンの燃料デブリを回収するための信頼できる計画はない。
  • 原子炉を冷却するための水、建屋に流入する地下水の汚染、タンクに蓄積される放射能汚染水は、新たなアプローチを採用しない限り、今後も増え続ける。
  • 燃料デブリが回収されたとしても、それも敷地外で保管するというのは非現実的。現行の計画は、現行ロードマップの30~40年という時間枠では達成不可能である。

佐藤氏による代替案

  • 長期的に安全な格納容器を建設し、燃料デブリの除去を50~100 年以上遅らせることを含め、アプローチを抜本的に再考し、新たな廃炉計画を立てる。
  • 中長期的には、補強を施した一次格納容器を不完全な一次境界、原子炉建屋を二次境界として、放射能を閉じ込める。それと並行して、作業員が高い放射線リスクにさらされずに作業ができるロボット技術を開発する。
  • 放射能汚染水の増加を防ぐため、燃料デブリの冷却を水冷から空冷に変更する。さらに、福島第一原発敷地に深い堀を建設し、地下水から隔離された「ドライアイランド」にする。

グリーンピース・ジャパン 気候変動・エネルギー担当、鈴木かずえ
「過去10年間、政府は東電福島第一原発の周辺住民に対して、除染をすればすべてが元通りになるかのような誤解を与える説明を繰り返してきました。しかし現実は、福島県の7割以上を占める森林は除染されていません。そのため、森林が放射能の貯蔵庫の役割を果たし、台風などのたびに、放射性物質を放出しています。放射能汚染には終わりがありません。

また、東電福島第一原発についても、政府と東京電力は、40年で廃炉作業が完了し、東電福島第一原発を更地にするとも受け取れる説明を続けていますが、技術的な観点や最終処分場の問題などからも、実現は不可能でしょう。放射線状況についても、廃炉についても、政府の説明は、欺瞞に満ちていると言わざるをえません。しかし、原発事故の被害を終わらせるためにも、また、真に原発事故を収束させるためにも、今日から、東電も政府も、放射線状況についても、廃炉についても、現実に向き合い、市民に事実を話すべきです。

以上


報告書全文

関連資料

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85% of Special Decontamination Area remained contaminated Fukushima Daiichi decommissioning road map unachievable – a new plan is inevitable via Greenpeace Japan

[…]

“Successive governments during the last ten years, and largely under prime minister Shinzo Abe, have attempted to perpetrate a myth about the nuclear disaster. They have sought to deceive the Japanese people by misrepresenting the effectiveness of the decontamination program and ignoring radiological risks,” said Shaun Burnie, Senior Nuclear Specialist at Greenpeace East Asia. 

[…]

The key findings of the radiation report Fukushima 2011-2020 are:

  • Greenpeace has consistently found that most of the 840 square kilometers Special Decontamination Area(SDA), where the government is responsible for decontamination, remains contaminated with radioactive cesium. 
  • Analysis of the government’s own data shows that in the SDA an overall average of only 15% has been decontaminated.
  • No time frame for when the Japanese government’s long-term decontamination target level of 0.23 microsieverts per hour (μSv/h) will be achieved in many areas. Citizens will be subjected for decades of radiation exposure in excess of 1mSv/y recommended maximum.
  • In the areas where evacuation orders were lifted in 2017, specifically, Namie and Iitate, radiation levels remain above safe limits, potentially exposing the population to increased cancer risk. Plans to continue to lift evacuation orders are unacceptable from a public health perspective.
  • Up till 2018, tens of thousands of decontamination workers had been employed in decontamination in the SDA. As documented by Greenpeace[1], the workers, most of whom are poorly paid subcontractors, have been exposed to unjustified radiation risks for a limited and ineffective decontamination program. 

The key findings of The Fukushima Daiichi Nuclear Power Station decommissioningreport[2] are:

  • There are no credible plans for retrieval of the hundreds of tons of nuclear fuel debris remaining inside and under the three Reactor Pressure vessels – it requires a fundamental review. 
  • Water used in reactor cooling and groundwater contamination, and therefore accumulating in tanks, will keep growing into the future unless a new approach is adopted.
  • All nuclear contaminated material should remain on the site indefinitely. If the nuclear fuel debris is ever retrieved, it also should remain on site. Fukushima Daiichi is already and should remain a nuclear waste storage site for the long term. 
  • The current plan is unachievable in the timeframe of 30-40 years in the current road map and impossible to achieve in terms of returning the site to greenfield.

