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「先生がいなくなるのは本当に惜しい。どうもありがとうございました」
22日正午前、小高区長会長の林勝典さん(71)が病院を訪れ、院長の藤井宏二医師(63)と両手を握り合った。藤井医師は「京都からも見てますから」と応じた。
藤井医師は京都第二赤十字病院(京都市)を辞め、2016年4月から小高病院で働き、その後唯一の常勤医になった。きっかけは1995年の阪神大震災だった。救護班として現地に入ったが、装備や連絡態勢が不十分で思うように活動できず、無力感を覚えた。いつかは被災地のために力になりたい――。持ち続けていた思いが強くなったのは60歳が近づいたころだ。東日本大震災が起き、「今度こそ役に立ちたい」と決意した。
小高病院は14年4月、3年1カ月ぶりに外来診療を再開した。震災前はベッド数99床で7科がある地域唯一の総合病院だったが、外来診療に限られていた。医師も足りず、インターネットで医師を募集していた。妻(59)に相談すると、料理の本を渡され「早く行き」と背中を押してくれた。
病院棟は配管などが壊れて使えず、リハビリ施設を改修して使う。高齢者を中心に毎日約20人が訪れ、藤井医師と非常勤医3人、看護師3人で内科や外科の診察をする。
小高区の大部分では2年半前、避難指示が解除された。しかし、居住する人は3169人(2月末)と、震災前の約3割にとどまり、65歳以上の高齢者が半分を占める。足が悪かったり、車など移動の手段を持たなかったり、通院さえ大変な患者が多い。
そこで藤井医師が力を入れたのが、在宅診療だった。2回のうち1回は医師が患者の自宅に行き、1回はタブレット端末を持った看護師が患者宅を訪れ、診察室のパソコンとつないで、遠隔で診察する。
看護師が測る体温や血圧などの情報もパソコンに送られる。10分ほどの問診だが、「顔を見て話しすると、笑顔が出て満足してくれる」(藤井医師)。約20人が在宅医療を利用し、藤井医師は「地域の現状に合っている」と手応えを感じていた。
しかし、今年2月に状況が一変した。市の市立病院改革プラン策定委員会が、小高病院に将来的に19床の入院機能を回復させる素案を発表した。それを支持する門馬和夫市長と、方向性の違いが決定的になった。
藤井医師は医師が不足する中、入院機能は維持できないと主張。入院は車で15分ほどの市立総合病院(原町区)に任せ、「家にこもりがちな多くの患者に、つながっている安心感を持ってもらうのが大事だ」と辞表を出した。
門馬市長は慰留したが、「入院機能を求める人もいる」とする素案を支持する考えは変わらなかった。市は今月19日、後任の常勤医を決めたと発表した。
藤井医師は入院機能の再開反対にこだわる。「私が辞めることで、おかしさが明るみに出て、みんなで何が本当に必要か考えてほしい」。23日、家族が待つ京都市へ出発する。(奥村輝)