東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
「とんでもないことだと思うよ。なぜ同じ過ちを繰り返す」
東日本大震災で被災した東北電力の女川原発(宮城県)が、宮城県知事の同意を得て再稼働に向けて動き始めた11月、元原発作業員今野寿美雄さん(56)は怒りに声を震わせた。
「原発事故からまだ10年もたっていない。宮城県の人はもう忘れちゃったのか?」
原発に押し迫った津波
旧津島村の出身。18歳から原発作業員として、主に福島第一、第二、女川の各原発で働いた。定期検査の度に約3カ月間、近くの民宿に泊まりこんで、原発の計器の点検などを担当した。
震災の日は女川原発にいた。[…]
「あらららっ」
直後、原子炉やタービンの建屋にいた作業員たちが防護服を着たままバスに乗り、高台に避難してくるのが見えた。原子炉を冷やすための電源などを確保できたことを確認した後、状況を把握するために発電所の外に出た。
女川原発のある牡鹿半島は、リアス式海岸の海沿いに細い道が張り付いている。道路は至る所で流されたり、冠水したりしており、車での移動ができなくなっていた。
夜になると、ライフラインを寸断された周辺の住民が原発構内に避難してきた。売店などに残っていたパンやカップ麺などを分け合って夜を過ごした。
[…]
国の主張に警告
29年間、家族を養うため、原発作業員として誇りを持って働いてきた。一方、原発事故で多くのものを失った。浪江町中心部の自宅は住めなくなって今夏に解体し、実家のある津島地区は帰還困難区域になって今も帰れない。
かつての勤務先である女川原発は、東北電力が安全対策工事を終える2023年にも再稼働があり得る。
国は「計画の継続的な見直しや、訓練による検証、道路整備の充実など、強化に向けてしっかりと進めたい」と述べるが、今野さんは警告する。
「忘れたか? 第一原発の事故の前も国は同じようなことを言っていたぞ。俺たちはどこまでだまされるんだ?」