It is recommended that a fundamental rethink in approach and a new plan for the decommissioning of Fukushima Daiichi, including a delay in molten fuel removal for 50-100 years or longer is needed with the construction of secure containment buildings for the long term. The Primary Containment vessel, with reinforcement, should be used as an incomplete primary boundary and the reactor building as the secondary boundary for the medium-to-long term, while developing robotic technology that can perform tasks without high radiation risks to human workers. 

Finally, to prevent the further increase of radioactive contaminated water, cooling of nuclear fuel debris should be switched from water to air cooling, and the Fukushima Daiichi site should be made into a ‘dry island’ isolated from groundwater with the construction of a deep moat. 

ENDS

Links to full reports: 

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French report grapples with nuclear fallout from Algerian War via the Bulletin of Atomic Scientists

By Austin R. Cooper | March 4, 2021

In January, the French historian Benjamin Stora filed a report commissioned by the French President Emmanuel Macron aimed at “reconciliation of memories between France and Algeria,” which France ruled as the jewel of its colonial empire for more than 130 years.

The Stora Report addressed several scars from the Algerian War for Independence (1954–62), a bloody struggle for decolonization that met savage repression by French troops. One of these controversies stems from French use of the Algerian Sahara for nuclear weapons development.

France proved its bomb in the atmosphere above this desert, naming the inaugural blast , or Blue Jerboa, after the local rodent. Between 1960 and 1966, France detonated 17 nuclear devices in the Algerian Sahara: four atmospheric explosions during the Algerian War, and another 13 underground, most of these after Algerian Independence.

French nuclear ambitions became inextricable from the process of Algerian decolonization. The Saharan blasts drew international outrage, stalled ceasefire negotiations, and later threatened an uneasy peace across the Mediterranean.

The Stora Report signaled that radioactive fallout from the Algerian War has remained a thorn between the two nations. But the document comes up short of a clear path toward nuclear reconciliation.

[…]

In November 1959, Algerian allies representing independent states in Africa and Asia contested French plans for the desert in the First Committee on Disarmament at the United Nations.

Part of the French strategy at the United Nations was to drive a wedge between the nuclear issue and what French diplomats euphemistically termed the “Question of Algeria.” French obfuscation continued for decades.

France would not, until 1999, call the bloodshed a war, preferring the line that what happened in Algeria, as part of France, amounted to a domestic dispute, rather than UN business. Macron became, in 2018, the first French president to acknowledge “systemic torture” by French troops in Algeria.

The Afro-Asian challenge to Saharan explosions hurdled France’s diplomatic barricades at the United Nations. The French delegation tried to strike references to the Algerian War as irrelevant. But their African and Asian counterparts painted the desert blasts as a violation of African sovereignty.

The concern was not only for contested territory in Algeria, but also for independent states bordering the desert, whose leaders warned that nuclear fallout could cross their national borders. Radiation measurements taken in the wake of Gerboise bleue proved many of them right.

Nuclear weapons represented another piece of French imperialism on the continent.

[…]

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教科書に載ってない「ビキニ」 29歳監督が撮った男たちの苦悩 via 毎日新聞

松原由佳

ナレーションも、字幕も、BGMもない。隣に住んでいるようなおじいちゃん、おばあちゃんが淡々と言葉をつないでいく――。1954年に米国が太平洋・ビキニ環礁付近で水爆実験を繰り返し、島民や漁船の乗組員が被ばくした「ビキニ事件」の異色のドキュメンタリー映画が完成した。監督し、自らカメラを回したのは、埼玉から高知に移り住んだ29歳の青年だ。事件から3月で67年。70分間の映像には、歴史の教科書に載っていない、高知の元船員や遺族の知られざる苦悩が記録されている。

 タイトルのバックに流れる波の音が、見る者を大海原へといざなう。「放射線含んどるから魚を廃棄せないかん。それ聞いただけで、ほんまに泣きましたね」「知らんもんやけん、降ったものが付いた体を洗うてね。それが後に死の灰じゃゆうてね」。黄ばんだ船員手帳をめくりながら、あるいは真っすぐ前を見つめながら、海とともに生きてきた男たちがあの日に思いを巡らせる。

