篠田航一・外信部記者
まるでSFの世界
原子力発電で生まれる高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のゴミをどう処分するのか。これは人類共通の課題だ。過去には海洋に沈めたり、宇宙に放出したりする案も検討されてきたが、現在は安定した地層に埋める「地層処分」を最適とする考えが世界のほぼ共通認識となっている。だが2021年春現在、実際に処分場所が決まっているのはフィンランドとスウェーデンのみだ。
旧西ドイツは1977年、その候補地として北西部ニーダーザクセン州の過疎の村ゴアレーベンを選んだ。現在は計画が中止されており、その理由は後述するが、私はベルリン特派員時代にこの現場を見てみたいと思い、所管官庁のドイツ放射線防護庁に取材を申し込んだことがある。数カ月かかり、ようやく取材を許可されたのは13年7月。核のゴミを運び込む予定だった地下の坑道は、鉄条網で囲まれた建物の地下800~900メートルに広がっていた。
取材には放射線防護庁の担当官らが同行した。地下に潜る直前、地上で入念な準備をする。落盤事故から身を守るため、ヘルメットをかぶり、分厚い防護服に身に包み、ずっしり重い酸素ボンベも肩から下げた。「地下深い場所では、時に不測の事態も起きます。必ず身に着けてください」。処分場管理会社のクリスチャン・イスリンガーさんからそう言われ、急に怖くなった。フランスの作家ジュール・ベルヌのSF小説「地底旅行」を子供の頃から愛読していた私は、地下への旅と聞いて少しワクワクしていたが、考えが甘いことをすぐ思い知らされた。現実の地底旅行は命の危険を伴う行為である。
地下840メートルまでは専用のエレベーターで降下する。到着まで1分40秒。ドアが開いた。巨大なかまぼこ状のドームが目の前に広がる。道路2車線分はありそうだ。
最初に漂ってきたのは塩の香りだ。その正体は岩塩である。蛍光灯に照らされた坑道の壁は一見、固い岩に見えるが、すべて岩塩なのだ。なめてみると確かにしょっぱい。
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核のゴミを埋める場所は当然、絶対に地上に放射能が漏れてこないことが条件となる。花こう岩は確かに固いが、その分、亀裂を生じると修復が難しい。やや強度で劣る岩塩層の方が、亀裂ができても自然に埋まるとされる。どちらがいいのか。このあたりは国や専門家によって見解が分かれるところだ。
坑道は全長約10キロにわたり迷路のように広がる。あちこちに掘削用重機が横たわり、電線が縦横に通る。人類はこんな地下深くにとんでもないものを造ってしまったものだ。それこそSF映画の地下迷宮である。気温は20度。冷暖房はない。
だが現在、この建設作業は中断している。掘削にはこれまで16億ユーロ(約2080億円)が投入されたが、ここが果たして本当に適地なのか議論が続いた末、13年になって処分場計画を白紙に戻し、31年までにドイツ全土の中から改めて候補地を決め直す法律が成立したのだ。
取材を終えて地上に戻る際、エレベーターが動かなくなった。同行の放射線防護庁職員によると、時々こうした不具合が起きるという。待たされた間、かなり焦った。このまま地底に閉じ込められたら食料はどうしよう。塩は山ほどあるが、塩だけ食べていたら血圧は悪化する。そんなことを考えているうちに、どうにかエレベーターは動き出した。
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一つの報告書がある。ゴアレーベンに決まる過程を検証したドイツ連邦議会(下院)の「調査委員会報告書」だ。選定過程を知る政治家や官僚、学者らに対し、与野党の議員が10年3月から聞き取り調査を始め、13年5月に報告書をまとめた。
約80人を聴取し、浮かび上がった事実がある。
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「決定3年前の74年時点で、実はゴアレーベンは候補になかったのです。当初の最有力地は地元の反対があり、やがて過疎地のゴアレーベンが急浮上したのです」
自ら聞き取り調査をした環境政党・緑の党のジルビア・コッティングウール議員はそう話した。
ゴアレーベンは人口が少なく、気性の穏やかな農業従事者ばかり。ここなら大きな反対運動もないだろう。州政府はそう考えた。
だが計画は簡単には進まなかった。ゴアレーベンは反原発運動の標的となり、デモ隊がドイツ各地から集まった。さらにドイツは他の先進国にはない特有の苦悩も抱えていた。それは第二次世界大戦後の東西分断の現実である。
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だがそこには「地質学の軽視」(コッティングウール議員)があった。ゴアレーベンの地質調査に関わった元大学教授(水質地理学)は70年代に、「地層の上部が強固でない。掘れば掘るほど、最終処分場には適していない」と反対意見を述べている。だがせっかく決まったゴアレーベンを問題視する姿勢は「政府の関係機関を激怒させた」(下院報告書)という。
13年の夏、この元教授に電話をしてみたが、「何を話しても、今さら、となります。そっとしておいてください」との返事で、取材は断られた。地質学を軽視し、政治主導で候補地が決まっていった選定過程への失望がにじむ反応だった。
地下水脈の危険
反対の理由として、現場付近に流れる「地下水脈」の存在を挙げる住民もいる。ゴアレーベンから15キロ南のリュヒョウに住み、70年代から一貫して反対運動を続ける女性、マリアンネ・フリッツェンさんはこう話した。「候補地はエルベ川からわずか十数キロしか離れておらず、私の家の地下からも川砂利がたくさん出ます。核のゴミを埋めたら、地下水に混ざって拡散する危険性があります」。ゴアレーベンの坑道では大規模な浸水は起きていない。だが低・中レベル放射性廃棄物を保管するドイツ北部アッセ鉱山では実際に浸水が発生し、安全性が度々問題になっていた。「水の流れは止まりません。人間はそれを制御できません」。13年の取材当時、彼女は89歳の高齢だったが、よどみない語り口に引き込まれた。
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最終処分場が決まらないのは日本も同じである。日本の高レベル放射性廃棄物は現在、青森県六ケ所村と茨城県東海村の施設で保管されているが、これはあくまで一時的な措置であり、最終処分場選定という遠大な作業の先行きは見えない。
福島事故から10年が経過した今も「原発は制御できない」という言葉をよく耳にする。だが私が時々思い出すのは、前述のフリッツェンさんが語った「水は制御できない」との言葉だ。あまりに広大で人知の及ばない世界が地下にはある。たとえ原発を制御できても、そのゴミを埋める時に地下水などを制御できなければ選定は不可能になる。こうしたリスクは各国が共通して直面する課題だろう。地震国の日本ではなおさらだ。