この春、美浜原発は転換期を迎える。2月、関電の豊松秀己副社長(原子力事業本部長)が「今年度末ごろに運転延長か否かの方向性を出す」と福井県に伝えた。延長しなければ、いよいよ「廃炉時代」の本格的な幕開けとなる。
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「ピンチとは思っていません。チャンスだと受け止めています」。福井県美浜町の松下照幸さん(66)は廃炉問題をそうとらえる。
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少年のとき、原発誘致が決まり、みるみるうちに町が変わるのを覚えている。道路ができ、港が整備され、学校がきれいになった。地域の若者が関電に、取引先の地元企業に職を得た。「原発の光ばかりが強調され、事故が起きるなんて、当時は考えもしなかった」と松下さんは振り返る。
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2011年の東京電力福島第一原発事故の後、松下さんは首相官邸前の再稼働反対デモに加わり、最前列に立った。だが、都会の住民と交流するにつれ違和感を覚えたという。町民は、原発がある不安と原発がなくなる不安が交差する。原発がなくなれば、多くの町民が仕事を失う。「都会の人たちは『危険な原発を止めれば良い』と言うが、そう単純な話ではない。私は、原発で生計を得ている町民とともに暮らしている。原発がない『その後』を考えないといけない」
町財政は原発に頼る。14年度の一般会計当初予算は40%近くが国の電源三法交付金、法人町民税や固定資産税など原発関連が占める。原発が動けば、13カ月ごとに定期検査があり、全国から作業員が集まる。原発を失うことは、税収も雇用の場も減ることを意味する。「反対一辺倒で廃炉を訴えるだけでは町民の理解は得られない」。松下さんはそう考えた。
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こうした中、松下さんは「脱原発」を実現させる一手として、山口町長に提案書を渡した。13年秋のことだ。原発は廃炉が決まったとしても、現実には、元ある場所からすぐに消えるわけではない。「使用済み核燃料の保管先がなければ、廃炉はかなえられない」。そこで提案したのが、中間貯蔵施設の町内誘致。松下さんにとって苦渋の決断だった。提案の柱は、美浜原発3基すべての廃炉を前提に、原発の隣接地に施設をつくり、美浜原発から出た使用済み核燃料を「乾式貯蔵」する。プール(湿式)ではなく、専用の容器(キャスク)に入れて地上で保管する。その是非を住民投票で問い、実現すれば原発の下請け企業が培った技術を生かし、自然エネの開発を進める。そのためにも、国による「環境モデル都市」の特区化を求め、負担と引き換えに新たに「保管税」制度をつくる、という内容だ。
松下さんは13年に2回、脱原発にかじを切ったドイツに渡り、電気と熱を供給する「コージェネレーション」に取り組む町を訪ねた。エネルギー源は、家畜のふんにょうを使ったメタンガスだった。「町で消費する電気をその町でまかなう。電気の地産地消。これこそモデルだ、と確信しました」と語る。
現地で何より痛感したのは住民の力だった。「ドイツは廃炉に向かって、住民が知恵を出し合い、それを住民自らが実践する。住民の声が、国のエネルギー政策を動かす。事故が起きた日本で、今さら何で原発なんだろうと、改めて思いました」
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廃炉が迫るなか、注目の発言も出ている。全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)会長を務める河瀬一治・敦賀市長が2月、中間貯蔵施設の福井県内での立地について「いま一度議論する必要がある」と述べた。敦賀市は現役の原発では国内最古の敦賀1号機を抱えている。河瀬市長は「(原発がある)立地以外に持って行くのは(その地域の)理解が得られない」と指摘し、「基本的に福井県外だが、それを貫き通すことで、(施設が)できずに行き詰まることは残念」と改めて立地地域で議論を進めることの必要性を訴えた。高浜原発を抱える高浜町の野瀬豊町長も県内設置の議論もやむを得ない、という立場だ。廃炉にしろ、運転延長にせよ、中間貯蔵施設の設置は欠かせない。その見解で立地市町の首長は一致している。
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2月14日、大阪市内で「原発再稼働と原子力規制を考える」と題した集会が開かれた。講師として登壇したのは、米国原子力規制委員会(NRC)前委員長のグレゴリー・ヤツコ氏。福島の事故当時、米政府は福島第一原発の半径50マイル(約80キロ)圏の米国民に避難勧告を出し、ヤツコ氏は陣頭指揮にあたったことで知られる。そのヤツコ氏が原発問題を考えるキーワードの一つとして、「クリーンさ」を挙げた。電力業界は、原発が発電時の二酸化炭素を排出しないことから、地球温暖化を防ぐ、と主張している。だが、ヤツコ氏は「本当にそうか」と疑問を投げかけた。
原発は使うほどに、高い放射線量の使用済み核燃料が出る。放射線量が十分に下がるには10万年もかかる。これを再処理し、廃棄し、管理することに、「どの国も解決法を見いだしていない」とヤツコ氏は指摘し、「原発は決してクリーンなエネルギー源ではない」と言い切った。
ヤツコ氏は「原発は巨額の費用がかかる。日本が20年前にそのお金を新たなエネルギー源の研究を進めていれば、福島の事故は起きなかったかもしれない。今こそ、より安く、真にクリーンで安全な電源の開発が必要だ」と述べた。
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むろや・ひでき 1996年に入社。鳥取支局、大阪・西部社会部、大阪生活文化部に勤務し、警察や司法、教育、社会保障、調査報道などを担当。2012年4月~14年3月、敦賀支局長だった。14年4月に大阪社会部に戻り、原発問題を担当している。44歳。(室矢英樹(大阪社会部))
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