ビキニ事件では、被ばくした静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長、久保山愛吉さん(当時40歳)が半年後に死亡し、全国に衝撃を与えた。しかし、延べ約1000隻の日本漁船が被害に遭い、放射能で汚染した約500トンの魚を廃棄させられたことはあまり知られていない。そのうち延べ約270隻は高知県籍の船だった。帰港後に船などの放射能検査を受けたが、船員の多くは補償も受けられずに放置された。

埼玉から高知へ移住

 映画を撮った甫木元(ほきもと)空さん(29)は埼玉県越生町出身。多摩美術大の映像演劇学科に在籍していた頃から、身の回りの問題をテーマにしたドキュメンタリー映画などを作ってきた。数年前、祖父の家があり、幼い頃から身近な存在だった高知県で映画を撮ろうと四万十町に移住した。

それまでビキニ事件について知っていたのは「第五福竜丸が被ばくしたことくらい」。しかし、元高校教諭で市民団体「太平洋核被災支援センター」事務局長の山下正寿さん(76)=高知県宿毛市=に出会って刺激を受けた。山下さんは85年から高校生と一緒に県内の元船員や遺族への聞き取りを重ね、国家賠償を求める訴訟などの支援をしてきた。事件当時のことを語れる人はもう少ない。「自分も歴史に向き合い、証言を残さなければ」と映画製作を決意した。

 2020年夏から秋にかけ、動画が撮れる一眼レフカメラを手に元船員や遺族を訪ね歩いた。元船員の多くは80代や90代。一度の訪問が長時間にならないように気遣った。インタビューで心がけたのは、家族との思い出や船を下りてからの生活など、自分史を語ってもらうこと。それでも、誰もが「まるで記憶に付箋がつけられているように」事件のことを話し始めた。放射能検査で機器の針が振り切れたこと、被ばくを他言しないよう家族に言われたこと、原因が分からないのに歯が抜け、がんが次々と見つかったこと……。10人以上の証言を記録した映像は40時間に上った。

ナレーション、BGM入れず

(略)

ビキニ事件に興味がない人に先入観を持たずに見てもらうため、タイトルは「その次の季節 高知県被曝(ひばく)者の肖像、遠洋漁業の記憶2020」にした。「その次の季節」は、自分も含めた次の世代がどう体験を受け継いでいくかが重要だ、との思いを込め、高知出身の詩人、大崎二郎の作品から取った。

 映画は20年12月に県内でお披露目された。作品の中で亡き父のことを語った下本節子さん(70)は「空さんには平常心でゆっくり話せた。映画に出てくる他の元船員の言葉からも家族への思いが伝わってきた」と言う。来場者へのアンケートでは「被ばくした人数を聞くのと、一人一人から証言を聞くのとでは重みが違うと実感した」との声も寄せられた。3月に県内で開かれるビキニ事件に関するイベントでも上映される予定で、甫木元さんは今後、全国各地での上映を目指す。問い合わせは甫木元さんのメール(emptyspace.emptymovie@gmail.com)。【松原由佳】

全文は教科書に載ってない「ビキニ」 29歳監督が撮った男たちの苦悩

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Ex-PMs Kan, Koizumi urge Japan to quit nuclear power generation via The Mainichi

TOKYO (Kyodo) — Former prime ministers Naoto Kan and Junichiro Koizumi on Monday urged Japan to stop using nuclear power, saying the country should learn from the Fukushima crisis a decade ago and turn to renewable energy.

Both were proponents of nuclear power while in office but became critics following the March 11, 2011, earthquake, tsunami and subsequent triple meltdown at the Fukushima Daiichi nuclear plant.

“Japan has so much natural sources of energy like solar power, hydropower and wind power. Why should we use something that’s more expensive and less safe?” said Koizumi, a maverick reformist who held office from 2001 to 2006, at a joint press conference.

Kan, who led the response to the disaster at the time, criticized Yoshihide Suga’s vow to reduce Japan’s net carbon emissions to zero by 2050, calling it a pretense to restart nuclear reactors across the country, most of which have been halted as utilities wait to clear tougher regulations imposed after the Fukushima crisis.

