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2月1日、撮影のため東京電力福島第一原発に入った。3号機の原子炉建屋北面にこの壁があった。
コンクリートの壁表面には、無数の傷と吹きつけられた放射性物質の飛散防止剤の痕、事故後の測量で記された数値や記号があった。高さ約15メートルの津波の威力と、現場でのこれまでの作業を想像させられた。
構内は現在、汚染レベルの高い順に、R(レッド)、Y(イエロー)、G(グリーン)の3ゾーンに区分されている。防護服なしで動けるGゾーンのみを歩く4時間ほどの取材中、わずか数メートル先のYゾーンに見えた作業員40人ほどの動作が脳裏に焼き付いている。
3号機タービン建屋の近くでは、配管を整備する作業員が全面マスクをかぶり側溝にもぐっていた。原子炉建屋内のがれき撤去の準備が進む1号機の脇では、防護服の上に安全帯を締めた作業員が大型クレーンのフックにワイヤを引っかけていた。
取材中の放射線量は、高い場所で毎時300マイクロシーベルトほどで、胸ポケットに入れていた線量計から2度ほど、累積20マイクロシーベルトを知らせるアラーム音が鳴った(100マイクロシーベルトは東京―ニューヨークを飛行機で移動した際に自然界から受ける被曝(ひばく)線量)。Yゾーンにいた作業員がどれほどの放射線量にさらされているかは定かでないが、防護装備を身につけていることを除けば、普通の工事現場の労働者と変わらず、当たり前のように淡々と作業をこなす様子が印象的だった。