福島第一原発事故以降の行政文書が福島県や県内市町村で続々と廃棄処分されている問題で、福島県福島市が2011年12月、山形県山形市や米沢市に原発避難した市民を対象に開いた説明会の記録も、「保存期限を過ぎた」として廃棄されていた事が分かった。説明会でどのような質問や意見が出されたのか。当時の行政文書は原発事故の区域外避難者(いわゆる〝自主避難者〟)がどのような状況だったのか検証する材料になり得るが、市は特別扱いせず捨てていた。原発事故後の行政の対応が燃やされ消されていく実態が改めて浮き彫りになった。
【市長発言も確認出来ず】
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当時の担当職員が作成した「まとめ」のような文書がパソコンに保存されていた、として開示されたが、A4判1枚(両面印刷)しかなく、日時や参加人数(山形会場は50人、米沢会場は30人)は分かるものの、当日の福島市からの説明内容は箇条書きにされているだけで、具体的な内容は分からない。原発避難した市民からどのような質問や意見が出たのかも「主な意見」として挙げられているだけ。
「渡利を特定避難勧奨地点として指定してほしい」、「測定の結果、線量が高くても除染が開始されるまでは待つだけ。どう考えるのか」、「食品にベクレル表示をしてほしい」などと書かれているが、それらの声に市側がどのように回答したのかは分からない。
説明会には当時の瀬戸孝則市長も出席。瀬戸氏は福島民友のインタビュー(2021年2月28日掲載)で「私が行って、福島市の現状を説明してきた。『帰ってきてほしい』ということを話した」、「50人くらいの集まりだったと思うが、反応はあまりなかった。質問はちょっと出たと思う」などと述懐しているが、瀬戸氏が具体的に何をどのように語ったのか、検証も出来ない。
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【「データ化の動き無い」】
震災・原発事故対応を記録した行政文書が永年保存されずに廃棄されている問題は、これまでも何度か取り上げて来た。2019年9月には、福島市議会で村山国子市議(日本共産党福島市議会議員団)が「未曽有の原発事故は、市の事務においても困難と混乱を極めた。後世に伝え教訓にするためにも原発事故関連文書を保管していくべきである」と代表質問で言及したが、福島県や他の県内市町村も、浪江町など一部の自治体を除き「5年で廃棄」の方針を変えていない。
「震災・原発事故関連の行政文書の取り扱いについて、対応に変化があるかと問われれば、変化はありません。どの程度保存するかは各部局の判断になります。規程に基づいて重要度を判断するのは各担当部局なんです。震災・原発事故関連の行政文書に関して、市としての統一ルールのようなものはありません。永年保存するべき?私個人は一理あるような気もしますが、どうしても量的な問題もあります。なるべく残して欲しいとアドバイスはしますが、強制までは出来ません」
福島市総務課文書係の担当者は取材に対し。そう答えた。
場所の問題で廃棄さざるを得ないのであれば、スキャンしてデータとして保存すれば良いのではないか。この点についても担当者は「行政文書をデータベース化して保存するという動きはまだ、具体的にはありません」と話した。
「いまのところは紙での保存ですから、そうなるとどうしても場所の問題が生じます。仮に保存場所が潤沢に確保出来るのであれば、全ての文書を永年保存出来るかと思います。ただ、私たちとしてはあくまでも重要度で判断して欲しいと考えています。場所を言い訳にはしたくない。私も個人的にはなるべく残すべきだとは考えていますが、データベース化まではまだ至っていないです。出来るだけ取り入れたいとは思いますが…。紙で保存する事も大切だと思いますし。サーバーも絶対では無いですしね。電磁的保存の課題もあると思います。紙の信頼性や視認性もあります」
行政文書は市民の財産。ましてや震災・原発事故という未曽有の複合災害の記録は全て保存されるべきだろう。だが、現実は燃やされ消されていく。これが10年目の現実だった。