While the former prime ministers come from opposite ends of the political spectrum — Koizumi led the center-right Liberal Democratic Party while Kan headed the now-defunct Democratic Party of Japan, which leaned left — they said opposing nuclear energy was a nonpartisan stance.

The main obstacle to shifting toward renewable energy is structural, Kan said, stemming from the entrenched interests of utility companies, government agencies and academics who constitute the “nuclear power village.”

“They know it would be too expensive to build new plants, or that there’s no way to properly dispose of nuclear waste. But there are a lot of stakeholders and they want to keep it that way,” said Kan, now a member of the Constitutional Democratic Party of Japan.

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原発事故後の被曝「国と県の過失を認めず」〜福島地裁 via OurPlanet-TV

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安全な地域での教育認めず
この裁判は、福島県内の子どもとその保護者が約170人が、国、県、市町村を訴えているもので、初期被曝の責任と被ばくをせず教育を受ける権利の確認の2つの内容が争われていた。このうち、福島県内の小・中学生14人が、年間1ミリシーベルトを下回る地域での教育を求めた訴えについて裁判所は、低線量被ばくや不溶性セシウムによる内部被ばくのリスクを否定はしなかったものの、「直ちに不合理とはいえない」と判断。原告の生命や身に対する違法な侵害があるとは認められないと、原告の訴えを退けた。

また福島県内の子どもと保護者158人が、国と福島県に初期被曝の責任を求めて、一人あたり10万円の損害賠償を請求していた裁判についても、裁判所は訴えを棄却。「SPEEDI」の情報を正しく提供しなかったことや、安定ヨウ素剤を服用させなかったなどについて、事実関係は認めながらも、「違法であったとは言えない」と判断した。

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涙にくれる地裁前
原発事故後、全国で数々の損害賠償裁判が起きている中で、放射線の感受性が高いとされる子どもを原告とし、被曝問題に正面から取り組んだのは、この裁判が唯一となる。訴訟の過程で原告は、福島原発事故では、従来の原子力事故ではほとんど見られなかった不溶性微粒子(セシウムボール)が数多く観測されていると指摘。原告の通う学校周辺地域の環境を独自調査し、少量の吸引でも莫大な内部被ばくを起こす可能性があると主張してきた。しかし、裁判所は、現在まで研究中であるなどとして、「予防原則」の立場に立つ判決を下さなかった。

主文を読み上げると、わずか1分ほどで法廷を後にした遠藤裁判長。判決理由を一切述べないまま、裁判官が退廷したため、原告も弁護人も呆然と立ち尽くしていた。

原告代表の今野寿美雄さんらが、「不当判決」「子どもの未来を閉ざす」と書かれた垂れ幕を広げると、裁判所前は怒号に包まれ、肩を寄せ合って号泣する支援者もいた。判決について今野さんは「納得できるものは一つもない。不当判決そのものだ」と控訴する意向を表明した。

ビデオと全文

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Cancer plagues West Valley nuke workers via Investigative Post

Federal program has paid former employees $20.3 million in compensation. Other claims are pending and still more workers are unaware of the program.By Phil Gambini

David Pyles says he lives on painkillers and moves with the help of a cane and walker. He worked for five years at the West Valley Demonstration Project, a failed experiment to process spent nuclear fuel.

“What we were doing was insane. We were dealing with so much radiation,” he told Investigative Post from his home in New Hampshire. 

“I’ve got absolutely no joints left in my knees — my knees are gone, my ankles are gone and my hips are gone,” he said. 

“I wonder if it’s from working in that bathtub full of radiation.”

Pyles was one of about 200 full-time employees who operated the former Nuclear Fuel Services reprocessing facility five decades ago in the hamlet of West Valley, where the company partnered with the federal government to recycle used radioactive fuel. Other workers were hired to contain and dispose of the dangerous waste the operation left behind.

Some workers developed cancer, leukemia and other illnesses. The same held true for workers at other nuclear facilities across the nation. As a result, Congress established the Energy Employees Occupational Illness and Compensation Program in 2000.

An Investigative Post review of the program found the government has paid $20.3 million over the last two decades in cases involving at least 59 people who worked at the West Valley site.

[…]

Pyles said he was unaware of the program. He isn’t alone.

