東京電力福島第1原発事故で、政府の対応を批判して4月末に内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘東大教授(放射線安全学)が、辞任直前に菅直人首相に報告書を提出し、「不適切な初動」で放射性物質の拡散予測結果が十分に活用されず、住民に「余分な被ばく」を与えたと指摘していたことが10日、分かった。
小佐古氏は報告書で首相官邸の指導力不足や原子力安全委員会の機能不全を挙げ初動を批判。「小児甲状腺がんの発症が予想される」ことから福島県と近県で「疫学調査が必須」としている。今後の検討事項として、被ばく者手帳の発給やメンタルケア対策を挙げた。
小佐古氏が「疫学調査が必須」としているのにやや驚きました。なぜか、というと、それは当然行われるもの、と思い込んでいたからです。「当然」なことが必ずしも実現しないことぐらい百も承知のはずなのに。誰かが知ろうとしなければ、こうした「当然」の調査もなされないわけですね。
また「被ばく手帳」が出てくるのにも息をのみました。というのも、「福島のひばくしゃ」とは日本で差別表現になっている、と聞いたからです。もちろん被爆と被曝のちがいはあります。でも「ヒバクシャ」やhibakusha が福島とくっついたとき差別語になることに複雑な問題を感じます。差別表現とする立場からは広島、長崎のヒバクシャはいかに見られているのでしょう。
差別の場合、当事者の気持ちを尊重することは欠かせませんが、問題はさらにやっかいです。かつて「ちび黒サンボ」が書棚から消えたとき、井上ひさしさんが(1)物書きとして、このことば、あのことばを使っては駄目、と言われるのはいやだ、と(2)社会的現実をそのままにして、ことばだけきれいにしていくのはどういうことか、というようなことを書かれたのを思い浮かべます。