14日に福島第一原発の3号機が水素爆発した後、翌15日〜16日に大量の放射性物質が撒き散らされて、関東にまで達しました。通常の何十倍もの空気中線量が観測されたのです。
この証言者は、事前に察知して、12日に原発周辺から家族で脱出して会津地方に逃げたものの、そこでは「放射線被爆者の差別」を受け、ゴミ扱いされたと証言しています。
どうも、民放が「みんなで助け合おう」というような美辞麗句を並べ立ててキャンペーンを展開していたのとは裏腹に、現実は、もっと殺伐としたものだったようです。
官邸は、レベル7の発表後、ある意味「吹っ切れた」ようです。
続きは『福島第一原発の元女性モニターの証言』から。