The Department of Labor’s Office of the Ombudsman has repeatedly criticized outreach efforts  in its annual oversight reports. Most of it has been in the form of events held near former sites. Given the passage of time and people’s movement, reaching more eligible workers is a challenge. 

The workforce at West Valley involved more than full-timers. About 1,000 temporary laborers were hired by the company in any given year, according to government and media reports from the time. 

The use of temporary workers was a common labor practice at the time, but few operations needed to “raise quite so large an army” as Nuclear Fuel Services, according to a Science Magazine reportfrom the era.

The industry had a nickname for them: “sponges.”

They were hired to “absorb radiation to do simple tasks,” according to Dr. Marvin Resnikoff, a radiological waste consultant who co-authored a study of West Valley.

While working at a site like West Valley does not guarantee later illnesses or genetic complications for offspring, each exposure to radiation increases the likelihood of cancer, Resnikoff said. 

“It’s what I guess I would call a meat grinder,” he said.

Exposure to radiation

At its groundbreaking in 1963, the Nuclear Fuel Services reprocessing facility was thought to be a harbinger of a coming economic transformation. It closed in less than a decade, however. 

Through six years of operation, at least 36 individuals in 13 incidents were exposed to “excessive concentrations” of radioactivity, according to a federal consultant’s report.  Nevertheless, government officials at the time reported “no significant improvement in exposure controls or radiological safety conditions.” 

The plant opened in the spring of 1966. Used fuel rods, thousands of which are assembled to power a nuclear reactor core, were transported to the plant by rail and truck. Upon arrival, containers were submerged in a 45-foot-deep cooling pool of demineralized water.

The fuel rods were then cut open, chopped up and placed in an acid bath. The solvent separated the used fuel from the reusable uranium and plutonium, which was collected for resale. The radioactive byproduct was pumped into underground tanks for storage. 

The former lab supervisor said he was upset at management’s inaction concerning safety issues. Radioactive dust migrated through the ventilation system and accumulated in ducts, federal records said. A single duct was a “primary source of radiation” in the plant on three levels.

Pyles and coworkers absorbed radiation from that duct for five years, he said. They recognized that it posed a danger, but he said management ignored repeated requests to keep the airway flushed.

In response, Pyles said he and his coworkers hammered into the floor quarter-inch sheets of lead, used as temporary shields throughout the plant. When radiation levels went up, another sheet went down, he said. Finally, when the lead was an inch thick, Pyles said there were concerns they’d reached “the load bearing limit of the floor.” 

After he left Nuclear Fuel Services in 1972, Pyles worked with the Coalition on West Valley Nuclear Wastes, a grassroots environment and public health watchdog that were among the first to draw public attention to West Valley. In New Hampshire, he worked with the New England Coalition for on Nuclear Power, an activist group that raises awareness regarding safety and potential impacts of nuclear power plants.

[…]

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原発事故は終わっていない。反原発を貫いて50年、信念の科学者が渾身の訴え―小出 裕章『原発事故は終わっていない』via Yahoo! ニュースJapan

