日立製作所で長年、原子炉の材料研究やトラブル時の原因究明に従事してきた。二〇一一年三月の東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一原発や東海村の日本原子力発電(原電)東海第二原発といった全国の沸騰水型軽水炉(BWR)に携わってきた。
私が脱原発に考えを変えたのは、福島第一原発事故を経験してから。それまでにも、全国の原発で多くのトラブルに対処して、原発の脆弱(ぜいじゃく)性を知っていたことから「原発は危険なものだ」という認識はあった。だが、社内の原発推進の雰囲気にあらがうことができず、結局は黙認していた。
原発事故の映像をテレビで見た時に、「大きな被害を出す犯罪的なものを造ってしまった」と脱力感を感じ、自分がやってきたことが全否定された気がした。 元技術者として、反省の念を込めて原発の危険性を伝えなければならないと思い、講演や文章で再稼働のリスクを発信している。
東海第二原発の再稼働にも反対だ。「核のごみ」をこれ以上、増やすことは許されない。その上、運転開始から四十年以上経過しており、原子炉本体の圧力容器の目に見えない経年劣化も懸念される。
原子炉内を飛び交う中性子線が、圧力容器や内部構造物の材料の組織を傷付けてもろくする。特に、燃料集合体近くはダメージが大きい。だが、圧力容器内の材料の状態を正確に調べることは困難。中性子線が材料に与える長期的ダメージがどのように起きるかも十分に分かっておらず、研究途上の段階にある。
このままでは、圧力容器にどの程度のダメージがあるか不明で、適正な検査もできない。そのような状況で、再稼働をしようとしている。
(略)
原電が東海村など東海第二の周辺自治体で開く住民説明会に行き、質問もするが、原電は「適切にやっている」「これだけ安全対策をやっている」と答えるのみ。それでは、地元の理解を得られない。「住民をばかにしているのか」と言いたい。原電の体質も、事故前よりむしろ悪くなっていると感じる。