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◆ 原発事故は終わっていない。反原発を貫いて50年、信念の科学者が渾身の訴え 2021年3月11日、この日は、東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きてから10年にあたります。地上でどれだけ過酷な事故が起きようとも、時だけは確実に、そして容赦なく流れていくことを改めて不思議に思います。 原発事故直後から、日本の政府も電力会社も原子力産業も、とにかく事故の規模を小さく見せることばかり考えていました。2011年3月11日に事故が起き、翌12日には1号機の原子炉建屋が爆発して吹き飛ぶという大惨事が起きました。国際原子力事象評価尺度に照らせば最悪のレベル7とわかっていたにもかかわらず、レベル4だと発表したのです。原発推進派の片棒を担いできた科学者たちもマスコミの取材に対して、「たいしたことはない、事故は収束に向かっている」という発言を繰り返しました。 事故が起きた時、私は京都大学原子炉実験所に勤務していました。 実験所では私が担うべき仕事があり、事故当日も放射線管理区域内で仕事に従事していました。翌日以降もその手を抜くことはできないうえ、事故の状況を正確に知るための仕事が増え、それに加え、マスコミの取材やテレビやラジオへの出演、さらに、講演会などで各地を奔走することになりました。そのため、事故後しばらくの間、休みはおろか、寝る時間すらも満足に取れない状態でした。 でも、私にとってこれは戦争なのだと思いました。国や電力会社、原子力産業など巨大な力の前では、私はあまりにも非力で、福島第一原子力発電所の事故が起きることを防げませんでした。私は原子力の旗は振りませんでしたが、原子力の場にいた人間として、事故が起きる前に原子力をやめさせることができなかったことについて大きな責任があります。国や電力会社から決して出てこない情報を、自分なりに伝えていかなければいけない、その一心でした。 2015年3月に京都大学原子炉実験所を退職した後も、自分にできることをやってきたつもりですし、これからも続けたいと思います。 ただし、人間が生き物である以上、年をとることから逃れることはできません。もちろん私もそうで、いつまでも若い時と同じように活動はできません。退職前から続けてきた講演も、私にしかできないことは何かを考えながら、より一層、厳選しようと思います。 私が講演を引き受ける際に大事にすることが3つあります。 ひとつは〝敵地〟であること。原子力推進派と公平に議論できるなら、いつでもどこでも行くつもりです。次が〝現地〟です。福島をはじめ、原発のある場所で原発とともに生きる人たちに原子力の真実を少しでも伝えたいと思っています。3つ目が〝若い人たちを相手に話ができること、です。若い世代に福島第一原子力発電所が今どうなっているのか、福島の人たちがどのような苦難を強いられているのか、そして、原子力がいかに危険なものかを伝える必要があると考えています。 東海地方のある中学校の授業に招かれた時、ある生徒から「福島の子どもたちはどうしているんでしょうか」という質問を受けました。その中学校は福島から離れていることもあり、事故について生徒たちはなかなか実感を持てないのかもしれません。それでも、授業を受けた生徒からこうした質問が出るということは、少しでも福島の事故に興味を持ってもらえた証しなのではないかと思いますし、この先も忘れないでいてほしいと願います。 2020年は新型コロナウイルスの猛威が日本だけでなく世界中を襲いました。2021年1月には2度目の緊急事態宣言が出されました。でも、日本にはいまだに解除されていない緊急事態宣言があります。それが2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」です。 事故から10年が過ぎても原子力緊急事態宣言は解除できないままで、福島第一原子力発電所では多くの作業員が被曝の危険と闘いながら廃炉に向けた作業を続けています。事故によって生活を根こそぎ奪われた人たち、汚染地に置き去りにされた人たちは今も苦難のなか、必死で毎日を過ごしています。そうした現状を知れば、原子力など決して手を出してはいけないことがわかるはずです。 原子力を進めてきた人たちは、「原子力は絶対に安全だ」と言い続けてきました。それでも、事故は起こるわけで、そのたびに「ああ、しまった」と思ってきたはずです。それでも原子力を進めるためには、「絶対に安全だ」と言い続けるしかありませんでした。 どうしてそのような「誤った安全神話」ができてしまったのか。その理由は、いくつも挙げられていますが、決定的なのは絶対的安全への「願望」でした。要するに、事故が起きないよう、ひたすら願っていたのです。なんと愚かなことでしょうか。 福島第一原子力発電所事故が起きた後も、原子力推進派の人たちは、ひどくなってほしくない、なんとかほどほどのところで収束してほしいと「願望」していたと思います。だから、レベル4と発表し、逃げ続けていたのです。 しかし、願望で安全を確保できる道理はありません。少なくとも科学の分野にいる人間にとって、一番大切なものは事実です。願望などに依拠する限りは科学とはいえません。事故は現実に起きてしまい、被害は冷徹に進行しています。だからこそ、原子力を推進してきた人たちに、「せめて今のこの事態を直視して、しっかり考えて対処してほしい」と思います。 事故から4年半が経過した2015年9月、福島第一原子力発電所の現状を伝えたいとの思いで、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)という本を上梓しました。悲しいことに、前著でお伝えした深刻な状況は、今も変わらず続いているのです。それなのに、日本に住む人たちから事故の記憶はどんどん薄れていっています。原子力緊急事態宣言が解除されていないことが示す通り、事故はまだ継続中で、これからも長期間にわたって続きます。そのことを国も電力会社も原子力産業も、そして読者のみなさんにも改めて知ってほしいと思います。 [書き手]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)

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